治療中に公表を決めた理由「早く言わせてほしかった」
ーー「昨年より体調を崩し、仕事に支障が出るようになってしまいました」と2月に休養を発表。その約4か月後、病名を明らかにされました。治療を続ける最中で、公表を決めたのはなぜですか。河本準一(以下、河本):病気について、世間に「理解してほしい」という気持ちが強かったからです。
自分としては言えない方が辛い、早く言わせてくれ、という思いでした。事前に医師とも相談した上で「復帰」や「完治」といった言葉は避け、「完全な復調の見通しが付くまで温かく見守ってください」という表現に落ち着きました。

ーー病気の公表後、周囲の態度に変化はありましたか?
河本:むちゃくちゃ変わりました。直接の知り合いでいうと、口調が優しくなったり、無駄に近寄ってこなくなったり。大きな声では言えませんが、「日頃からそうだったら良かったのに……」と思う方が、少なく見積もって200人はいましたね。
ーー’25年1月、ネット番組の生放送中に倒れたのが、病気発覚のきっかけだったとのこと。当時の状況を改めて教えてください。
河本:10年前から睡眠障害があり、ほかにも低血糖になると手がしびれてしまうなど、体調は日頃から万全でなかったんです。倒れた当日は常備薬を摂取せずに本番に臨んでしまい、放送が始まってからだんだんと手足にしびれを感じるようになりました。次に呼吸が浅くなり、そのままでは倒れそうだったのでいったん画面から外れ、そのまま救急車で病院に運ばれました。
ーーその時点で、メンタルの疾患という予感はあったのでしょうか?
河本:うまいこと呂律が回らなかったので、初めは脳に問題があると思っていました。
病院に運ばれて色々検査をしてみたところ、すい臓がんも違うし、糖尿病にも該当しない。最後に精神科の先生が病室に来て診てもらった結果、「うつ病」と判明したんです。パニック障害は、突然強い不安や恐怖に襲われ、動悸や心拍数の増加、息切れなどを伴うというもの。症状はそれ以前から出ていたのですが、そのタイミングであわせて診断を受けました。
どこにいてもネタのことを考えていた

河本:大きく変わりました。うつ病はよく、完璧主義思考が強い人や、責任感の強い人がなりやすいと言われます。
ーーテレビ越しには、いつも後輩に囲まれて面倒見が良いイメージがありました。
河本:無理をしてキャラを作っていた部分が大きかったと思います。食事は後輩に「連れて行ってください」と言われるから行っていただけ。本心としては、人におごるのもおごられるのも、すごくしんどかったです。本来は孤独が一番好き。だからこそ休養期間に入った時には、1人の時間を持てることが、何よりも嬉しかったです。
ーーお仕事についてはいかがですか。
河本:診断を受ける前は、どこにいても常にネタのことを考えていましたし、そうでなければプロの芸人と言えない、とも思っていました。出演番組を見ても、「ここができていない」「何でできへんのや」と考え、自分を追い詰めてしまう。そうした積み重ねがうつ病につながった部分もあったと思っています。
今は、仕事を「楽しむ」という目線をより大切にするようになりました。ビートたけしさんが以前、「1本1万の仕事なら100本分受けなければいけないが、1本100万の仕事なら、99本分は休める」と名言をおっしゃられていたんですね。自分も本数をこなすより、付加価値をつけて1本1本の仕事にしっかり向き合いたいと思っています。
休養期間に過ごしたマレーシアは「心の病院」

河本:そうですね。うつ病の中にも色々と種類がありますが、僕自身は「不安障害」「強迫性障害」の傾向が強かった。公園にいっても、人目が気になって仕方がなくなってしまったんです。
そんなとき、昔やっていた番組の中で「アジア住みます芸人」という企画があり、マレーシアに移住した後輩のことを思い出し、11年ぶりに連絡を取ったのを機に向こうに行くことになりました。日本からマレーシアまでは、飛行機で約6時間半ほど。医師に相談して帯同者はつけましたが、眠剤を飲んで起きたら到着していて、心配するほどではなかったです。
マレーシアの人口は約3350万人で、田舎に行けば海も山も川もある。多民族国家で、露骨なアジア人差別もない。治安が良く、人も親切で、まるで竜宮城のようなところでした。
ーー滞在中の時間は、どのように過ごされていたのでしょう。
河本:オンとオフを分け、バランス良く過ごすことを心がけました。例えば日本だと仕事がある前々日あたりからドキドキが始まるのですが、「今は仕事がない」と言い聞かせてなくしたり。マレーシアの人たちは僕のことは誰も知らないので、2週間滞在したら心がすごく楽になりましたね。
マレーシアは「心の病院」だと思い、今も通い続けています。ただ現実、先月の吉本の給料は月2000円で、食い扶持のことも考えていかなくてはいけません。今後はマレーシアと二拠点で仕事ができるような体制を作ろうと思い、準備を進めているところです。
自分に優しく、人に優しく、さらに自分にもっと優しく

河本:あまり先を決めない方がいいと思っています。目標を立てると「そうあらねばならない」という考えが出てきて、どうしてもしんどくなってしまうからです。
強いて言うならば、うつ病の講演はやりたいですね。病気になってから考えたことや、パニック障害の症状が起こった時の対処法など、お伝えしたいと思っています。

河本:自分に優しく、人に優しく。さらに自分にもっと優しく。これを心がけてほしいですね。恥ずかしいかもしれませんが、例えば鏡を見ながら自分に対して毎日「ありがとう」と言うだけでいい。日本人はとかく「自分を甘やかしてはいけない」と思いがちですが、それはかえってピリピリした空気を醸し出してしまうだけ。自分で自分にご褒美をあげる、という発想を大切にしてほしいと思います。
いつも後輩に囲まれ、笑いの絶えない生活を送っているイメージが強かった河本さん。それだけに、「おごるのもおごられるのも、すごくしんどかった」という言葉にハッとさせられた。いつもは笑顔で接してくれるので気づいていいないが、何気ないやり取りが責任感の強い相手を追い詰めていないかーーそんな視点でまずは日頃の言動を点検してみることが、社会全体でうつ病を防ぐ第一歩になるのではないだろうか。
<撮影/長谷川唯>
【松岡瑛理】
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部で編集・ライター。