BABYMETALは「水商売的」発言から論争に

 世界的に人気のアイドルグループをめぐり議論が加熱しています。「水商売的」な音楽とは一体何なのか――。

 海外のヘヴィメタル、ハードロックファンからも評価されている3人組女性ユニット「BABYMETAL」について、音楽評論家の湯川れい子氏が「水商売的」と評したことがきっかけです。


 この発言は2016年のピーター・バラカン氏の<あんなまがい物によって日本が評価されるなら世も末だと思います>との投稿(筆者註・現在は削除)を受けてのもの。

 湯川氏自身はかねてよりBABYMETALのことを<まるで卑弥呼のような彼女たちの強烈な美しさと若さに惹かれて>と称賛していたと明かしています。しかし、それは音楽そのものによるのではなく、あくまでも<ジェンダー的な、水商売的な評価>だとして、別種の感動であるとことわっているのです。

 これにミュージシャンの近田春夫氏も<全く湯川さんと同じ意見です>と反応しました。ところが、その後に改めて真意を説明する事態に。

 大枠においては湯川氏と見解を共にするものの、その表現には過剰な点もあったのでBABYMETALのファンを怒らせるのも理解できる、と説明し、謝罪する展開となりました。

炎上しているかと思いきや、実は…?

 そんなわけで、さぞかし炎上しているのかと思いきや、意外にもそうでもないようなのです。

 SNSやネットニュースのコメントを見ると、冷静な受け止め方が多く見られます。“ベビメタのファンだけど湯川さんは冷静に批評している”とか、“「水商売」という言葉に対する解像度の違いが批判を招いたのでは?”と、湯川氏の言葉を理解しつつ、ベビメタに対する好き嫌いがあるのも仕方ないというトーンで議論が展開しています。

 しかしながら、日本を代表する著名な音楽評論家たちが、そろってベビメタの音楽性に疑問符を投げかけた事実は小さくありません。

 なぜなら、他にも「水商売的」であるアイドルグループがたくさんあるにもかかわらず、そこには少なくとも音楽にまつわる興味が成り立つ余白があるからです。“あの曲はいいよね”とか、作詞家や作曲家たちの創作性を発揮する場となるようなヒット曲を生むのも、「水商売的」であるアイドルグループが持つ力です。

 たとえば、AKBには興味ないけど「恋するフォーチュンクッキー」だけはつい口ずさんでしまうとか、そういうことですね。


 では、BABYMETALはどうでしょうか? “神バンド”と称される超絶テクの演奏陣や、SU-METALのボーカルを褒め称える声は聞こえてきても、熱心なファン以外に彼女たちの曲を知っている人はほとんどいないのが現状です。

 確かに“神バンド”の演奏力は世界的に高く評価されているかもしれませんが、それと曲が文化的な記憶として残っていくかは別問題です。

BABYMETALの本質は「音楽」ではなく“ギャップ芸”?



 そう考えると、ベビメタの「水商売」が音楽の楽しみに関わるものではないことが浮き彫りになってきます。コンセプト勝負、見出しで目を引くギャップ芸だということです。

 本来ならばロン毛でヒゲを生やした大男がシャウトするようなサウンドに、アジアの少女の美声が乗る。その一点のみが特化された、極めてキッチュ(まがい物の意)なネタなのです。

 これは、音楽ではなく、一発芸を楽しむ感覚に近いのだと思います。“あんな小さな女の子がメタルを歌ってる!!”という意外性。そのアイデアが素晴らしいのであって、そこから先の音楽を味わうことまでは考えられていないし、また考えてしまうと魅力が薄れてしまうタイプの余興的な性格を持っているのです。

 したがって、今回問題となった「水商売的」という言葉の示すところは、BABYMETALのコンセプトが、人々の目を驚かせるための手段として音楽が使われていることへの批評だと理解することができます。

 もちろん、そうした芸風自体を否定すべきではありません。

 けれども、それと音楽との間に明確に一線を引くことも、また大事なことなのです。
その線引きを怠れば、日本のポップカルチャー全体がネタ頼みの安易さに流される危うさが生じるからです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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