読売ジャイアンツ・田中将大投手が25年9月30日の対中日ドラゴンズ戦に先発登板。6回2失点のピッチングで今季3勝目を挙げ、ヤンキース時代の78勝と合わせ、日米通算200勝を達成した。
ジャーナリストの森田浩之氏は「先発完投型を体現した田中の記録は、野球界の時代の区切りとなる可能性が高い」と評する。(以下、森田氏による寄稿)

田中以降はもう現れない?

田中将大“日米通算200勝”達成の金字塔。「もう現れないかも...の画像はこちら >>
  巨人の田中将大投手が日米通算200勝を達成した。この金字塔を打ち立てる投手は、もう現れないかもしれない。現役で200勝に最も近いのは、188勝の石川雅規(ヤクルト)だ。しかし現役最年長の45歳を迎え、過去3シーズンは最多でも2勝にとどまっている。1990年以降、通算200勝を達成した投手は、日米通算を含めてわずか7人。投手の200勝と同じく打者の名球会入りの条件である通算2000本安打を達成した選手は、同じ時期に37人いる。ハードルは200勝のほうがはるかに高い。

 MLBでも状況は同じだ。今後200勝に手が届きそうな一番手はゲリット・コール(ヤンキース)。だが今年3月にトミー・ジョン手術(肘内側側副靱帯再建術)を受け、35歳で通算153勝のまま登板していない。

 なぜこれほど難しい記録になったのか。

 まず、投手の登板機会が大きく減った。
ローテーションが整備され、先発投手は中6日が基本となった。しかも分業化が進み、先発は100球前後で降板することが多くなったため、自身の勝ち星に結びつかない試合が増えている。

 田中はその流れに逆らい続けた。楽天時代の’11年には14完投で19勝を挙げ、’13年には8完投で24勝0敗という空前絶後の成績を残した。先発して試合終了まで自分で投げ切る投手を指す「先発完投型」という言葉はもはや死語だが、田中はこれを体現する最後の投手の一人だった。

最盛期に日本でプレーしていたら

 分業時代の今、先発投手の前には勝利の定義に関するルールも立ちはだかる。先発が勝利の権利を得るには最低5回までを投げることが必要だ。野球の形は大きく変わっても、この規定回数は減っていない。現代の投手にとって、5回は決して低いハードルではない。

 日本では、優れた投手がMLBに移籍することも勝ち星を重ねにくい要因となる。田中は日本でプロ入りから7年で99勝を挙げ、その後ヤンキースでの7年で78勝を積み上げた。MLBでの成績もさほど遜色ないように見えるが、20代後半から30代初めの最盛期に日本でプレーしていれば、さらに多くの勝ち星を重ねていた可能性はあるだろう。


 田中の記録が祝福され、高く評価されるべき最大の理由は、こうした野球を取り巻く変化の中で達成された点にある。200勝は、もちろん田中にとって偉大な節目だ。そして彼が最後の200勝投手になる可能性が高いことを考えれば、野球界にとっても一つの時代の区切りになり得る。

田中将大“日米通算200勝”達成の金字塔。「もう現れないかもしれない」投手の偉業を考察する
森田浩之
<文/森田浩之>

【森田浩之】
もりたひろゆき●ジャーナリスト NHK記者、ニューズウィーク日本版副編集長を経て、ロンドンの大学院でメディア学修士を取得。帰国後にフリーランスとなり、スポーツ、メディアなどを中心テーマとして執筆している。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』など
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