自民党総裁選(10月4日投開票)も佳境を迎え、他候補をリードする小泉進次郎が戦後最年少で総理大臣就任の可能性が高まっている。しかし、討論を避け守りに徹するその姿勢は、政治家としての資質に疑問が残る。
小泉進次郎の資質は一言、物足りない
先週号の本欄で、「総裁選の見どころは小泉進次郎氏がボロを出さないか否かだけ」と書いた。本項執筆時点で、大きな失速はしていない。TikTokを始めたら大荒れとなったが、まだ大勢に影響はない。永田町では、進次郎盤石の布陣とみられている。総裁選出馬の推薦人は、各派・衆参・老壮青・男女をバランスよく揃える。後見人が菅義偉元首相で、旧岸田派の木原誠二氏、麻生派の河野太郎氏ら幹部がつく。前回のライバルの加藤勝信財務大臣が選対本部長で、他に旧谷垣グループ領袖の遠藤利明氏に、野田聖子氏。出陣式には92人が集結。他の四候補が20~30人なので、圧倒的な勢いだ。党員からの支持も悪くない。
さて、その進次郎氏。戦後最年少、そして伊藤博文に次ぐ史上2位の若さの総理大臣の座が近づいている。
一言、物足りない。
小泉家は強敵と戦う一族。進次郎氏は一人だけ明らかに異質だ
あまり知られていないが、小泉家は強敵と戦う一族である。進次郎氏は四世議員だが、これまでの三人と明らかに異質だ。初代は、小泉又次郎。あだ名は、又さん。横須賀のとび職の親分で、堅気なのに背中に入れ墨をして、ヤクザと抗争していた。
自由民権運動に身を投じ、政界へ。市議、県議から、衆議院議員へ。政界では一貫して、改進党~憲政会~民政党の反権力の政党に身を置く。衆議院副議長や党幹事長、そして民政党が政権を獲ると逓信大臣。
又さんの娘婿が、純也。駆け落ちしたが、又さんに「代議士になるなら許す」と鹿児島県から立候補して当選。親子二人して、悪名高い大政翼賛会に抵抗していた。
戦後、純也は野党改進党に入党、父の地盤の横須賀から立候補。自民党でも常に非主流派の地位にいた。
特筆すべきは防衛庁長官時代。在任中に三矢事件が起きた。自衛隊が有事にどうするかを研究していたら、野党をマスコミが煽り「戦争の準備をしている」と集中砲火。(当時)佐藤栄作首相が防戦一方となる中、小泉長官は自衛隊を守り抜いた。
純一郎は一回も主流派で戦ったことは無い
三代目が御存知、純一郎。外交官を目指しイギリス留学中だったが、父の急死で急遽帰国。
そして、当選一回から九回まで、一回も主流派で選挙を戦ったことは無い。下位当選で生き残りつつ、ようやく当選六回でトップ当選かと思いきや、八回目は新党ブーム。小選挙区制に移行してからも、反主流派。十回目にしてようやく総裁派閥で戦えるかと思いきや、森喜朗首相の「神の国解散」で大逆風。常に苦しい選挙しか経験していないのに、政見放送で消費税導入、増税を平気で主張する。
「本物のヤクザ」「永田町の変人」
ある政治家が畏敬を込めて「小泉(純一郎)は本物のヤクザ。ずっと福田側近で田中角栄からびた一文もらわず大臣にもなれなかったが、筋を通し続けた」と評していたが、その反骨ぶりからついたあだ名が「永田町の変人」。政治改革ブームの際も、中選挙区制維持で山崎拓・加藤紘一とYKKトリオを結成して、最大派閥の経世会に反旗を翻した。私は消費税増税にも中選挙区制維持にも反対だが、小泉純一郎の一歩も引かない戦いぶりには感嘆していた。
主義主張ははっきりしているが、現実の状況に応じて、採るべき方策を選択できる姿勢は、「動物的勘」と称賛された。小泉内閣は女系天皇を推進したが、当時の安倍晋三官房長官の説得で、ギリギリで引き返した。一瞬の切り替えに、安倍氏の方が「まさか政治家がここまで進めてきたことを一瞬で覆すとは」と驚きを周囲に語っていたほどだ。
悲惨な票数で負けても政治生命を失わなかった
総裁になる前は、厚生大臣三回と郵政大臣の軽量ポストだけ。しかも、郵政大臣の時には辞表を叩きつけている問題児扱い。常に最大派閥の竹下派に挑み続け、一歩も引かなかったのが自慢。竹下派の橋本龍太郎、小渕恵三には二代続けて総裁選で挑み、悲惨な票数で負けているが、それでも政治生命を失わなかった。
顕著なのが橋本に挑んだ時の総裁選で、一騎打ちで電波ジャック。持論の郵政民営化を訴え続けた。他に憲法改正を訴え、ドサクサに紛れて「特定郵便局長十二万人にモノが言えなくて、創価学会六百万人の公明党に対峙できるのか」とか、凄いこと言ってた。自主憲法制定が持論で、かのハマコーこと浜田幸一代議士が、「ある日突然ウチらの勉強会にやってきて、英語で占領憲法の不可を滔々と説く奴がいた。
小泉進次郎は「銀のスプーンをくわえて生まれてきた男」
三度目の正直の総裁選では、「絶対に八月十五日に靖国神社に行く」と宣言、他の候補からできる訳がないと冷笑されたが、数々の抵抗を乗り越え、本当に行った。小泉内閣では郵政民営化と道路公団の改革で抵抗勢力と戦ったとの印象があるが、旧田中・竹下派とその背後にいる中国に喧嘩を売ったのだ。だから、しばしば「殺されたって良い」と口走った。
本当に命懸けで平壌に乗り込み、金正日に拉致を認めて謝罪させ、被害者を取り返してきた。
このように、小泉家は戦う一家なのである。
ところが、進次郎氏の経歴を見ても、戦っている姿が見えないのである。こういう人を昔は「銀のスプーンをくわえて生まれてきた男」と呼んだものだ。
進次郎氏、討論を避け、守りに徹して逃げ切るつもりのようだが、それで国際社会で戦っていけるのか。
―[言論ストロングスタイル]―
【倉山 満】
憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。