広末涼子の所属事務所がTBS「オールスター後夜祭」に抗議

広末事務所がTBS『後夜祭』に抗議。『水ダウ』演出家の“悪ノ...の画像はこちら >>
 悪ノリはどこまでなら許されるのでしょうか? 『オールスター後夜祭』(TBS 10月4日深夜)で、広末涼子の自動車事故をクイズのネタにしたことが波紋を広げています。

 問題となっているのは、「時速165キロを出したことがないのは?」という四択形式の設問です。大谷翔平、佐々木朗希、伊良部秀輝らの野球のピッチャーに混じって、広末涼子を選択肢に入れるというおふざけで笑いを取る趣旨です。


 その際、番組の司会者から、広末が事故当時運転していた車が時速165キロを出していたと報じられているとの説明までされていました。

 これがネット上で大バズり。かねてから悪ノリで人気を博してきた番組が、またまたファンの期待に応えたという受け止めが大半でした。

 ところが、これに対して10月6日に広末の所属事務所が抗議および名誉回復措置を求める旨、TBSに内容証明を送付する事態に発展したのです。

<報道・表現の自由は尊重されるべきものではありますが、他者の尊厳や人権を侵害する表現が許されるものではないことは言うまでもありません>との声明を発表しました。

 これを受けて10月9日にTBSが、広末の事故をクイズとして扱ったことが不適切だったと認めるプレスリリースを発表し謝罪に追い込まれた――。これが一連の経緯です。

このおふざけは「一線を超えてしまっている」理由

広末事務所がTBS『後夜祭』に抗議。『水ダウ』演出家の“悪ノリ”が一線を超えてしまった残念な理由
TBS『オールスター後夜祭’25秋』公式サイトに掲載された謝罪文
 筆者はこの一件を、放送当日のXのタイムラインで知りました。放送の画面をスクリーンショットで収めた画像とともに、“『後夜祭』、相変わらず攻めてる”という好意的なコメントとともに投稿されたポストに、多くのインプレッションが集まっていました。

 しかし、それを見た瞬間に、これはまずい、一線を超えているなと思いました。それは個人的な道徳的、倫理的な正義感によるものではなく、単純にこの番組の制作陣の視野が狭くなっているのではないかと感じたからです。

 まず、広末氏は事故後に双極性感情障害と甲状腺機能亢進症という病気を患っていることを公表しています。それが事故の直接的な原因となったかどうかはともかく、日常の生活に大変な不便と苦難を与え得る要素であることは、容易に想像がつきます。
番組の制作陣や出演者も、当然知っていたはずです。

 そうした事実があるにもかかわらず、芸人たちの大喜利的なネタとして揶揄し消費することに、一瞬もためらいを感じなかったのでしょうか。ここに疑問を抱かざるを得ません。

道徳的な問題である以上に…

 確かに、広末氏の事故はインパクトが大きかった。そして彼女のキャリアを振り返ると、他にも世間を騒がせるニュースをたくさん提供してきたことは事実です。その都度、一般の視聴者も興味本位でもてあそんできたことは否定できません。

 でも、そうした世間の空気をそのままパッケージングして番組という商品に転化し、公共の電波で流すこととの間には、とてつもなく大きな違いがあるはずです。わかりやすくいうと、学校や職場などで“広末が大谷の最速記録を抜いたぜ”などとおしゃべりするのと、テレビ番組というプロの編集者の目を通して流通する作品とでは、全くステージが異なります。

 しかしながら、『オールスター後夜祭』は、その「学校や職場での一般人のおしゃべり」と変わらないものを、プロの芸人と番組制作者による作品として発表してしまったわけです。

 だから、これは病気に苦しむ広末氏をネタにしたという道徳的な問題である以上に、むしろ職業意識に関わる問題なのです。

度々炎上する『水ダウ』とはわけが違う

『後夜祭』の演出とプロデューサーを担当した藤井健太郎氏は、『水曜日のダウンタウン』などでも多くの奇抜な企画で視聴者を楽しませてきました。その一方で物議をかもすこともしばしば。

 お笑いコンビ「インディアンス」(現・ちょんまげラーメン)の改名企画のときにも、ネイティブアメリカンによるいかにも実在しそうな団体が抗議してくるという、際どい演出で炎上したのは記憶に新しいところです。


 また泥酔して寝込んだクロちゃんが起きたら三途の川で亡き父親と対面するドッキリを仕込んだことも議論を呼びました。

 賛否両論はありますが、これらはまだ演者と藤井氏との間で、ある程度の信頼関係や笑いに対するスタンスを共有できているからこそ攻められるギリギリのラインだったかもしれません。(個人的にインディアンスはあまりにも国内向け過ぎるとは思いますが)

 だから、広末氏の一件はアウトなのです。藤井氏的なお笑いの論法において、信頼関係も何もない完全なる部外者であるにもかかわらず、広末涼子が無惨にも利用されてしまったからです。

 流儀があってこその悪ノリ。『オールスター後夜祭』が残した教訓です。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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