世界中から「いのち」が集い、未来への地図が描かれた6か月の祭典――大阪・関西万博(通称「万博」)が、2025年4月から10月までの会期を終えた。
検討時期から紆余曲折を経た同イベント、まずはその軌跡を時系列で振り返ってみたい。


大阪・関西万博の主な経緯

2015年4月:大阪における万博誘致構想の検討が始まる。
2018年11月23日:国際博覧会条約を管轄する 国際博覧会局(BIE)総会にて、大阪・関西万博の開催地が正式決定。
2020年12月:万博の「基本計画」が策定され、開催テーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」が公表。
2025年1月19日:会場最寄りとなる 夢洲駅(大阪メトロ中央線)が開業し、準備整備がいよいよ最終段階に。
2025年4月13日:万博が正式に開幕。
前半期:入場者数は一日あたり数万人レベルでの滑り出し。
9月下旬以降:予約枠が満員となり、最終的な来場者数は約2,557万8,986人。
2025年10月13日:6か月の会期を終え、万博は閉幕。

このように、万博は長き誘致・準備期間を経て、世界158の国・地域および7つの国際機関が参加し、まさに「多様性の交差点」として務めを果たしたと言える。

この会場に足を運んだ作家の乙武洋匡氏は、車椅子利用者として国際的イベントを“体で感じる視点”から、その「場」で生まれた出会いと、そこで浮かび上がった社会のしるしについて、一つの提言をする(以下、乙武氏による寄稿)。

SNSでも路上でも……排外主義がはびこる中、万博が開催された意義

乙武洋匡氏が「車椅子視点で見た」大阪・関西万博の光と影。25...の画像はこちら >>
 大阪・関西万博会場のある夢洲駅に到着。人混みを掻き分けてようやくエレベーターを見つけたと思ったが、いったい何往復したら自分の番がやってくるのか予測もできないほど、車椅子とベビーカーが長蛇の列を成していた。会場内のトイレでも同様のことが起きていた。尿意を催してからトイレを探していたのでは大事故が起こりかねないほどだった。
最も残念だったのはフードコート。なぜか各店舗の注文する位置にはかなりの高さの段差が設けられており、車椅子ユーザーが一人では注文することのできない構造になっていた。

 何も関西万博を批判したいわけではない。私は実際に会場を訪れてみて、結果的には今回の万博は開催できて良かったと思っている。

 昨今、SNS上では排外主義的なメッセージが跋扈している。SNS上に限らず、在日外国人を標的にしたデモなど、路上でもヘイトスピーチと受け取られかねない活動が活発化してきている。経済的な苦境に喘ぐ人々が増加している所以だと理解はしているが、それでも歴史を振り返ると看過できない流れではある。そこに来て、今回の万博だ。

大阪・関西万博の会場から教えられたこと

 万博とは、万国博覧会の略称だ。多くの国々がひとつの会場に集い、それぞれの国の科学技術や文化・芸術を展示して、来場者に触れてもらう。

 今回の万博に参加したのは、158か国と7つの国際機関。おそらく、多くの日本人にとっては、「初めまして」の国が多かったことだろう。


 たとえば、中東のクウェート館。エレベーターは裏手にあったのでクウェート人の男性に案内してもらったのだが、「5年前にクウェートを訪問したよ」と話しかけると非常に喜んでくれ、自分の胸元からピンバッジを外して、私の胸元につけてくれた。記念にツーショットも撮影してもらった。人間とは単純なもので、これだけでクウェートという国への親近感が増してしまう。もしも、SNSや路上でクウェート排斥のメッセージを目にしたら、とても悲しい気持ちになってしまうだろう。おそらくはこの半年間、会場のあちこちでそうした出会いがあったのだろうと思うのだ。

 また、日本で国際的イベントを開催する上で最大の弱点と言われてきた語学力も、今回の万博では不安がなかった。海外にルーツがあると思われる若い世代のボランティアスタッフが多言語を操り活躍していたのだ。“彼ら”の中には、まさに批判の的となっている“移民”の子や孫もいるだろう。

 交ざり合うこと。そして、もうすでに交ざり合っているという事実。大阪・関西万博の会場から教えられたことは、少なくない。


乙武洋匡氏が「車椅子視点で見た」大阪・関西万博の光と影。2500万人が体験した未来への地図と課題
乙武洋匡
<文/乙武洋匡>

【乙武洋匡】
1976年、東京都生まれ。大学在学中に執筆した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。ニュース番組でMCを務めるなど、日本のダイバーシティ分野におけるオピニオンリーダーとして活動している
編集部おすすめ