―[あの日夢見た雲組]―
2023年6月15日、乃木坂46の公式ライバルグループとして結成した「僕が見たかった青空」(通称:僕青)。
同グループはセカンドシングル以降、シングル選抜システムを採用。
メンバー23人は、表題曲やメディア出演をしていく選抜の「青空組」と、ライブやイベントなどを中心に活動する「雲組」の2つチームに分かれて活動している。
この連載「あの日夢見た雲組」は、8月6日リリースの6枚目シングル「視線のラブレター」で構成された雲組単独公演のライブとともに、雲組で切磋琢磨するメンバーに注目していく。
「中途半端な自分が情けない」葛藤する毎日
8月27日、現体制の雲組メンバーである木下藍が9月末をもって、学業に専念するために活動休止することを発表した。東京都出身の16歳。僕青のなかで、ベイビーという愛称で可愛がられる笑顔がトレードマークの最年少メンバーだ。そんな彼女が加入して以降、葛藤していたのがアイドルと学業の両立だった。
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
「3年前に僕青のオーディションに合格してから、ずっとアイドル活動と学業の両立を目標にして活動してきました。でも、やっぱり現実はそんなにうまくいかなくて。朝起きて学校が終わったらレッスン場に向かって、帰宅したらダンスと勉強の予習復習。学校のテスト期間には、レッスンを休ませてもらうこともありました。
そういう生活のなかで次第に、『周りの子に比べて、アイドルも学業も中途半端な自分が情けない』と心が苦しくなってしまったんです。事務所と方と話し合うなかで、『休業という選択肢もある』という言葉をもらって決断しました」
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
“自分勝手な決断”に抱いた不安と恐怖
ずっと思い悩んで、決めた覚悟。それでもメンバーに伝えるときには「メンバー全員が僕青に貢献しようと必死で頑張っているなかで、自分勝手な決断をどう思われるのか……」と不安と恐怖しかなかった。
左から今井、萩原、木下
「でも発表しているときに、西森杏弥ちゃんや今井優希ちゃんが優しい顔で見守ってくれて心を落ち着かせて伝えることができました。
優希ちゃんは話してるときにずっと泣いてくれて、みんなからも『頑張ってね』と温かい言葉をかけてもらって涙が流れました」
6枚目シングルの雲組は12人で過ごす最後の夏。活動休止を公式発表したあと、木下のもとに届いた色紙には何百人の僕青ファンからのメッセージで溢れていた。だからこそ、「自信のないパフォーマンスでステージに立つのは嫌だ」と、苦手なダンスをイチから見直した。
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
「私はダンスのことでずっと悩んでいたんですけど、それをマネージャーさんに相談したらダンスの先生とマンツーマンレッスンを提案してくださって。そこからリズムトレーニングや基礎のステップの振りを教わって、何度も何度も繰り返しました。雲組単独公演を重ねるごとに色々な方から、『ダンスが上手になった』と成長を見てもらえて嬉しかったです」
雲組のためになにができるかを必死で考えた
また、リーダーの塩釜菜那が雲組に加入したことで、毎レッスン後に自分たちの課題や反省を話し合って共有する場ができた。木下も雲組のためになにができるかを必死で考えて行動した。
「雲組だけでステージに出られたということが嬉しかった」と振り返るTIF2025の舞台
「レッスンで先生に言われたことをメモしてグループLINEに送ったり、振りの動画で気になった点を意見したり。今までは他のメンバーがやってくれていたことも率先してやるようにしました。菜那ちゃんが積極的に意見を引き出してくれて、もっと雲組を良くしようと考える空気が強まったと思います。
セットリストに関しても『やりたいことある?』っていうことを聞いてくれて、それをスタッフさんに伝えてくれていました。受け身じゃなくて、毎公演を自分たちでも作り上げてきた実感があるから、より絆が深まった期間になったと思います」
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
体が弱かったからこそ、たくさんの人を助ける存在に
そう屈託のない笑顔を見せる彼女だが、幼少期には大きな病気を経験して歩くこともままならなかった。
「お母さんからは、大変な手術だったと聞きました。そのときに重い病気を抱える子供たちと同じ病棟で友達になって一緒に英語の本を読んだり、勉強したり、長い入院生活を送っていたそうです。
そんな経験があったから、退院してから両親は私に『やりたいことはない?』と聞いてくれて。習い事の絵画教室、ピアノ、英会話教室、バレエ、それから海外旅行など世界を広げてくれるような体験をさせてくれました」
左から、八重樫、木下、山口
そのなかで勉強や語学の面白さを知って、小学生の頃には全国模試で9位になったこともある。「やったらやった分だけテストの点数が上がっていくのに成長を感じられて、もっと勉強ができる環境にいたい」と、中学校受験にも挑戦した。
僕青のオーディションを知ったのは、中学1年生。テレビはほとんど見ない生活でアイドルの存在も知らなかったが、友達から話を聞いて「私の夢が叶うかもしれない」と胸が高鳴った。
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
「体が弱くてたくさんの人に支えられてきたからこそ、私もたくさんの人を助ける存在になりたいっていう思いがありました。アイドルは笑顔で元気と勇気を届ける。私のなりたい人物像に当てはまっていたけど、まさか受かるとは思っていなかったです」
ベイビーというあだ名の由来は……
僕青メンバーのお披露目会でステージに上がった途端、赤ちゃんのように大号泣して注目を浴びた。それがベイビーというあだ名の由来……、ではない。
超雲組単独公演HYPERの第一部で開演前のナレーションを務めた工藤と木下
「オーディション後に合格者たちが集まっていた部屋があって、『みんな何歳なの? 自己紹介してよ~』と私がうるさかったみたいで……。そのあとの合宿で、今井優希ちゃんと須永心海ちゃんが、ベイビーって呼び出したんです。
最初は『イヤだ~』って言ってたんですけど、気がついたらベイビーって呼ばれたら振りむくようになりました。でも最近は、あんまり呼ばれなくなったんですよ。
3年経って、大人になったってことですかね(笑)」
雲組メンバーからのリクエストで実現したメインメンバー
第二部開演前の円陣で公演への想いを語る木下
活動休止前のラストステージは、6枚目シングル雲組の集大成を見せる9月27日に開催した「超雲組公演HYPER」。公演前は、「ファンの方ともメンバーともしばらく会えなくなるのは寂しいです。でも、やっぱり最後は笑顔で終わりたい」と想いを込めた。公演前の円陣では、塩釜から意気込みを振られた木下の言葉に涙が溢れるメンバーの姿もあった。
現体制ラストの雲組公演を見届けるために集まった超満員のファン。2部(夜公演)では、「好きになりなさい!」で初めてメインメンバーを務めた。雲組メンバーからのリクエストで実現。その期待を受けて、「ステージに出る前は手足の震えが止まらないぐらい緊張しました」と振り返ったが、割れんばかりの声援と手拍子が彼女のパフォーマンスを後押しした。
僕が見たかった青空 僕青 木下藍
「ステージ袖で見ていたメンバーも褒めてくれて、嬉しかったです。ただ……、ラストの『好きになりなさい!』っていう決めゼリフを本当はもっと可愛く言いたかったんですよ~! 緊張と寂しい感情が混じって、強い口調になっちゃったのが心残りです」
成長した姿に「私自身が1番ワクワクしてます(笑)」
オリジナルメンバーで踊る最後の「虹を架けよう」
青春を駆け抜けた。ひと回りもふた回りも成長した彼女は、自分が掲げた目標に向かって突き進んでいく。ファンのなかには、「成長して帰ってきたらベイビーじゃなくなる?」という不安の声(?)もあったが、「ベイビーは卒業できるのかなぁ」と彼女は笑った。
「もしかしたら、めっちゃ大人になっているかもしれないし、このままかもしれないし。
ファンの方はどっちでいてほしいのかな~と考えながら、私自身が1番ワクワクしてます(笑)。もちろん同じメンバーとして、僕青がどうなっていくのかも見守ってますよ。だって、会えなくなるわけじゃないから。少しの間だけ、またね!」
終演後インタビューで「公演中は笑顔でいれたけど、お見送りのときにみんなが作ってくれたボードを見たりしていたら涙がこぼれちゃいそうで危なかったです」と木下
サクラサク、その時期が訪れるまで変わらぬ笑顔を心待ちにしたい。
【木下 藍(きのした あい)】2009年、東京都生まれ。ニックネームはあい、ベイビー。2023年6月15日に結成したアイドルグループ「僕が見たかった青空」(通称:僕青)のメンバー、9月末をもって学業に専念するため、活動の一時休止を発表。特技は英語で好きな食べ物はイチゴ。僕が見たかった青空としては、2025年12月17日(水)に7th SINGLEが発売予定。10月18日(土)には「僕青祭2025」がKT Zepp Yokohama(神奈川)で開催される。最新情報は公式HPをチェック
<取材・文/吉岡 俊 撮影/山田耕司(扶桑社)、山川修一(扶桑社)、林 紘輝(扶桑社)>
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