YouTubeチャンネル登録者数190万人を突破した「バキ童チャンネル」。
唯一無二の企画とキャラクターを活かした動画が支持される一方で、中心メンバーのお笑いコンビ、春とヒコーキが出会った青山学院大学・落語研究会についてのエピソード動画も強い人気を集めている。
そんな「青学落研の話」を、チャンネル出演者であり、青学落研出身者であり、春とヒコーキの学生時代からの友人でもある芸人・町田が綴っていく連載。
第22回は町田と旧知の仲である、春とヒコーキの2人について。
大学生時代のぐんぴぃと土岡
私が大学1年生の秋頃、ぐんぴぃは大学に来なくなった。オンラインゲームやオナニーに没頭するためや失恋、シンプルな怠惰など、様々な理由もあって、ぐんぴぃは家に引きこもりがちになっていたのだ。
ぐんぴぃの2年時の取得単位はほとんどゼロに近く、周囲の人間から見て、これはちょっと心配だなあという状態であった。
そんな中、大学終わりに土岡が「ぐんぴぃの家に寄って行こうよ」と頻繁に言うので、私たちはぐんぴぃの家によく遊びに行っていた。
土岡は落研以外に大学の友人がいなかったということもあり、家から出なくなってしまったぐんぴぃに何かしらシンパシーのようなものを感じていたのかもしれない。
今でこそ大変に柔和になった土岡だが、私が出会った当初は周囲に対して非常に壁を作るタイプであった。
しかし、土岡はぐんぴぃに対してだけは真っ先にくだけて接していて、いつのまにか仲良くなっていた。
引きこもり当時のことをぐんぴぃが振り返るとき、あの時はみんなに邪険に扱われたと不平を話すが、他人に対して気を遣いすぎる土岡にとって唯一ぞんざいに扱える相手だったからこそ、ぐんぴぃの前だけは素直になれたのではないか。
どんな相手でも折り目正しく丁寧に相対する土岡が、ぐんぴぃに対しては軽い暴力や、軽い暴言を吐くなど、のびのび振る舞っていてそれをぐんぴぃは笑って受け入れていた。土岡はそのことが嬉しかったのだと思う。
ぐんぴぃが留年したことで同学年になったことと、たまたま土岡とぐんぴぃが大学時代の4年間を全て同じ最寄り駅の家に住んだことで、相当な時間をともに過ごすことになった。
2人はめちゃくちゃに友人であった。
土岡が町田に打ち明けていたこと
土岡は引きこもりがちであったぐんぴぃと過ごしている時にたまに、「また落語やってくださいよ。やったら絶対にウケますんで」
と伝えることもあった。
ぐんぴぃはそう言われたときは大体において「そうだねぇやらなきゃいけないねぇ」のような感じで受け答えをしていた。
そうこうして土岡や私は2年生に進級し、ぐんぴぃは別に私たちのおかげとかでもなく、普通にまた大学に来るようになった。
ぐんぴぃは落語も再びやるようになった。
ぐんぴぃは着物の着付けがひどく下手だったので“おっぱいチラ見え落語”などのイレギュラーもあったが、落語をやったらやったでそれはそれは大層面白かった。
前年にやらかしをしてしまった合宿の落語会でも普通に一番ウケていたし。
土岡はぐんぴぃの面白さを何の気なしに私に話すことがあった。
「あんなに身の回りで面白いことが起き続ける人間はいないよなぁ」
「あの人ってものすごい華があると思うんだよ。あの人の顔ってさ、強制的にズームして見ちゃう感じがするよね」
土岡が就職の決まらぬまま大学を卒業してしまい、ニート生活を続けるなかで芸人になることを決意した時には、
「俺が人生で一番笑ったのはやっぱりあの人だから、一緒にお笑いやろうと思う」
そう私に話していた。
淵野辺での日々とバキ童チャンネル
大学時代にぐんぴぃと土岡が2人でお笑いの何かをやるということは一度もなかったが、土岡がお笑いをやるってなったらそりゃあぐんぴぃだよなあ、と私は何の疑問も抱かなかった。青学の相模原キャンパスの最寄り駅の何もない淵野辺駅で過ごしたあの余りにも無駄な時間は、ぐんぴぃや土岡にとって貴重で有意義なものであったのではないかと今になって思う。
ぐんぴぃは引きこもっていたことで膨大なインプットをしていた。土岡や私はぐんぴぃから多くのことを教わった。
映画や小説、アニメ、ネットのことやエロコンテンツについて。私たちは酒も飲まないし特に何の遊びも知らなかったので、そういったことを延々と話すことでたくさんの時間を過ごしていた。
そう思うと、淵野辺でのあの日々がバキ童チャンネルに通ずるところがあるような気もしてくる。
友だちのいなかった土岡と、家に引きこもっていたぐんぴぃの過ごした時間が、こうして今になって広く受け入れられる要因の一つになっているのだと思うと、当時を知る私としては非常に心にくるものがあったりもする。
あの日々があったからこそ、今の春とヒコーキがあるんだと私は思う。
―[振り返れば青学落研]―
【町田】
ぐんぴぃの友人。芸人としての活動もしている。@saisaisai4126