「大学と学生を比べれば、立場として強いのは明らかに大学の側。例え大学の認識が誤っていても、『授業料を払わないと除籍する』とまで通告されれば、プレッシャーから支払ってしまう学生の方が多いはず。
あえてその流れに抗って良かったです」
こう話すのは、愛知県の私立大学・中部大学に在籍する阿部智恵さん(28)だ。阿部さんは2017年、入学料や学費が免除される「特別奨学生」という立場で、同大工学部応用化学科に入学した。しかしその後、大学に行けない時期が続いた結果、成績が奨学生の基準値を下回ってしまい、資格を喪失する。’25年に入り、「奨学生の対象期間を満了している」と大学から授業料の支払いを命じられたが、改めて調べたところ、成績が資格復活の基準に達していることが判明。その旨を大学に訴えると当初は一蹴されたがのちに言い分が一転し、奨学生資格の復活が認められた。いち学生の抗議によって組織の決定が覆されるのは、そうあることではない。詳しい経緯を聞いた。

「特別奨学生」として入学するも、性的なバックグラウンドから休学

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阿部さんは愛知県の出身。高校時代は理科系の科目が好きで、化学の研究職に興味を持っていた。中部大学を受験したのは、同大が「特別奨学生入試」という独自の入試制度を設けていたためだ。同入試は書類審査と面接試験からなり、奨学生(毎年度50人以内)に選ばれると、原則として4年間、入学料に加えて、授業料、施設設備費、教育充実費が免除される(情報は’24年時点のもの)。同大の特別奨学生規程施行細則では、奨学生資格について「各年次終了時の通算GPAの値が、3.00未満となったとき」に資格を取り消し、「資格取消となった翌年の年次終了時の通算GPAの値を3.00以上に回復した場合」に資格を復活すると記載がある。

「3人きょうだいの一番上で、家庭に経済的な余裕があまりありませんでした。
もとは国公立大学志望でしたが、センター試験が終わって早々に中部大から合格通知をもらい、『もうここにしちゃおう』というぐらいの感じで入学しました」と話す。

「授業料を払わないと除籍」奨学生期間の満了を告げられた中部大生が、大学への抗議で資格を復活させるまで
1年生、2年生に当たる’17年度、’18年度は、座学・実験を含めて履修した講義の単位をほぼ全て取得。両年とも通算GPAは3.00を上回り、3年生への進級が難なく決まった。

状況が変わったのは、’19年度に入ってからだ。阿部さんは生まれたときの性別と性自認が異なる、いわゆる「トランスジェンダー」。1~2年生の時は同級生には事情を話さず、髪を伸ばした中性的な見た目で通学していた。女性の身体になることを望んでいたことから、同年ホルモン治療を始め、費用捻出のため名古屋市内のニューハーフショークラブで働き始めたのがきっかけで、少しずつ大学から足が遠ざかって行った。

「ホルモン治療を続けると、だんだん胸の膨らみが出てくるんです。あえて学内の友達は作っていなかったものの、『男子生徒』と認識されているので、学校に行けば奇異の目にさらされるのは目に見えている。さらに深夜帯の仕事であることなども加わって、通学が難しくなっていきました」と振り返る。

結果、‘19年度末時点の通算GPAは3.00を下回り、特別奨学生資格を喪失。その後’20~’23年にかけて大学を休学し、在籍料のみを支払う状態が続いていた。


大学に通えなくなる一方、「学問は好きで、大学に通いたい気持ちはずっと残っていた」という阿部さん。休学の上限は通算4年と学則で定められていたことから、’24年、大学に復学。再び真剣に学業に打ち込み、履修した講義の科目をフル取得する。すでに奨学生資格を失っていたため、授業料も支払っていた。

授業料の支払いを督促する電話。調べてみると……

「授業料を払わないと除籍」奨学生期間の満了を告げられた中部大生が、大学への抗議で資格を復活させるまで
入学以降の阿部さんの成績。'24年度のGPAは春・秋学期とも、通算3.00を越えている
ブランクを乗り越え、無事に4年生への進級が決まった’25年3月、一本の電話が学生支援課から阿部さんのもとに入る。

「『奨学期間は満了しているので、’25年度も授業料が発生します』という用件でした。電話口では支払いを了承したものの、その後改めて学内のポータルサイトで確認してみたら、’24年度のGPAは基準値の3.00を上回っていたんです。
‘19年度末で奨学生期間3年分は満了しているものの、休学期間を除けば、’24年度は資格取消の翌年に当たります。’25年度は資格が復活し、奨学期間4年目に該当することになる。だとすれば、『大学側の認識がおかしい』と直感しました」(阿部さん)

4月2日、改めて「私(阿部)の特別奨学生は本年度(※編集部注:’25年度)より復活して然るべき」と大学にメールを送ったところ、学生支援課の担当者から、’24年度の1年間は資格復活のための猶予期間である「取消期間」に該当すること、学内では「取消期間=奨学期間」として扱われるために’24年度が期間の4年目となり、奨学生期間は満了になるとの説明があった。

「大学の奨学生規程に『取消期間』という言葉はなく、こんな概念があること自体、この時初めて知りました。
後日学生支援課の窓口に出向き、話し合いの余地がないか担当者に改めて聞いてみたのですが、『学内の会議で既に決まったことなので、いくら言われても変わりません』と、一蹴されてしまいました」(阿部さん)

「授業料を払わないと除籍」奨学生期間の満了を告げられた中部大生が、大学への抗議で資格を復活させるまで
'25年4月、中部大学学生部長から阿部さんの元に届いた手紙
さらに4月24日には、同大の学生部長から’25年度春学期の学費が未納であることとあわせて、「学費が納入されない場合、除籍になる」と通告する手紙(書面)も実家に届いたという。

SNSで訴えを続け、大学の態度が急変

担当者の態度や書面の内容を踏まえると、大学との交渉の余地はもはやないと認識した阿部さんは、訴訟を起こすことを決意。独力で書面準備を進めていたところ、事態は急変する。

6月5日、学生支援課の担当者から「阿部さまと本学との見解の相違によりご心配をおかけし誠に申し訳ございません。改めて、阿部様のご主張を明確にご提示いただけますとありがたいです」とメールがあった。「親に除籍通告まで飛ばしておいて何言ってんの」と喧嘩腰の文面を返したが、その約3週間後に当たる6月26日、大学から「先日、阿部様よりメールを送付いただき、ご主張について改めて慎重に検討を重ねた結果、特別奨学生の資格復活を決定しました」と、阿部さんの主張を全面的に受け入れる連絡が入ったのだ。

7月11日、面談のため大学に足を運ぶと、職員の態度は一変していた。
「学生支援課から計3人の職員が出てきて『この度はご迷惑をおかけしまして申し訳ありません』と、深々と頭を下げられ、’25年度分の特別奨学生向けの書類を渡されました。ただ自分は除籍になる覚悟で、4月からの講義には出ていなかった。『今更復活を言われても解決にならない』と、書類の受け取りは辞退しました」

後日、改めて内容証明郵便で復学の条件を問い合わせたところ、大学側からは「復籍された年度について、特別奨学生資格を復活させる措置を講じ、授業料、施設設備費、教育充実費に相当する額の納入を免除し、これをもって相殺する」(原文ママ)との回答があり、再び大学に通うかどうか慎重に検討を重ねている最中という。

「授業料を払わないと除籍」奨学生期間の満了を告げられた中部大生が、大学への抗議で資格を復活させるまで

一時は除籍を予告する書面まで送付しておきながら、なぜ大学の対応は一変したのか。同大学生支援課に特別奨学生の適用期間や取消期間について詳細を問い合わせたが、返ってきたのは「学生の個人情報に関わるため回答は差し控えさせていただきます」という回答だった。


態度の変化について、阿部さんは、「SNSを併用していたことが影響したのでは」と分析する。
「大学とのやり取りや、取材を受ける可能性があることなどについて、Xで逐一状況を報告していました。7月11日の面談でXの投稿内容について触れたところ、『存じ上げています』と言われたんです。大学の側も最初は『相手は学生、強めに出ておけば折れる』という姿勢が透けて見えましたが、事態を公にすることで、多少なりとも流れを変えられた部分があったのでは」(阿部さん)

当初、阿部さんがやり取りした職員の発言にもあったように、規模の大きな学校組織ほど、「一度決まったことを覆すのは難しい」という認識は強い。そのため、SNSなどでは「いち学生が異議申し立てを行っても何も変わらない」という冷めた見方が生まれがちだ。しかし、事実材料を集め、かつ継続的に訴えを行うことで、大学の側が誤りを認めるケースもある。こうした「小さな成功例」があることは知られていいだろう。

【松岡瑛理】
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部で編集・ライター。 Xアカウント: @osomatu_san
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