女性と見紛うようなボーカルIZAMのビジュアルは世間に衝撃を与え、デビューシングル『Melty love』は88万枚の大ヒット翌年に発売した1stフルアルバムはミリオンセラーを記録し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのデビューだった。
しかし、そんなデビューから3年後にバンドは活動休止。メンバーはそれぞれソロ活動に進むも、デビュー当時ほどの露出をすることはなくなっていく。
それから月日が流れ、IZAMは現在どのような活動をしているのか。また、あの当時をどんな思いで過ごしていたのか。本人を直撃した。
デビューから数カ月は1~2時間しか寝られなかった
ーーデビューされた1997年当時、テレビで見ない日はなく、音楽雑誌の表紙にずらりとIZAMさんが並んでいました。やはり、忙しさは相当なものでしたか?IZAM:そうですね。僕はもともと10時間くらい寝る人だったんですが、デビューから数カ月は1~2時間しか寝られない日が続きました。
ーー「売れた」と実感した瞬間はありましたか?
IZAM:メジャーデビューの後、わりとすぐに海外に行ったんですよ。次の曲のレコーディングとMV撮影のために。なので、日本の状況はわかりませんでした。
ーー日本では、テレビや雑誌はもちろん、原宿の看板がIZAMさんだらけになる広告展開も強烈でした。
IZAM:そこまでのことと知らずに日本に戻ってきたので、事務所に行くため普通に山手線に乗ったんです。渋谷駅に降りたら、修学旅行生に「IZAMさんですよね」と声をかけられたんです。それをきっかけに周囲の人も「あ!IZAMだ!」となって、数千人くらい集まってしまって。
ブレイク当時は「給料制」だった
ーー大パニックですね。IZAM:意味がわからなかったですね。僕が戸惑っていたら、警察の方が来てくださってパトカーに乗せられて事務所まで送ってもらいました。
ーーとてつもない大ヒット。インディーズ時代に比べると、収入も数十倍~数百倍になったんではないですか?
IZAM:実は、給料制だったので、一番忙しかった時も一般企業の課長~部長クラスのお給料だったんです。
ーーなんだか、大金を逃しているような…。
IZAM:でも、おかげで売り上げチャートが下がってきた時も「経済的にヤバい!」という経験は、ありがたいことにありませんでしたね。
「すぐ終わっちゃう」と危惧した
IZAM:それだけではなく、危機感がありましたね。当時いた事務所は、僕たちが初めてバラエティ番組などに沢山出ていく一般層向けのバンドだったんです。
ーーお笑いの世界でよくある「一発屋」みたいな感じですかね。
IZAM:そうですね。事務所にも「このままじゃ危ない」とは言っていたんですが、デビューしたての若造の意見だったので、なかなか聞いてもらえませんでした。
ーー大人の方々にとっては「今がチャンス!」という感じですもんね。
IZAM:実際、デビューから時間が経って、売り上げが出なくなってきたときにも、違う路線も提案してみたんですが、なかなか受け入れてもらえなく「“あのIZAM”で行け」という感じで。その時の葛藤は苦しかったですね。
ーー消費し尽くされる恐ろしさ。
IZAM:そうしたこともあって、「一旦止めないとすべてが終わっちゃう!」と思って、バンドを一度止めて、事務所もやめてソロをはじめました。
ジャッキー・チェンに憧れていた
ーー2000年にSHAZNAが活動休止して、ソロとして音楽を続けるかたわら、俳優としての出演も始まりますね。IZAM:僕は子どもの頃からジャッキー・チェンに憧れていたから、俳優志望でもありました。「音楽で売れれば俳優の仕事もできる」と思っていて。
ーーもともとは俳優志望だったのは意外ですね。
IZAM:俳優の仕事をするようになって、「常にお芝居ができる環境を作りたい」と思って劇団も作りました。年間で7~10本公演するハイペースな劇団だったんですが、コロナで公演もできなくなったり、キャパの半分しかお客さんを入れてはいけないというルールもできて、採算的にも大変になりましたね。
コロナ後に再開しようとしたんですが、世間の皆さんはもう演劇やコンサートにお金をかけない生活に変わってしまっていたんです。復活後、4作くらいやりましたが、全て赤字。大変でしたね。
30年で変化した世間の「感覚」
IZAM:僕はデビュー前、髪の毛を膝くらいまで伸ばしていたせいで、アルバイト先もなかなか決まりませんでした。
ーー今は、アルバイトでも髪型の制約が緩くなりましたよね。
IZAM:だけど、ある酒屋さんが配達のアルバイトとして雇ってくれたんですが、働き始めてからも「気持ち悪い奴が配達してる」と言われたこともありましたね。僕もお店に対して申し訳ない気持ちになったんですが、店主の方は僕を守ってくれたし雇い続けてくれたんです。
ーーその意味では、IZAMさんが社会の価値観を変えるのに、ひとつのアイコンになっていたとも言えるかもしれませんね。
IZAM:数年前に、新宿2丁目に遊びにいったんですが、お店に入るとそこのママが「きゃー!神が来たー!!」って大喜びしてくれたんです。近隣のお店のママたちも集まって来て「神が降臨されたー!」って喜んでくれて。話を聞いたら、みなさん学生時代に、それぞれのセクシャルについて気持ちも不安定だったみたいなんです。今以上に、社会的にも認められていなくて、親にも言えなかった人もいました。
ーー今より、差別的な見方も強かったですしね。
IZAM:その頃に、僕がテレビなどに出て来たのを見て「男なのにこんな格好してる人がいる。これでいいんだ!」と思えたという方がたくさんいたんです。何人もの方に、「あなたがいたから、今自分に自信を持って生きていられるんです」と言ってもらえて。それをできただけでも、やっていてよかったかなと思いますね。
「IZAM」と「SHAZNA」のこれからは?
ーーSHAZNAは2001年に活動休止、再結成するも2009年に解散しています。しかし、再々結成を経て、ここ数年は原点回帰のような動きがあるように見えます。IZAM:デビュー当時のメンバー2人とは、何年も前から「僕らの原点だから、もう一度やりたいね」という話はしていました。コロナが広がって一度は保留になっていたんですが、コロナ明けから立ち上げ直している感じです。
ーー2人のメンバーもずっとソロを続けていたんですか?
IZAM:活動休止後、2人とも人前に出る活動をしてはいたんですが、いつの間にかやめてしまっていたようで、復活前は何もしていなかったみたいですね。今は、ツアーに向けてしっかりと準備しています。曲目も、1997~2000年で開催したツアーを再現して、国内5都市・南米3か国を巡ります。
<取材・文/Mr.tsubaking>
【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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