2025年1月、埼玉県八潮市で道路が突然陥没し、走行中のトラックが巨大な穴に転落するという事故が発生した。原因は、地下10メートルに埋設された下水道管の破損とみられている。
下水道管内に発生した硫化水素が空気と反応して硫酸となり、管を腐食。損傷箇所から土砂が流入し、巨大な見えない空洞が形成されて地表が崩壊したのである。
 まさに都市の足元にひそむ「時限爆弾」が破裂した瞬間だった。トラックの運転手は数か月後、下水道管内で遺体となって発見され、復旧には5年から7年を要する見込みだという。

 事故以降、現場周辺の水道インフラは停止を余儀なくされ、多くの住民が不便を強いられた。「水は命」と言われるが、上下水道インフラが壊れると自然の水循環と私たちの暮らしの接点が失われるインフラであるという現実が、痛みを伴って突きつけられたのだった。

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八潮市陥没事故の衝撃:なぜ「まさか」が起きたのか

 水道インフラなど水にまつわるさまざまな事象を取材し続け、先日、危機的状況にある日本各地の水道インフラについて警鐘を鳴らす『あなたの街の上下水道が危ない!』を上梓したばかりの水ジャーナリストの橋本淳司氏は、「埼玉県八潮市で発生した陥没事故は、私たちにとって決して他人事ではない」と語る。 

「2022年度、全国で約2600件もの下水道に起因する道路陥没事故が発生しました。単純計算で1日に7件というペースです。そのほとんどは小規模なものですが、埼玉県八潮市で起きたような大規模な陥没は、地中深く埋設された大きな管の劣化が進めば、いつどこで起きてもおかしくない状況になりつつあります。

 八潮市の事故現場となった下水道管は、法定耐用年数である50年には達しておらず、2021年度の点検では「ただちに補修の必要はない」と評価されていました。評価区分は「Ⅱ(中度)」に分類されており、定められた基準に基づいて点検が行われていたにもかかわらず、事故は防げませんでした。この管路を管理していた埼玉県下水道公社は、GISシステムで管路情報を公開するなど、全国の模範とされる徹底した管理体制を敷いていただけに、下水道関係者の間からは「まさか」という声が多く聞かれました。

 
 この事故は、これまでの下水道インフラ管理に対する「これまでの点検では不足なのではないか」という新たな問いを私たちに突きつけたのです」

地下に潜む「老朽化」という名の時限爆弾

「まさか」が現実に…全国で1日7件の下水道陥没事故、八潮市の大規模陥没は「見えない地下のカオス」の警告
『あなたの街の上下水道が危ない!』より
 日本の下水道管の総延長は、2022年度末時点で約49万キロメートルに達し、これは地球を12周以上できる長さに相当するという。このうち、法定耐用年数である50年をすでに超えている管は、約3万キロメートル(7%)。この数字は今後急速に拡大すると見込まれており、10年後の2032年には約9万キロメートル(19%)、20年後の2042年には約20万キロメートル(40%)に達すると予測されているのだ。これは、全国で下水道の寿命切れが本格的に始まることを意味する。

「高度経済成長期に都市部で下水道の整備が始まり、1990年代に建設のピークを迎えました。それからおよそ30年が経過し、今、更新のピークが目前に迫っています。現在、事故が多く起きているのは先行して整備された都市部ですが、これからは老朽化の波が地方にも押し寄せていくでしょう。

 2015年の下水道法改正により、全国の下水道施設に対して計画的な点検と維持管理が義務づけられ、一時期は減少傾向にあった陥没事故件数も、この法改正が減少の背景にあるとされています。

 下水道事故は、腐食、地盤、構造の複雑さ、気候の影響、他の地下埋設物との関係など、複数の要素が絡み合って発生します。つまり、単に『年数が経ったから危ない』という話ではありません。しかし、事故を引き起こす条件が、徐々に全国でそろい始めているのもまた事実です」

「まさか」が現実に…全国で1日7件の下水道陥没事故、八潮市の大規模陥没は「見えない地下のカオス」の警告
『あなたの街の上下水道が危ない!』(扶桑社新書)


八潮事故が示した「複合的リスク」の現実

 橋本氏の指摘通り、八潮市の事故は、単なる老朽化だけでなく、複数の複合的なリスクが重なり合って発生した。

「八潮の事故現場では、下水道管の形状がカーブしており、そこに汚水が滞留しやすく、硫化水素の発生が促進されたことが事故の一因と考えられています。この硫化水素が酸化して硫酸に変わることで、コンクリート管が内部から腐食するリスクが生じます。腐食のリスクが高い場所は、コンクリートなど腐食しやすい素材で造られ特別な防止措置が取られていないもの、下水の流れに急な段差や落差がある箇所、伏せ越し構造などで硫化水素が多く発生しやすい箇所とされています。


 現在、全国の下水道管は状態によって「Ⅰ(重度)=速やかな対応が必要」「Ⅱ(中度)=5年以内に対応を検討」「Ⅲ(軽度)=長期的に使用可能」の3段階に分類されています。八潮の事故管は「Ⅱ(中度)」でしたが、それでも事故は発生しました。腐食は目に見える形で現れる前に管の内壁で静かに進行しており、こうした見えないリスクをどう把握し、対応していくかが今後の大きな課題です。

 特に、都市化の早い段階で流域下水道を導入した地域ほど、現在老朽化のピークを迎えており、大阪府では腐食リスクの高い管渠の延長が全国で最も多い119キロメートルに及びます」

都市地下の「カオス」とインフラ間の相互作用

 また、都市の地下には、下水道管だけでなく、雨水管、水道管、ガス管、電力ケーブル、通信ケーブルといったさまざまなライフラインが密集している。これらが個別に設計・施工されてきたため、空間的な干渉や相互影響が避けられない状況にあるのだ。例えば、上層にある管から水が漏れ出した場合、その水が下層にある下水道管や地盤に影響を及ぼす可能性がある。実際、複数のインフラが上下に交差する構造になっている場所では、一つの不具合が別の設備へと波及するケースもあるのだという。

「また、下水道の形式にも注目が必要です。日本の都市部では雨水と生活排水を一本の管でまとめて処理場に送る「合流式」と、雨水と汚水を別々の管で処理する「分流式」の二つの方式が用いられています。分流式は環境面では優れていますが、構造的に複雑になりやすく、地下の空間にも余裕が必要です。また、「分流式の汚水管は(雨水で希釈されないため)汚れの濃度が高く、下水が滞留しやすいため、管内に硫化水素が発生しやすいのではないかという指摘もあります」

 さらに、こうした複雑な構造が工事の際の誤掘削を引き起こす要因にもなります。設計図面が不正確だったり、情報がベテラン職員の記憶に依存していたりする現場も少なくありません。本来、地下のインフラは相互の位置や状態が一元的に管理されるべきですが、上下水道は国土交通省、農業用水は農林水産省、通信は総務省、電力は経済産業省と、縦割りの管轄が統合的な把握を困難にしています。


 このように、地下はカオスともいうべき場所で、そこに設置された下水道もまた、周囲の構造や管理体制と切り離せない存在です。下水道管そのものだけでなく、周囲のインフラとどう連動し、影響を与え合っているかを把握することが、事故の未然防止には不可欠です」

気候変動が加速させる劣化と「見えない圧力」

 まだ終わりを見せぬ猛暑でも顕著なように、近年の気象の変化も、これまでのインフラ設計の前提を揺るがしつつあるという。

「集中豪雨や台風の大型化が続く中、都市の下水道にも想定を超える水圧がかかる場面が増えています。一度に大量の雨が降ると、管の内部は急激に水で満たされ、設計上の流量をはるかに上回る圧力がかかり、継ぎ目からの漏水や管の破損につながる可能性があります。

 今夏の猛暑のような気温の変化も無視できません。真夏の猛暑日が増えると、地表温度が上昇し、それが地下10メートルほどまで伝わることが分かっており、これが下水道管に負荷をかけ、長年かけて劣化に繫がることもあります。気象変動の影響は局地的かつ断続的に表れ、こうした変化が下水道のような長寿命を前提とするインフラにとっては、ときに設計思想そのものを揺さぶる存在になります。

 下水道管の内側は普段、小川のように静かに水を流していますが、一度想定を超える流入が起きれば、複合的な現象が一気に起こり、事故に繫がるおそれがあります。しかもそれは、管の状態や点検の記録だけでは予測できない変化でもあります。今後は『いつ壊れるか』だけでなく、『壊れたときにどれだけの影響が出るか』という視点を、制度や管理体制の側にも組み込んでいくことが必要です」

流域下水道という「手負いの龍」

 八潮市で発生した陥没事故は、中川流域下水道という広域インフラの幹線で起きた。流域下水道は複数の市町村から排出される生活排水や工業排水を一つの大規模な処理施設で処理する「広域処理型」の下水道システムで、人口増加や産業活動の拡大に対応するために高度経済成長期に全国各地で導入された。埼玉県と大阪府は「東の埼玉」、「西の大阪」として、この先進的な広域処理の取り組みが注目を集めていたエリアだ。

「かつては先進的な広域処理のシステムとして注目を集めた流域下水道ですが、八潮の事故は、この広域インフラの弱点を浮き彫りにしました。事故発生後、埼玉県は中川流域下水道を利用する11市4町のうち9市3町、約120万人に対し、下水道の使用を自粛するよう要請しました。
生活排水の使用を控えるよう求められることは、都市生活において極めて異例の事態です。この要請は2週間にも及び、広域で下水処理を集約していることの影響の大きさが明らかになりました。

 流域下水道は運転コストや人件費を抑えられる強みがある一方で、今回のように幹線管にトラブルが発生すると、その影響は広範囲に及び、単独公共下水道と比べて復旧にも時間がかかります。特に処理場に近い幹線では、大量の下水が高速で流れているため、ひとたび破損が起きれば被害の拡大も早く、深刻化しやすいのです。

 下水道が機能不全に陥ると、私たちの暮らしには深刻な影響が出ます。単に排水を処理するだけでなく、「街を浸水から守る」「水環境を守る」「衛生的な暮らしを守る」といった社会生活の根幹を支える役割を担っているからです。八潮市の事故直後には、県が市民に入浴や洗濯の自粛を呼びかけ、衛生的な生活環境が一時的に損なわれました。また、塩素消毒のみを施した下水が新方川へ放流され、水質環境への影響も懸念されました。もしこの事故が梅雨や台風の時期に発生していたら、大雨によって雨水が適切に排水されず、地域一帯が内水氾濫に見舞われていた可能性もあります。

 中川・綾瀬川流域は標高10メートル以下の低地が広がり、洪水が起きると河川の水位が周囲の地面より高くなりやすく、水が流れ出せずに溜まってしまう特性があります。市街地化の進行により、雨水が地下に浸透しにくくなった結果、内水氾濫が発生しやすくなっています。流域の浸水想定区域は約210平方キロメートル、人口にして180万人、想定される被害額は約26兆円にのぼります。


 この事故は、目に見えない地下のインフラが、都市の暮らしを根底から支えているという事実を思い出させてくれました。流域下水道という地下に潜む龍は、その存在を忘れられ、老朽化と管理の難しさから『手負いの龍』となりつつあります」

制度の限界と持続可能性への問い

「下水道管発の事故を防ぐには、地下で起きている「静かな変化」をいかに早く察知できるかにかかっています。2015年の下水道法改正はそのための制度的対応でしたが、点検基準が整備されることと、それを着実に運用できるかは別の問題です。2040年代には建設から50年を超える老朽管が約40%に達する見通しの中、点検の対象区間は今後さらに増大します。

 加えて、腐食や老朽化だけでなく、軟弱地盤、埋設物の密集、気候変動による急激な雨量の変化といった複合的リスクも加わりつつあります。そのため、点検対象の選定には、耐用年数だけでなく、「事故が起きた際の影響の大きさ」「地下構造の複雑さ」「地盤の脆弱性」「気象の変動傾向」など、より広範な視点が求められています。

 しかし、点検を担う自治体や現場の体制は決して万全とは言えません。多くの自治体では技術職員の高齢化や定員削減により、専門的な知見を持つ職員が不足しています。点検には多大な作業工程と費用がかかり、特に中小規模の自治体では余力がなく、外部委託に頼らざるを得ない場面も増えています。財政面の課題も深刻で、点検費用が年間予算を圧迫し、補修工事の予算化が翌年度に回されるなど、対応が後手に回る例も少なくありません。

 そして、制度が整えば安心とは限りません。八潮で起きたことは、むしろ制度がきちんと機能しているとされた地域で起きた事故でした。
その意味で、この出来事は私たちに問いを突きつけています。制度は、どこまで私たちの暮らしを守れるのか。制度に『頼る』だけでなく、自らの足元に潜むリスクを『見つめる』覚悟が、いま必要なのではないか──と。八潮は未来の予兆だったのか。それとも、まだ選び直せる岐路なのか。この問いにどう向き合うかが、これからの下水道行政と都市インフラの在り方を左右していくはずです」

<取材・文/日刊SPA!編集部>
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