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高市早苗総理が「連立政権」と明言する自民党と日本維新の会の政権。しかし維新は「閣外協力」を宣言し、閣僚を一人も送り出していない。
果たしてこれは本当に「連立」なのか——。NHK党議員の国会質問によって明らかになった政府の公式見解は、驚くべきものだった。平成の政治混乱期の事例と照らし合わせながら、「連立」という言葉の曖昧さと、そこに潜む政治の本質を問う(憲政史研究科・倉山満氏による寄稿)。
維新の「閣外協力」を「連立」と呼べる理由が政府見解で明らかに...の画像はこちら >>

「複数の政党によって構成される内閣」

 高市早苗自民党総裁(総理大臣でもある)は、日本維新の会との「連立」政権を組んでいる。しかし、当の維新が「閣外協力」を宣言し、大臣だけでなく、副大臣・政務官を含めた政務三役を一人も送り込んでいない。遠藤敬国対委員長を元の職と兼任のまま、内閣総理大臣補佐官として送り込んでいるだけだ。

 さて前回も述べたが、これは「連立」なのかどうか。多くの人が疑問に思っている。

 この点、NHK党(編集部注:執筆時)の齊藤健一郎参議院議員が問い合わせ、政府より公式の見解を引き出してくれた。以下、私が理事長兼所長を務める(一社)救国シンクタンクが協力して作成した問い合わせ文を解説する形で、ご紹介したい。

 問い合わせ内容は、現在の高市早苗内閣は、自由民主党と日本維新の会による「連立」政権なのか。

 法令用語研究会編『法律用語辞典』(有斐閣、’20年)の「連立内閣」の項によれば、「複数の政党によって構成される内閣」である。法令用語研究会とは、内閣法制局の職務経験者による研究会のこと。
内閣法制局は、日本政府の法令解釈を司る役所である。

「閣外協力」なのに「連立」と呼べるか

 自由民主党と日本維新の会は、首班指名以前から「連立」政権樹立に向けての協議を行い、「連立合意書」を締結した。しかし、日本維新の会は「閣外協力」を宣言している。メディアでは「連立」との用語も使われている。一方で「閣外協力」は「連立」ではないとの意見も散見する。これまでの一般的用法及び法律用語としては、「閣外協力」と「連立」は別の概念であった。高市内閣において維新が「閣外協力」であるのは誰もが否定しない事実であるが、これを「連立」と呼んでよいのか。従来の概念通り、「連立」と「閣外協力」は別概念であるならば、その旨の回答をいただきたい。逆に、従来の概念と違い、今次「閣外協力」を「連立」とするのであれば、やはりその旨の回答をいただきたい。その場合は、理由もお願いしたい。

 以上の説明の上で、日本国憲法下の事例を調べ上げ、検討の参考に付した。

 ここでは、はっきりと「連立」を宣言し大臣を出しているような事例(最近までの自公連立)ではなく、解釈が曖昧な事例を並べた。これらは、平成初期に集中している。


 平成5(1993)年、細川護熙非自民連立政権が成立した。次いで離合集散の末、翌年に羽田孜非自民連立政権が成立した。しかし政権は数か月にして、自民党と社会党と新党さきがけによる連立の村山富市社会党政権に移った。

「連立」を宣言せず、閣僚を出していない事例

 さて、検討すべき事例は、大きく分けて2パターン4例ある。

 第1のパターン。「連立」を宣言せず、閣僚を出していない事例。

 羽田内閣は、6党2会派の連立政権であった。前の細川内閣の与党であった日本社会党は、正式に連立離脱を宣言した。一方、新党さきがけと新党みらいは、閣外協力を宣言。この両党は与党とは看做されなかった。今の日本維新の会の「閣外協力」を「連立」ではないとする根拠となる事例である。

 第1のパターンの2例目として、村山内閣での自由連合の例がある。自由連合とは、徳田虎雄代議士が設立した政治団体である。
徳田代議士は自民党の現職代議士と激しい選挙戦を繰り広げていて、自民党への入党を拒まれていた。しかし、実質的な自民党政権である村山内閣で、沖縄開発庁政務次官に登用された。この時期、「自社さ連立政権」とは普通に使われたが、「自社さ自連立政権」と呼んだ者は、一人もいない。

 政務次官(今の政務官)を出していても「連立」と呼ばれないのに、今の維新はなおさら「連立」と呼べないとする理屈もありうる。

「連立」を宣言しながら、閣僚を出していない事例

 第2のパターンは、「連立」を宣言しながら、閣僚を出していない事例である。

 その一例目が、細川内閣。七党一会派の「連立」の中で、民主改革連合は政務次官を出したが、閣僚は出していない。続く羽田内閣でも閣僚を出さず、政務次官のみだった。しかし、「連立」の一角と看做された。

 二例目が、社会民主連合(社民連)である。社民連は細川内閣で大臣を出したが、続く羽田内閣では閣僚も政務次官も出さなかった。しかし、「連立」と看做された。

 今の日本維新の会と最も近いのが、羽田内閣の社民連の事例だ。
大臣も政務官(政務次官)も出していないが、「連立」を自認している。

 社民連の場合は衆議院議員4人の小政党で、内閣が変わった際に、大臣も政務次官も他の政党に譲ったという事情である。

 今の維新は、衆議院34人と参議院19人の政党なので、社民連と同一視するのに違和感がなくもないが、形式論としては同じである。

高市総理が「連立政権」と述べているから

 以上の問い合わせに対する、内閣総務官室の回答である。

 法的な定義は無い。その時々の内閣が表現されているものである。例えば高市総理の所信表明演説で「日本再起を目指す広範な政策合意の下、自由民主党、日本維新の会による『連立政権』を樹立いたしました」と高市総理が「連立政権」と述べているので、「連立」となるものであると考えられる。

 要するに、「当事者がそう言えばそうなる」とのことである。法律用語ならば義務や責任が伴う。しかし、今回の場合で言えば「連立合意書」の約束を破っても、法律で罪に問われる訳ではない。

 ちなみに羽田内閣の社民連の例だが、大臣も政務次官も出さなかったが、内閣と運命を共にした。

 日本維新の会が自民党と運命を共にするか否かは、法律によって強制されるものではなく、当事者である政治家の判断によるのみ。


 政府から「連立は法律用語ではない」との答弁を引き出せた。ひとえに、齊藤議員のご尽力による。

 政治において「法律ではない」とは「有権者が許してくれるなら何をやっても良い」の意味である。

 有権者の責任が、最も重い。

※週刊SPA!2025年11月18日号より

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【倉山 満】
憲政史研究家 1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本中世史』(扶桑社新書)が発売後即重版に
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