中国の新疆ウイグル自治区は、日本人にとってあまりなじみのない地域だろう。テロや暴動、強制労働、人権侵害などの報道を耳にするたび、“謎のベールに包まれた場所”というイメージを持つ人も多いのではないだろうか。

「未知の世界を見てみたかった」ーーそんな好奇心から新疆ウイグル自治区に興味を持ち、潜入取材を試みたのが、フリーランスライターの西谷格氏。

 先ごろ上梓した『一九八四+四〇 ウイグル潜行』(小学館)には、西谷氏が現地を旅し、見聞きし、感じたことがくまなく記されている。

 ジョージ・オーウェルの小説『一九八四』で描かれたディストピアを想起させる監視社会が実現している現状。さらには出国時に中国当局に拘束され、日本では拷問に該当する過酷な取り調べを受けた一部始終など、衝撃的な事態にも直面したようだ。

 常軌を逸した監視社会は日本でも起こりうるのか。本人に話を聞いた。

「新疆ウイグル自治区」で潜入取材を試みた記者が、“リアルに死...の画像はこちら >>

チベット自治区も旅行先の候補だった

——知られざる新疆ウイグル自治区の実情を自らの目で確かめた意義ある書籍だと感じました。西谷さんは中国事情に精通されていますが、どのような経緯で中国と関わるようになりましたか。

西谷格(以下、西谷):地方紙の新潟日報記者を経てフリーランスになり、週刊誌などに記事を寄稿していたのですが、少し仕事が途切れた時期に、たまたま上海の日本人向けフリーペーパーの編集者募集を目にしたことがきっかけです。大学の第二外国語で中国語を学んだことがあり、何となく面白そうだなと軽い気持ちで応募したところ採用され、2009年に現地に渡りました。15年に帰国するまで上海に在住し、現地をリポートしてきました。

——今回、新疆ウイグル自治区を訪れようと思ったきっかけは。

西谷:コロナ禍でしばらく海外渡航できなかったので、久しぶりに中国に行ってみようと思いました。


どうせなら思い出のある場所だけでなく、あまりなじみのない土地も旅してみたい。それで上海からチベット自治区か新疆ウイグル自治区まで足を延ばすことにしました。チベットはツアー旅行しか認められていないようでしたが、新疆ウイグルなら個人旅行が可能だったので、こちらを訪れることにしました。

自分の目と耳で現地を見てみたかった

——当初はどんな旅にしたいと思っていましたか。

西谷:新疆ウイグルは14年に友人と旅行したことがあったので、どのように変化したのか興味がありました。現地の人がどんな物を食べ、どんな生活をしているのかじっくり見たかったですし、近年は日本や欧米で新疆綿(新疆ウイグル自治区産のコットン)をめぐる強制労働の報道もあったので、自分の目で実情を確かめてみたい気持ちもありました。

 というのも、新疆ウイグルに関する既存の情報や報道は、あまりにも中国批判に偏っているように感じていたからです。中国に住んでいた時から中国には中国の価値観があり、日本や欧米の理屈では理解できないことは骨身にしみていました。だから伝聞ではなく、自分の目と耳で先入観を持たずに、現地を見てみたいと思いました。

身内すら信用できない監視社会は「現代のディストピア」

「新疆ウイグル自治区」で潜入取材を試みた記者が、“リアルに死を意識した”出来事…「拷問器具の横で30時間以上拘束された」
市街地には監獄のような建物も
——しかし、現地の人と交流を楽しむような 普通の旅行にはなりませんでした。

西谷:そうなんです。最初の驚きは、現地の人が何もしゃべろうとしないことでした。中国人は非常におしゃべり好きですし、10年前に訪れた時はウイグルの人たちも割とおしゃべりな印象がありました。年配の方はウイグル語しか話せなくても、若者の多くは中国語ができるので、政治的な話は避けたとしても、いろいろな身の上話くらいは聞けるだろうなと考えていました。
しかし、予想に反して、私が外国人というだけで雑談にも全く応じてくれず。びっくりしました。

——街には武装警察官があふれ、至る所に監視カメラが張りめぐらされていたようですね。

西谷:はい。身内すら信用できない監視社会になっていたと言わざるを得ません。まるでジョージ・オーウェルの『一九八四』のような状況で、現代にディストピアを作り出すとしたら、こうなるのかと感じました。雑談すらできないほど、人が人を信じられない社会の恐ろしさに心が寒くなりました。現地では過去にテロや暴動が起きているので、中国当局からすれば、そうするしか統治できない状況なのかもしれません。

 ウイグルの人たちに対する組織的な虐殺などは起きていないようでしたが、少なくとも大規模な拘束が行われ、漢族との同化政策によって固有の文化が薄まっているのは強く感じました。ギリギリの生存権だけを認めている植民地のような状況でした。それに対し、統治する側の漢族の人たちは、何も問題のないハッピーな世界になったと感じているようで、そのギャップがすさまじかったですね。

「自分の家族」の話をしてくれたウイグル女性

——書籍では、西谷さんが現地の人から強制収容所に関する話を何とか聞き出そうとする姿も印象的でした。

西谷:かろうじて雑談に応じてくれ、自宅にも入れてくれたウイグル女性が「私の夫も学習するところ(強制収容所)に入れられて、亡くなったんです」とポロっと語った時に、この旅で初めて本当の話を直接聞くことができたと感じました。
その女性はごく普通の一般庶民で、政府の批判をするわけでもなく、淡々と自分の家族の話として収容所の話をしてくれました。中国当局は「強制収容所は事実無根」と主張していますが、何らかの事情で大規模な拘束を行っていたことは明らかだと思います。

隣には拷問器具…一睡も許されない過酷な取り調べ

「新疆ウイグル自治区」で潜入取材を試みた記者が、“リアルに死を意識した”出来事…「拷問器具の横で30時間以上拘束された」
筆者が見たのも、これとほぼ同じ構造(人権団体「CHINA CHANGE」サイトより)
——そして、西谷さん自身も当局に拘束され、日本では拷問に当たる過酷な取り調べを受けました。

西谷:隣国のカザフスタンに出国する際に、中国では禁書になっている『新疆ウイグル自治区』(熊倉潤、中公新書)や、日本で行われた「反中デモ」の写真を持っていたことから30時間以上拘束されました。タイガーチェアという拷問器具が隣に置かれた状態で、深夜から一睡も許されずに取り調べを受けました。弁護士を呼ぶことも、日本大使館と連絡を取ることもできず、疲労と睡魔で感覚がマヒしていきました。しかし、「この状態が何年も続き、自分の人生はここで終わる」と死を覚悟したのは、はっきりと覚えています。リアルに死を意識したのは生まれて初めてでした。

——書籍では「その渦中というのは意外なほど日常と地続きで、とても平凡な出来事のように思えた」と書かれていますね。

西谷:皆さんもいきなり「あなたは無期懲役です」と言われたら、「はあっ?」ってなりますよね。それに近い感覚かと。「国家安全危害罪で最高刑は無期懲役だ」と言われても、冗談だと思うじゃないですか。でも冗談ではなかった。
何か効果音があるわけでも、決め台詞があるわけでもなく、淡々と事務作業のように取り調べが続き、いつになっても解放されず、横になることも許されない。日常と地続きのまま、いつの間にか変な世界に迷い込んでしまったような感覚でした。

「永久に入国させない」はハッタリか否か

——最終的に「5年間の入国禁止」を言い渡されたそうですが、この拘束によって自身の中国に対するスタンスに変化はありましたか。

西谷:「新疆での体験を世の中に発表したら、永久に入国させない」とも言われましたが、どこまで本当か分かりません。希望的観測かもしれませんが、現地の警察のハッタリかもしれません。ひどい目に遭いましたが、もう中国に足を踏み入れることができないかもしれないと思うと、ある種の望郷の念みたいなものが湧きますし、むしろ中国への思い入れみたいなものは強くなったかもしれません。我々の価値観で中国を批判して留飲を下げるだけでは、不健全で非建設的だと今でも思っています。中国の理屈を認める必要はありませんが、知った上で向き合わなければ、何も前に進まないのではないでしょうか。

言論の自由がない社会は他人事ではない

「新疆ウイグル自治区」で潜入取材を試みた記者が、“リアルに死を意識した”出来事…「拷問器具の横で30時間以上拘束された」
中国共産党を批判する日本ウイグル協会
——新疆ウイグルのような監視社会は日本でも将来起こる可能性はあると思いますか。

西谷:中国のような国家の安全のためならどんな犠牲もいとわないやり方は、日本では簡単には起きないと思います。しかし、言論の自由がなくなった社会を他人事だと思うのはよくない。日本でも間違ったパーツや条件が重なれば起こりうるかもしれません。

 国家レベルでは起きていなくても、誰も何も言えない、言わない方が得みたいな状況はブラック企業ではよくあることだし、ジャニーズの性加害問題も近いものを感じます。
「国家のため」「会社のため」など何か大きなことを持ち出し始めると危うい気がします。そういう意味で、私は参政党の言動を注視しています。野放図になっている外国人問題に一石投じた点は一理ありますが、独善的なスタイルが中国共産党とそっくりなので恐ろしさを感じます。悪いパーツの一つにならないか懸念しています。

<取材・文/中野龍 写真提供/西谷格>

【中野 龍】
1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿
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