―[あの日夢見た雲組]―

 2023年6月15日、乃木坂46の公式ライバルグループとして結成した「僕が見たかった青空」(通称:僕青)。
福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「...の画像はこちら >>
 同グループはセカンドシングル以降、シングル選抜システムを採用。
メンバー23人は、表題曲やメディア出演をしていく選抜の「青空組」と、ライブやイベントなどを中心に活動する「雲組」の2つチームに分かれて活動している。

 この連載「あの日夢見た雲組」は、8月6日リリースの6枚目シングル「視線のラブレター」で構成された雲組単独公演のライブとともに、雲組で切磋琢磨するメンバーに注目していく。

「新たな一面を知ってほしい」想いが行動に

 現体制の雲組になってから公演前の円陣では恒例の掛け声がある。

「吸って~吐いて、吸って~吐いて、今日もみんな、いい子いい子!」

 メンバーがお互いに頭を撫でて、笑顔でステージに向かう。そんな“深呼吸たいむ”を考案したのが、福井県出身の宮腰友里亜だ。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜
「ファンの方が私のブログを読んでもらうとき、心が落ち着く幸せな時間にしてもらえたらいいなと思って、文章の最後に書き始めたのがきっかけです。それをリーダーの(塩釜)菜那ちゃんが円陣に取り入れてくれました」

 雲組単独公演#20で、東京・愛知・大阪とステージを重ねるごとに自分たちの形が見え始めていた。そして、8月21日に開催した雲組単独公演#21では、メンバーが話し合って「髪型のアレンジを自由にしてもいいですか」と要望をスタッフに伝えた。

「そうやって自分たちから行動したのは初めてでした。いつもはプロフィールと同じ髪型で公演に出ることが多かったので、新たな一面を知ってもらいという気持ちが強かったです」

芽生えたライバル心「青空組に負けたくない」

 この日は9月23日に初の単独公演を控えた青空組のメンバーも見学に訪れた。以前は「現場やレッスン場に青空組のメンバーがいると、雲組は自然と声が小さくなってしまっていた」と話すが、今は違う。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
「青空組に負けたくない気持ちもありますし、いい意味でライバル心が芽生えてきたと感じます。雲組の魅力は一生懸命でパワフルなパフォーマンスだと思っているので、それが伝わるように意識しました。『青空について考える』のイントロで23人のときは “BOKUAO”という文字の振り付けですが、この公演では12人で“KUMO”という新しい振り付けを披露したとき歓声が上がったのは嬉しかったです」

 #21公演の夜公演(2部)では宮腰、伊藤ゆず、塩釜菜那、八重樫美伊咲の4人で「微かな希望」をアコースティックバージョンに挑戦。
リハーサル以外でもステージ袖からハモリを確認する歌声が響いていた。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
舞台袖でパフォーマンスの確認をする宮腰(写真左)
「今年5月の超雲組公演のときに『飛ばなかった紙飛行機』を私と秋田莉杏ちゃんと長谷川稀未ちゃんの3人で歌ったのですが、本番で思うように歌えなくて悔しかったんです。本番直前まで緊張していたけど、歌い終わったあとの温かい拍手は今でも覚えています」

名前を呼ばれる度に込み上げる感情

 公演中に自分のうちわやタオルを見つけて、「友里亜ー!」と名前を呼んでもらうと、「自分はこの場所に居ていいんだ」と言葉にできない感情が込み上げる。そのたびに彼女の優しい笑顔が輝いていた。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
 幼少期から漠然とアイドルへの憧れはあったが、その夢を掴んだのは18歳。ダンスも歌も未経験で飛び込んで彼女にとって現実は甘くない。「私なんかアイドルに向いてないし辞めたほうがいい」と、弱い自分が出るたびに葛藤してきた。

「他のメンバーより振り覚えが遅くて、置いていかれるんじゃないかという怖さがいつもありました。そんな私は受け入れてもらえないんじゃないかって。努力は裏でするものだと思っていたので、自宅に帰ってから睡眠時間を削ってもできるまでダンスの練習をしていました」

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
写真左から山口、青木、宮腰、伊藤、木下
 当時は女性マネージャーにさえ目を合わせられないぐらい人に頼るのも苦手だった。そんな彼女の理解者として傍で寄り添っていたのが、10月末でグループを卒業する山口結杏だ。当連載のなかで雲組メンバーに対する気持ちを聞くなかでも、宮腰へ想いを語っていた。その言葉を伝えると、目に涙を溜めながら何度も頷いた。


「私は相棒みたいな子ができちゃうと依存しちゃうタイプなんです。結杏は同じ歳だから二人でいるときは楽だったし、同じような悩みで苦しんでいました。だから、その頃は毎日のように過ごしていて。一緒に駆け上がってきた彼女が卒業するという選択をしたことは寂しかったけど、これからの人生を心から応援したいです」

周囲の支えで誰よりもメンタルが強くなった2年間

 ツラい時間を乗り越えたからこそ、自分が関わる人たちには笑っていてほしい。今では上から下まで幅広く交流できるまでに成長した。「この2年間で誰よりもメンタルが強くなれました。メンバーやスタッフさんと関わるなかで良い方向に自分を導いてもらえています」。また、ポジティブなマインドに大きく影響しているのが、福井にいる家族の存在だ。一日オフがもらえれば、前日の夜に新幹線に飛び乗って帰郷することもある。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
「親戚も実家から5分以内の場所に住んでいるので、私が帰ると『ご飯に行くよ』ってみんなが集まってくれるから福井でもアイドル扱いしてもらってます(笑)。東京から電車で3時間20分。実家の周りは田んぼしかないような田舎ですが、家族と過ごす時間は心の拠り所ですね」

 母親は、3歳年上の姉とともに2人の娘を女手一つで育ててくれた。人見知りで内気な性格を知っていたからこそ、アイドルを目指すと伝えたときに「厳しい世界でやっていける強い心が貴方にあるの?」と猛反対。
だが当時通っていた歯科衛生士の専門学校を退学して、ひとりで上京を決めた。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
「昔バレエの習いごとを始めたときに集団行動に馴染めずに、一日で逃げ出したことがあったので心配していたんだと思います。今はすごく応援してくれていて、お姉ちゃんはライブを観るたびに、『カッコいい自慢の妹だよ』って号泣するんですよ(笑)。

お母さんも『ダンスが上手くなった』とか成長できたところを必ず見つけて褒めてくれます。家族の支えがなかったらアイドルは続けられないです」

青空組からは遠ざかっている現状への歯がゆさ

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
 近年はJA福井の新米キャンペーンのアンバサダーやFM福井のラジオ番組パーソナリティなど、地元に関わる仕事も増えている。その一方、セカンドシングル「卒業まで」で青空組に選ばれて以降、表題曲の選抜メンバーからは遠ざかっている現状に歯がゆさをにじませた。

「やっぱり青空組に戻って、もっとたくさんの方に知ってもらいたいです。そういう強い気持ちで活動しているし、雲組のなかで選抜に入りたくないメンバーは誰一人としていないと思うんです」

 どうすれば青空組に相応しい人間になれるのか。その答えは出ているようだったが、「まだ目標を叶える途中。だから、自分の口からは言いたくない」と口をつぐんだ。

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組

もう弱い自分で泣きたくない。もっともっと強くなりたい

「でも……、メイクやファッションも勉強して、体型もめっちゃ絞ったんですよ。そういう自信を持てる分野で必要とされたいです。


 あと最近、9月に公演していた舞台『夏霞』を見ていてマネージャーさんから、『23人でステージに立っていても宮腰に目が向くようになった』と言ってもらえて嬉しかったですね。9月27日の『超雲組公演HYPER』は6枚目シングルの集大成。もう弱い自分で泣きたくないし、もっともっと強くなりたいです」

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」
宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
 もしもまた弱い自分が覗きそうになったら、福井の青空を思い出しながら深呼吸すればいい。

【宮腰 友里亜(みやこし ゆりあ)】
2004年、福井県生まれ。ニックネームはゆり坊。2023年6月15日に結成したアイドルグループ「僕が見たかった青空」(通称:僕青)のメンバー。昨年に続き、「福井の新米ガブッとキャンペーン」のアンバサダーに就任。最新シングル「視線のラブレター」が発売中。9月27日(土)に、「僕が見たかった青空 超雲組公演 HYPER」がLIQUIDROOM(東京・恵比寿)で開催される。最新情報は公式HPをチェック。宮腰の個人Instagramは@yuria_bokuao

<取材・文/吉岡 俊 撮影/山川修一(扶桑社)>

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