その一方で、彼女は中学3年生になる一人娘の“母親”でもある。娘さんは小学生の時から友田さんの職業を知っており、「お母さん、凄いんだね」と言ってくれるほど、良好な母娘関係を築いているそうだ。
「娘のメンタルの強さに助けられてきました。巣立たれたら絶対に寂しいと思う」
デビュー秘話、一度引退した理由、娘さんへの想いをありのままに語ってくれた友田さん。このインタビューから、セクシー女優であり母親でもある一人の女性の“リアル”が見えてくる。
借金を抱えてにっちもさっちもいかなくなった
「借金を抱えてにっちもさっちもいかなくなっちゃったんですよ。お金を借りたのは、私ではなくて当時同棲していた彼氏だったんですけど、名義が私になっていたんです」
——めちゃくちゃ悪い男と付き合っていたんですね……。
「借金だけでなく、浮気もDVもありました。本当に悪い人でしたね。どうにかしなきゃと考えた時に、お金を取り戻すために彼にしがみつくよりも、関係を解消して泥沼から抜け出すことを選びました。
家を引き払い、勤めていた会社を辞めて、いったんすべてをリセットすることにしたんです。
——抵抗感はなかったのですか?
「最初はそういう大人のお店にいこうと思ったんですよ。でも、求人雑誌を買って読んでみたら、セクシー女優のカテゴリがあって、接客サービスをするよりも、こっちの方がイイかもしれないと思いました。出演すれば周りからももてはやされるだろうし、心身が健康でいられる気がしたんです」
——知人への身バレについての心配はありませんでしたか?
「バレたとしても別に悪いことはしていないし、事情が事情なのでしょうがないじゃんって感覚でしたね。『やるならやっちゃえ!』みたいな(笑)。
ちなみに、うちの親はまだ知らないままなんですよ。もう80代なのでネットニュースを見ることはないから、こういうインタビューは受けているんですけど、紙媒体はリスクが高いので今も遠慮させてもらっています」
5年間の育児休暇の後に業界に復帰
——2010年に一度、惜しまれつつ引退していますね。「どうしても妊娠がしたくて、一回けじめをつける形で辞めることにしたんです。翌年に女の子を出産して、そこから5年間は育児休暇を取って、特に何もせず平和に暮らしていました」
——そして2016年に電撃復帰を果たします。なぜ再び戻ってこようと思ったのですか?
「引退したといっても、SNSは続けていたので完璧に消えたわけではなかったんですよね。奈加あきらさんの緊縛イベントには、モデルとして年に1、2回は出演していましたし、作品に出ていないだけという感じ。お世話になったメーカーさんの忘年会にも出席していたので、業界との繋がりは途絶えてなかったんですよ。でも復帰の理由は……正直、特にないんです(笑)」
——なかった(笑)! だとしても、何かしらのきっかけはありましたよね?
「強いて言えば、娘の成長でしょうか。幼稚園に入ってからは手がかからなくなってきたし、専属女優であれば撮影が月1回だから、それくらいの時間なら捻出できるし」
——意外と子育てママさんにとってはコスパの良い仕事かもしれないですね。
「とはいえ、辞める=戻らないつもりではいたので、やっぱり迷いましたよ。でも、表舞台から引っ込んだ後、ずっと寂しい感覚があったんです。子育ての幸せはもちろん感じていましたが、仲良しの女優さんたちがキラキラ輝いている姿を見て、自分もまたやってみたいなと思ったのは確かです」
娘から突然言われた「お母さん、ウソついてるでしょ」
「15歳です。中学3年生になりました。たまに『思春期だから放っておいて』なんて言われることもありますが、基本的には仲良しです」
——娘さんは友田さんの仕事のことは知っているのですか?
「はい。正確には“知っていた”ですね。小学校5年生の時に、もうすでに知っていると発覚しました。私は仕事の話を娘に伝えるのが怖かったので、もう少し分別がつく年齢になってから言おうと思っていました」
——どういう経緯でわかったのですか?
「ある日、車の中で急に『お母さん、ウソついてるでしょ』と言われたんです。『何のこと?』と聞いたら、『仕事のこと』と。その時は誤魔化したんですけど、もう一回聞かれたんです。さすがに私ももう認めて『こういう名前でやっています』と、すべて白状しました」
——娘さんはなぜ知っていたのでしょうか。
「いつ、なぜバレたのかについては、今も教えてくれません。でも、小学生だったあの時期だから、好奇心もあって、率直に聞いてくれたんだとは思います。
——かなり想定外だったわけですね。その後、友田さんの仕事のことについて、娘さんが言及したことはありますか?
「娘がお友達の女の子に私の写真を見せたことがあるんです。そしたらその子が『私、この人のこと知ってる』って言ったらしいんですよ。なんでも私のSNSをフォローしていて、前々から私のファンだった、と」
——なんですか、その奇跡的な偶然!
「その子にとって、私は救世主みたいな存在だったらしいです。事情はよくわからないけれど、私のことを心の拠り所にしてくれていたみたいですね。結果的にそのお友達が“友田真希”をすごくポジティブなものにしてくれて、娘が『お母さん、凄いんだね』と言ってくれるようになりました。
でも、その後はお友達の何人かに私の話をして引かれるといった経験をしています。かなり凹んだ日もあるみたいですね。それでも、何かあれば絶対に私に話をしてくれる。娘のメンタルの強さにとても助けられていると実感しています」
——娘さんが巣立った後の生活については考えていますか?
「想像もできないですね。
「辞める」とは絶対に言わない
「そうなんです。私もキャストとしてお店に立っていますよ。今年で53歳なんですけど、女優業も含めてまだまだ現役で頑張っていこうと思っています」
——女優業はいつ頃まで続けるつもりですか?
「とにかく続ける、ということしか今は考えていないですね。それに私は『辞める』って絶対に言わないと決めているんですよ。一度引退してからの復帰なので、必要以上にファンの皆さんやスタッフさんたちをザワつかせてしまいそうで……」
——「もしかしてまた復活するかも?」みたいな、あらぬ憶測を生みそうではありますね。
「でも、言葉として言わない代わりに急に消えることはあるかもしれない。
——例えば、病気を患ったり?
「そうですね。もしも病気になったとして、さすがに闘病のことまで曝け出すのは難しいかな、と思っています。“友田真希”が公(おおやけ)のものという意識は持っているんですけど、どこまで発信するべきかの線引きはしておかないといけないですよね」
——そういえば、最近の友田さんのSNSはわりとプライベートな話を控えているような印象があります。
「SNSには娘の監視が入っているんで、ヘタなことを投稿できないんですよ。前に人間ドッグのことをチラっと書いたら、すぐに『ちゃんと予約したの?』と聞かれてしまいました(笑)」
——お母さんの体のことまで気遣える、本当にいい娘さんじゃないですか。
「でも、健康面や体力面は、もう五十路も超えたのでどこまでが限界なのかはわからないですね。ここまできたら撮影現場で人生を終えてやろうかとも思っています。スタッフさんたちに看取ってもらおうかな。迷惑すぎるけど(笑)」
——それはスタッフさんたちが困っちゃいますよ(笑)。
「それくらいの覚悟をもって、この仕事に挑んでいると思っていただければ。来年にはデビュー25年目に入るので、この機会に何かしら大きなことができないか構想中です」
——ありがとうございました!
<取材・文・撮影/もちづき千代子>
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