首都圏以外にお住まいの方に念のため説明しておくと、東京駅から品川駅までは在来線でもほんの11分。新幹線を使えば7分しかかからない。運賃は前者が180円、後者が自由席で1,080円だ。
なぜ、6倍もの金を出して彼らは新幹線に乗り、すぐ隣の品川で降りるのか。わからない。何か特別の事情があるのだろうか。2017年6月、品川駅で4日間、張り込み調査を行った。
※本記事は、月刊誌『裏モノJAPAN』で掲載された「ごく普通の人々の暮らしや悩み、気になる行動を取材したルポルタージュ」をまとめた新刊書籍『調査ルポ この日本の片隅で』より抜粋したものです。
調査1日目:11時10分 東北新幹線に乗り仙台の息子夫婦に会いに行くつもりが
品川駅、東海道新幹線下りホームで待っていたところ、上品な身なりをした70代の女性が降りてきた。辺りをキョロキョロと見回している。何かあったのか。「突然すいません。東京から品川まで新幹線で来られたんですよね?」
「あー、うんとね、間違えて乗っちゃったの。
は? 東北新幹線と東海道新幹線を間違えたのか。でも、東北の切符で東海道の改札は通れないはずだが。
「そうじゃないの。“行って来い”しちゃったの」
なんでもこの方、新富士駅から仙台の息子夫婦に会いにいくつもりが、いざ東京駅で東北新幹線に乗り換えようとしたところ、どういうわけか「東海道の下り」に乗ってしまったそうだ。
「息子がホーム降りて、また上がるだけだから簡単だって言ったんだけど、やっぱり間違えちゃった」
その間違い方もたいがいなものだが、よく品川で気づいて降りられたもんだ。
「隣の方に聞いたら間違ってますよって。でも、私、ここからどうすればいいのかしら?」
もう一度「上り」に乗って再び乗り換えするしかなさそうだが、果たして上手くいくのか。
「駅員さんに聞くのが一番だと思いますよ」
「息子に電話したの。でも、そんなの自分で調べろって。孫を静岡まで連れてくるつもりだったのに、仕事が忙しいから仙台まで来てくれって。こんな年寄りなのにねぇ。お正月だってね……」
この後、延々と息子への愚痴が続いた。
調査1日目:15時40分 部屋の鍵をかけ忘れたかもしれない
ホームがスーツ姿のサラリーマンでごった返ししているなか、慌てて新幹線を降りる男性がいた。学生ぽい風貌で、スニーカーに私服。荷物は肩掛けバッグ一つだけだ。「あの、なぜ品川で降りられたんですか?」
「いや、ちょっと……部屋の鍵をかけ忘れたかなと思って」
「かけずに出てきたんですか?」
「いや、かけたって保証がないっていうか…」
ははあ、エアコンの消し忘れとかが気になるアレか。ま。エアコンなら電気代だけで済むけど、鍵の場合は下手すりゃ大おお事ごとだもんな。でも、こういうときって、たいがいちゃんとかけてるものなんだよな。わざわざ引き返す必要はないと思うけど。
「よくあるんです」
「というと?」
「気になって家に戻ることが多いんです」
この方、鍵のかけ忘れが気になると居ても立っても居られず、その都度、部屋に戻り確認しているそうだ。「実際にかけ忘れていたこと、ありました?」
「今のところないです」
ないのかい! それなら今回も大丈夫。という具合には考えられない心配性のようで、これから品川から30分以上かかるJR総武線の小岩(江戸川区)のアパートまで戻るらしい。
それで気が済むならいいが、こうした場合、切符の扱いはどうなるんだろうか。
調査2日目:10時34分 この歳で一人旅しても何も楽しくない
名古屋行きの「こだま」から初老の男性が降車して、ホームの柱にもたれかかっている。「つかぬことをお聞きしますが、どうして品川で下車を?」
「うーん、旅の途中かな。ぶらり旅です」
この男性、アテもなく新幹線に乗り、気が向いた土地で降りる自由な旅を画策しているのだが、1駅目の品川で降りてしまったそうだ。にしても早すぎませんか。
「面倒くさくなっちゃってね。静岡辺りまで行って美味いもんでも食おうかなと思ってたんだけど」
聞けば、昨年、定年退職したが、40年間仕事一筋で生きてきて、時間を持て余しているのだという。
「ずっと家にいると嫁さんが邪魔者扱いしてくるんだよ。特に趣味もないから、とりあえず新幹線に乗ってみたんだけど、すぐにこの歳で旅したって何も楽しくないって思ったんだよね」
お父さん、もっと早く気づきなさいよ。
「このまま帰ったら嫁さんにバカにされそうだから、適当に酒でも飲んでから帰るよ」
仕事を辞めたら、やること無し。どこか寂しげでした。
調査3日目:12時07分 奥さんを東京駅に見送りに来させて、これから愛人と密会
「のぞみ」から缶ビール片手に上機嫌の中年男性が降りてきた。「品川まで新幹線で?」
「え、そうだけど」
「なんで在来線、使わないんですか? 運賃も安いし時間もそんな変わらないじゃないですか」
「そうだけど、あんたには言いたくないね」
「お父さん、教えてくださいよー」
笑顔で粘ってみたら、案外すんなり答えが。
「実はこれから、羽田空港で女と待ち合わせなんだよ」
「あーそれは、良からぬ関係の相手だったりとか?」
「そう、不倫相手。ハハハ」
「でも、それなら新幹線になんで乗ったんですか?」
「出張するふりして嫁さんを騙すためだよ」
なんと、出張だとウソをつき、わざわざ奥さんを東京駅まで見送りに来させてアリバイを作ったのだという。
「前にバレちまったことがあって大変だったのよ。だから絶対バレないようにって、この作戦考えたの」
この手口が発覚したら、また次の方法を考えるつもりだと、男性は京急線方向へ急いで消えた。
調査3日目:18時20分 今夜こっそり彼女のマンションに行ってやろうと
キャリーケースを持った大学生風の男性が降りてきた。「東京‒品川間で新幹線を利用している人に取材してまして、今日はどんな事情が?」
「ああ、はい、まあその……」
言葉を濁してる雰囲気からして何かありそうだ。
「あの…実は彼女が浮気してるかもしれないんですよ」
話によれば、この男性は名古屋在住で、昨日東京に住む彼女の家に遊びに来たらしい。で、先ほど、彼女に東京駅で見送ってもらったのだが、この後、彼女が別の男と会うのではと疑い、品川までの切符しか購入しなかったそうだ。
「浮気を疑う何か証拠はあるんですか?」
「ないんですけど、もう付き合って3年になるんで雰囲気でわかるんですよ。なんか、いつもと違うなって。だから今夜こっそりマンションに行ってやろうと思って」
帰ったと思わせて、不意にピンポーンするってことか。勘違いならいいけど、そこに男がいたら修羅場になること間違いなし。
調査3日目:20時10分 大阪から営業に来たけど1本も契約が取れず、このまま帰るのが怖い
ホームに降りて、すぐベンチに座ったスーツ姿の中年男性が。かなりお疲れの様子だ。「今日はお仕事ですか?」
「せや。大阪から出張で東京まで来ててんけど、50軒回っても1本も契約取れんくてな。大阪帰るつもりやってんけど、しんどーて品川で降りてもうてん」
「営業関係のお仕事で?」
「美容院に北欧製のシャンプーやコンディショナー卸してて、今日は新規開拓に来たんやけど、やっぱ東京の人間は冷たいわ。ホンマどないしょ。啖呵切って出てきた手前、面目たたへんがな」
「素直に謝ればいいんじゃないですか?」
「いやいや、遊びに行っとんたんか! って怒鳴られるのがオチや」
「で、品川で降りてどうするつもりなんですか?」
「いや、まぁ切符も買うたし、大阪帰るんやけど、ちょっと休憩やな」
車内で休まないのは、だんだん大阪が近づくのが怖いかららしい。いずれにしろお疲れさまっす。
調査4日目:15時10分 東京‒品川間をキセルで往復する乗りテツさん
「ひかり」から降りて早足で歩く男性発見。歳はまだ20代前半だろうか。「東京から新幹線で来たんですか?」
「そうですよ」
「どうして、わざわざ品川で下車を?」
「往復してるんです。乗り鉄なんで」
乗り鉄とは鉄道に乗ることを趣味とする鉄道ファンのことだ。
「新幹線が好きなんですか?」
「はい。
なんでも、鉄道マニアの間では、在来線と比べすぐ目的地に着いてしまう新幹線は邪道とみなされてるようだ。その後も、彼は日本の新幹線がいかにすごいか熱弁をふるってくれたが、ほとんど理解できない。
「じゃあ、よく東京‒品川間を往復してるんですか?」
「うーん。最近は東北の方が面白いんで、東京‒上野間の方が多いですね。東海道より車両のカラーバリエーションがあって楽しいんですよ」
「でも、運賃もバカにならないんじゃないんですか?」
「あ、それは入場券使ってるんで。…そう、キセルです。バレるとヤバいんで、この時間帯だけですけど」
聞けば、平日の15時から17時は新幹線の本数が少ないので、乗務員のチェックも甘くなるらしい。そこで、駅員に目を付けられないよう、先頭車両と最後尾車両を交互に乗るよう心がけているのだそうだ。
「じゃあ。次があるんで」
罪悪感のかけらも感じてないようで、彼はそのまま足早に去って行った。
調査4日目:17時27分 彼氏と別れ話をするため静岡に行くつもりが、やっぱりやめた
旅行に向かう家族連れがホームに溢れかえるなか、若い女性が降りてきた。「あの、東京で新幹線に乗って品川で降りる人に取材してるんですが、少しいいですか?」
「どういう意味?」
「いや、品川で降りる方は珍しいなと思いまして」
「あーそういうこと。彼氏に会いに行くつもりだったんだけど、やっぱりやめたんですよ」
「どうしてまた?」
「うーん…どう説明したらいいかなぁ。その彼氏とは静岡の大学で同期で付き合って3年になるんですけど、私、卒業した後、この4月から東京の会社で働いてるんですよね。彼氏はそのまま大学院に進みました」
「てことは、今は遠距離恋愛ですか?」
「だったんですけど、つい最近LINEで別れようって言われて。でも、LINEだけで終わりにするのも、なんか気持ち悪いって、新幹線で静岡に行こうと思ったんですよ」
「それなのに、どうして行くの止めたんですか?」
「んー、直接会っても話すことなんか何もないなと思って。向こうとしてももう終わった話で、私に来られても困るだろうし」
「ずいぶん、あっさりしてますね。余計なお世話ですけど、3年も付き合ったんですよね。せめて理由ぐらい確認した方がいいんじゃないですか?」
「いや、もうどうでもいいです。途中で気が変わったんで、このまま家に帰ります」
品川までの7分間で何かが吹っ切れたのだろうか。新幹線の車内には人を冷静にさせる力があるのかも。
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<TEXT/「この日本の片隅で」調査隊>
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