―[新日本プロレス社長・棚橋弘至のビジネス奮闘記~トップロープより愛をこめて]―

新日本プロレスの人気プロレスラーにして「100年に一人の逸材」と言わしめ、第11代社長(’23年12月就任)も務める棚橋弘至が、日々の激務のなかでひらめいたビジネス哲学を綴っていく。今回はSNS全盛の誹謗中傷時代だからこそ大切にすべきことについて。
棚橋社長はいったいどんな結論に至ったのか。(以下、棚橋弘至氏の寄稿)

全国で大ブーイング!唯一大声援を受けた思い出の地で感じたこと

 ’25年9月19日。巡業のバスに揺られながら、北海道の雄大な自然を眺めています。こうして、選手として北海道に来るのは最後になりそう。そう考えると、少しでもこの景色を目に焼きつけておきたい……と思いながら、すぐ寝てしまいました(笑)。

 新日本プロレスは9月に北海道シリーズを組みました。その名も「NJPW BATTLE LINE HOKKAIDO ~Road to DESTRUCTION ~」です。

SNS誹謗中傷時代に大切にすべきこと…かつて大ブーイングを受...の画像はこちら >>
 9月15日から10日間をかけて、登別市→旭川市→北見市(イマココ)→八雲町→栗山町→帯広市→札幌市と全7か所を回ります。

 道北の稚内市や、道東の釧路市などまだまだ行きたいところもありますが、北海道は広く、移動距離も長いので、今はこの規模がMAXということになります。

 北海道で思い出すことといえば、’06年に初めてIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)ヘビー級王者になったこと。

 もう一つは、初めてチャンピオンとして大会プロモーションに旭川に訪れた’07年のこと。旭川のちびっ子レスリングチームの皆さんの協力を得ながら、地元の新聞やテレビ、ラジオ出演。全力で取り組みました。


 当時の状況を少し説明しておくと、’06年に初めてIWGPヘビー級王者になり「これから僕が新日本プロレスを盛り上げていくぞ!」と希望に燃えていた時期でした。

 ……が、当時の僕は金髪にエクステをつけて、最高にチャラチャラしていた時期でもあり、日本全国の会場でブーイングされる毎日を送っていました。

 どこに行ってもブーイングだったので、打たれ強くはなりましたが、なかなか思いが伝わらない、という悲しい気持ちもあったのは確かです。

SNS誹謗中傷時代に大切にすべきこと…かつて大ブーイングを受けた時期に声援を送ってくれた人たちの共通点/棚橋弘至 vol.50
北海道は北見市の駅前を歩く、怪しい金髪ロン毛。もはや、歩くプロモーション ©新日本プロレス
 そうして、迎えた当時の旭川大会。僕の入場曲が鳴り、いつも通り入場すると、びっくりするほど大声援で迎えられたのでした。

 日本全国、唯一、旭川だけでした。えっ!? なんで?と、僕が一番戸惑いました。

 が、そこに、そのあとのプロモーション活動のモチベーションに関わる、重要なヒントがあったのでした。

 そう。会ったことがある、話したことがある。

 そうした少しの時間でも僕の人となりに触れてもらうことが、結果、応援に繋がるのだと……。

 昨今、SNSなどでの誹謗中傷や心ない書き込みが問題になることも多いですが、実際会ったことのある方に対しては、そういうふうにはならないように思います。


 不特定多数の方に届ける大きなプロモーションも大切ですが、こうした同じ目線でこそ伝わるプロモーションも大切なのです。

 試合のないオフの期間、日本全国でプロモーションする選手の姿が浮かびます。

 みんな! オフ返上で、頑張っておくれ(社長命令)。

今週のオレ社訓 ~This Week’s LESSON~

会ったことがある、話したことがある、それが応援に繋がる

<文/棚橋弘至 写真/©新日本プロレス>

―[新日本プロレス社長・棚橋弘至のビジネス奮闘記~トップロープより愛をこめて]―

【棚橋弘至】
1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)であり現役プロレスラー。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」。得意技は「ハイフライフロー」。身長181㎝ 体重101㎏
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