2024年11月、組織や企業に属さず、個人として仕事を請け負うフリーランスを保護する「フリーランス新法」が施行され、約1年が経った。フリーランスが働く業界はクリエイティブ系やIT系をはじめ多岐にわたっているが、雇用形態や職種が違えば、どのような仕事をしているのかが互いに見えづらい。
そこで本連載では、さまざまな職種で「フリーランス」として活動する人々を取り上げる。現在の働き方を選んだ経緯や、日頃の仕事内容とあわせて、価格設定や交渉術などにも目を向けることで、「仕事が循環する仕組み」をどのように作っているのか掘り下げたい。
今回紹介するのは、ヌードモデルとして活躍する咲月さん(28)。’22年6月、会社で働きながら兼業で有償のモデル活動をスタート。’24年6月に山口から東京に上京し、事務所に所属しない「専業ヌードモデル」としての活動を本格的に開始した。
長い黒髪に眼光鋭い独特の雰囲気が写真家の注目を集め、’25年8月には、自身初となるデジタル写真集『咲月 そのヌード、煌々と光り輝く』(小学館)も発売した。順風満帆にキャリアを重ねているようだが、「専業ヌードモデル」として活動できるようになるまでには、自身の摂食障害や親との確執など、いくつもの障壁があったと語るーー。
卒アル撮影も逃げ回るほどの「写真嫌い」だった
「上京後、芸能事務所から何度か所属のお誘いをいただいたのですが、多くは『ヌードをやめる』ことが条件でした。
ヌード作品の撮影では、スタジオかラブホテルを使うことが多い。マネージャーもいない状態で、男性カメラマンとラブホテルの個室で1対1になるのは、怖くないのだろうか。
「ラブホって実はすごく“撮影向き”なんです。室内はレトロ調だったり、『映える』場所が多く、頭や体が濡れれば、ドライヤーもタオルも全部揃っています。今のところ危ない思いをしたことはありませんが、いざという時に備えて、合気道は習っています」
昔から大胆な性格だったわけではない。幼い頃は人見知りで、写真を撮られるのは苦手。「卒業アルバムの撮影でも逃げ回るぐらいでした」と苦笑いする。芸能活動に関心はなく、山口県防府市内にある商業高校を卒業した後は、県内のケーキ屋にパティシエとして就職した。
ダイエットのために豆乳しか飲まない日々
華やかなイメージを持っていたものの、いざ働き始めると朝は4時起き、クリスマスなどのイベント前は缶詰も当たり前で、工場勤務のような環境に体がついて行かず、1年も経たないうちに退職。その後は建設や医療関係の企業に勤めた。事務職で運動の機会が少なかったことから、社会人になって始めたのがバドミントンだ。趣味とはいえ、1日9時間ほどを練習に費やす熱の入れようで、1年後には中国大会にも出場が決まった。
好きな運動ができずにストレスを感じていたのに加え、今まで通りの体型維持が難しくなったことから、ダイエットを始めた咲月さんは、拒食症へと陥って行く。
「はじめ、炭水化物を抜くダイエットをしたら1週間半で4キロぐらいポンと体重が落ちたんです。そこからは競技復帰よりも体重を落とすことが目標になり、しまいには豆乳しか飲まない生活になりました。めまいや肌荒れに悩まされたほか、常に空腹を感じ、夜に眠れなくなることもありました」
最も痩せていた時期の身長は158センチ、体重は36キロほど。摂食障害とあわせて、気分の高揚と落ち込みを交互に繰り返す「躁うつ病(双極性障害)」も発症した。「精神科にも二度ほど足を運んで、精神安定薬をもらいました。ただ依存するのが怖くて、薬は持っているだけでした」と話す。
兼業モデルの収入が本業の収入を上回って……
「いきなりのヌード写真はリスクで、最初は悩みました。
撮影は「相互無償」という条件だったが、承諾の上、山口から東京に飛行機で渡り撮影に臨んだ。最初は一度きりのつもりだったが、完成物を見て「写真が苦手な人間もこんなに綺麗に撮ってもらえるのか」と感動し、モデルの仕事に本格的に関心を持つようになる。
「当時は会社員で、初めモデルは無償でいいと思っていました。ただ撮影された写真をSNSにあげていたら、何人の写真家の方から、有償の撮影依頼をいただいたんです。そこで中国地方を拠点に、依頼に応じて東京や大阪にも遠征する『兼業モデル』として活動を始めるようになりました」
1年9か月ほど続けた結果、モデルの仕事だけで月20~30万円の収入が得られるようになった。本職の事務職で得られていた給与は月15万円前後。この時点で、会社員の倍以上の収入が得られていたことになる。
仕事を家族に打ち明けると…
専業としてやっていく決心を固めたのは、とあるカメラマンの言葉がきっかけだった。「日本では、ヌードよりグラビアの方が需要が高い。それで将来的に海外での活動も視野に入れていると話したら、海外仕事も多い知人のカメラマンに『なのにまだ山口にいるの?』と言われてしまったんです。東京にいた方が海外も含めて仕事の幅が広がるよ、と。悔しかったのですが、図星だなと思いました」
上京するタイミングでヌードモデルの仕事について家族に打ち明けたところ、両親からは勘当されてしまったという。
「その時は県内で一人暮らしをしていたのですが、『実家に戻るか、縁を切ってモデルを続けるか』の二択を迫られました。ただ親に打ち明けた時点で、すでにSNSには過去のヌード作品が出回っていた。今やめれば過去の自分を全否定することになると感じ、最終的には縁を切る道を選びました」
シミもシワもたるみも、ヌードでは全部美しい
「最も大きいのは、ありのままの自分を肯定できること。若さがとかく重視される社会で、アンチエイジングや整形に走る人たちの気持ちは自分もよくわかります。でも写真では、シミもシワもたるみも、全部美しい表現になる。最近では自分でセルフポートレイトも撮り始めているんですが、もし人生の末期に入院することがあれば、病室で自分のヌード写真を撮りたい。それを最後の作品として残したいと思っています」
上京後、モデル活動に専念できる環境になってからは、摂食障害や躁うつ病の症状も落ち着き、穏やかな毎日を送っている。ただし、身体そのものを仕事の道具とする以上、そこには美しさだけではない現実もある。後半では、ヌードを「仕事」として成り立たせるための、咲月さんなりの工夫や取り決めをフォーカスする。
【咲月】
1997年、山口県防府市出身。
<取材・文/松岡瑛理 撮影/植田真紗美>
―[フリーランスも知らないフリーランスの稼ぎ方]―
【松岡瑛理】
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部で編集・ライター。 Xアカウント: @osomatu_san
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