6月20日から無期限活動停止中の国分太一(51)が、その発端となった日本テレビによる『ザ!鉄腕!DASH!!』の降板の判断などについて、同局に手続きの誤りがあったと主張。日本弁護士連合会(日弁連)の人権擁護委員会に人権救済を申立てた。

同様の事例は36年前まで遡る

国分太一が日テレの降板判断に異論「聴取は誘導的だった」。三浦...の画像はこちら >>
 芸能人が不利益を被った場合、刑事か民事で訴えるケースがほとんど。過去の芸能人による人権救済の申立ては、百恵夫人(66)がワイドショーなどから常軌を逸する取材攻勢を受けた三浦友和(73)くらいだ。1989年だった。また、このときの申立て先は日弁連ではなく、法務省の人権擁護局だった。

 国分の場合、法的な問題を争うわけではなく、日テレの対応によって人権の侵害を受けたと考えていることから、日弁連に申立てるようだ。芸能人と人権の問題は三浦夫妻の時点で止まっていたが、法律で裁けないコンプライアンスの問題で、芸能人がペナルティを受ける時代になったため、今後は人権が問われるケースが増えるだろう。

 国分の代理人を務めるのは日弁連前会長の菰田優弁護士。2010年には高嶋政伸(58)が前妻でモデル・美元(45)に離婚を求めた民事裁判で、高嶋側の代理人となった。この裁判は高嶋側が勝訴した。

国分と日テレ、双方の主張

 菰田弁護士が『週刊新潮』(10月30日号)の取材に答えたところによると、国分側の核心部分の主張は次の通り。
①国分はコンプライアンス違反と指摘された事実については深く反省している。
②6月18日に行われた日テレ側弁護士2人によるハラスメント行為の聴取は誘導的だった。
③聴取後、どの行為がコンプライアンス違反に当たるのか具体的な説明が日テレからなかった。菰田弁護士の見解によると、国分の行為は犯罪ではない。

④国分はコンプライアンス違反に関係する人の特定につながるような発言や調査内容の公表を日テレから止められた。このため、会見など対外的に説明する機会を得られなかった。

 6月20日に行われた日テレ・福田博之社長(63)の会見も振り返る。要点は以下の通り。こちらも元財務事務次官で企業法務を専門とする真砂靖・非常勤取締役(71)や顧問弁護士たちと協議の上で対応した。

①番組を降板させる。本人も了承し、「申し訳ない」と言っている。
②ハラスメントの内容や被害者の名前を伏せるのは弁護士と話し合ってのこと。
③刑法に関わる問題ではない。
④監督官庁の総務省にも報告した。

争点となるのは日テレの判断、妥当性

国分太一が日テレの降板判断に異論「聴取は誘導的だった」。三浦友和・百恵夫人以来36年ぶりの異例対応、人権救済申立ての行方は?
©産経新聞
 主な争点は「日テレの聴取の方法や降板の判断は適切だったのか」「日テレが調査内容を伏せるよう国分に求めたのは妥当だったのか」「日テレの手続き全般は正しかったのか」。

 日テレは福田社長の会見後、一部マスコミがコンプライアンス違反の内容を明かさなかったことを強く批判したため、親会社の日本テレビホールディングスが外部の弁護士らによるガバナンス評価委員会を設置し、全対応を検証した。その結果、「(対応は)適切なものであった」とする意見書をまとめている。


 国分側が問題視しているのも番組降板の妥当性や手続きの正当性。日テレによると、コンプライアンス違反の内容を伏せることについては国分も事前に了承していたという。理由はもちろんプライバシーの保護である。国分にも関係者にも当てはまる。

 双方ともに大物弁護士が付いた。ここで忘れてはならないのが、弁護士は法律のプロだが、裁判官ではない。ともに依頼者の利益を優先する。それは芸能人が過去に起こしたトラブルでも分かる通りである。

審査の今後の進展は?

 日テレによる聴取や手続きは録音や文書が残っているに違いない。それを参考にすると、ある程度、事実が浮かび上がるはずだ。ただし、国分の申立てを人権擁護委員会が受理するとは限らない。申立てはまず簡易審査にかけられる。ここで予備審査を開始するか、しないかが決められる。


 簡易審査を通過しても予備審査が通らないこともある。予備審査を通過すると、やっと本調査に入る。このため、申立てから本調査が終わるまでには数年かかることも。日弁連が誤った判断を下すわけにはいかないからだ。調査と検討には十分時間をかける。

 仮に日テレの対応が国分への人権侵害だった場合、人権擁護委員会が警告などの措置を行う。ただし、強制力はない。罰則などはないのだ。くしくもテレビ番組をジャッジする放送倫理・番組向上機構(BPO)と同じである。

 また、人権擁護委員会が和解の斡旋を行うこともある。国分と日テレの場合、コンプライアンス違反の程度やお互いの感情もあるだろうが、もともとビジネスパートナーだから、和解の可能性はあるはずだ。

家族のプライバシーが脅かされた三浦夫妻

 三浦夫妻の場合、2人が1980年に結婚すると、マスコミの過剰取材が始まった。
三浦の著書『被写体』(1999年)などによると、1987年の夫妻の東京都国立市への転居後、新居内の盗撮が起きた。

 母子家庭で育ったこともあり、百恵さんは同居する母親を慈しんでいたが、その母親への突撃取材もあった。そのせいで病弱な母親は日課の散歩に出られなくなってしまった。

 百恵さんが自動車教習所通いを始めると、今度は追い掛け取材が連日続いた。5歳になった長男・三浦祐太朗(41)が幼稚園に入ると。その入園式にも取材陣が殺到。祐太朗は怯えて泣き始めた。異様だった。

 苦悩した三浦は芸能関係者から法務省の人権擁護局の存在を教えられる。三浦は芸能人のプライバシーの問題を受け入れてくれるかどうか半信半疑だったが、所属芸能プロダクションの代表が人権擁護局に向かった。

 その結果、取材陣は一人残らず消えた。人権擁護局がマスコミに対し、改善を求める勧告を出したからだ。
やはり強制力はないが、マスコミにとって人権侵害の烙印を押されることは途方もなく重い。

 三浦夫妻の件で人権擁護局が迅速に動いたのは、有名人だったからではないだろう。2人へのプライバシー侵害は社会の一大関心事だった。国分の件にもプライバシーが絡む。だから、コンプライアンス違反の公開を望む声があろうが、軽々には判断できない状態だ。

 人権擁護局への人権救済申立ての手続きは、日弁連の人権擁護委員会とほぼ同じ。調査の上、人権侵害に当たるかどうかの判断が下る。人権侵害と求められると、勧告のほか、当事者間の調整などが行われる。

 コンプライアンス違反やハラスメント問題など法律で割り切れない問題が芸能界で増えた。世間と同じだ。パワハラの認定やペナルティの判断が曖昧なところも一緒である。

 もはや芸能人は何をやっても許される存在ではないが、一方で人権も守られなくてはならない。
人権擁護委員会、人権擁護局に芸能人が頼る機会は増えるに違いない。<文/高堀冬彦>

【高堀冬彦】
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
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