脳の病気や加齢の影響などによって、記憶や判断力といった知的な働きが低下し、日常生活に支障をきたす状態を指す認知症。厚生労働省が2025年に公表した推計によれば、65歳以上の5人に1人が認知症を発症するとされている。
いまや、誰もがなりうる「国民病」といっていい。
認知症になると財布や通帳をどこに置いたか思い出せず、家族を疑う。外出したまま帰り道がわからず、警察に保護される。数年前の出来事を、まるで“昨日のこと”のように繰り返し語る――。本人も家族も、少しずつ“日常”を蝕まれていく。

多くの認知症は一度発症すれば、完全に元の状態に戻すための治療法が確立されていない。だからこそ、予防が何よりも大切だ。

「スマホを使うことで脳が若返り、認知症の予防につながります」

そう語るのは、約1万人の認知症およびその予備群の脳を診てきた経験を持つ、金町駅前脳神経内科の院長・内野勝行氏だ。なぜスマホが脳の若返りに効果をもたらすのか。その理由を、内野氏の臨床経験をもとに探っていく。

外出や交流が少ないと、スマホが刺激になる

「スマホを使うことが高齢者の認知症予防に」脳神経内科医が語る...の画像はこちら >>
ーー著書『退屈ボケの処方箋 脳はスマホで若返る』では、「スマホが認知症予防のカギになる」と主張されています。近頃ではスマホ依存の問題点などが盛んに報道されているだけに、認知症の予防効果があるという視点は斬新でした。

内野:認知症の最大のリスク要因は、「暇」と「退屈」です。
新聞を読んで、散歩して、昼寝して、晩酌して、テレビを見ながら寝る――。一見、自由で穏やかな老後の生活に見えますが、脳にとっては刺激の少ない日常にすぎません。

単調な生活が続くと、脳が活性化する機会が減り、物忘れが進むのは当然の結果といえます。脳を若々しく保つために最も重要なのは、「新奇体験」です。新しい刺激や体験は、心地よさや意欲に関わる神経伝達物質であるドーパミンの分泌を促し、脳を若返らせる効果があります。

ところが現代では、新奇体験を得ることが意外に難しくなっています。加齢とともに外出や交流の機会が減り、人との関わりが少なくなるほど、脳に入ってくる刺激は限られてしまいます。そんななかで、スマホこそが、高齢者にとって誰にでも手に入れられる“強い新奇体験”になりえます。

ーースマホが「新奇体験」になるのですか。

内野:私たち現役世代からすれば、スマホは日常の一部であり、もはや当たり前の存在です。しかし、高齢者にとってはいまだに「難しい」「怖い」などと敬遠されがち。だからこそ「新奇の体験」になりえるのです。


スマホの最大の価値は、「検索できること」です。加齢によって脳は「荷物でいっぱいの物置」のようになります。そこで、スマホを“外付けの記憶装置”として使えば、情報をすべて脳内に保持しておく必要はありません。ど忘れしたことも、検索やカメラ、メモ機能を使えばすぐに補えるのです。

認知症治療に必要なのは薬ではなく「予防」

「スマホを使うことが高齢者の認知症予防に」脳神経内科医が語る“スマホが意欲を引き出す”仕組み
スマホ


ーー認知症の診療現場で感じてきたことがあればお聞かせください。

内野:認知症は、年齢とともに発症率が高まる病気です。テレビや新聞でも頻繁に取り上げられるようになり、「最近、物忘れが増えてきた」「もしかしたら認知症かもしれない」と不安を抱えて受診される方が、毎日のようにいらっしゃいます。

ーー認知症は早期発見が大切だと言われますから、「物忘れが増えた」と心配して病院を受診するのは、むしろ良いことのようにも思えます。

内野:たしかに認知症の治療においては、早期診断と予防が何よりも重要です。ところが、「認知症かもしれない」とあれほど恐れていたにもかかわらず、いざ予防の話になると、途端に実践してくださらない方が少なくありません。その理由が、高齢の患者さんからよく聞く、「認知症になったら、薬を出してください」という一言に集約されていると思います。

ーー薬に頼れば治ると思っている方が多いと。

内野:これもよくある誤解です。
多くの認知症は一度発症すれば、完全に元の状態に戻すための治療法が確立されていません。現在使われている治療薬は、神経伝達を一時的に補う補助的な手段にすぎず、病気の進行を根本的に止めることはできないのです。だからこそ、予防となる生活習慣の改善が大切になります。

私は、認知症を発症するとどのような変化が起こるのか、そしてご家族がどれほど大変な思いをされるのかを、日々の診療の中で痛感しています。そのため、できる限り懇切丁寧に説明を尽くします。それでも、聞く耳を持ってくださらない方には、「頭がよくなる薬はありません」などと厳しい言葉を使うこともあります。

ーー相当お怒りになるんじゃないですか……?

内野:もちろん本心ではありませんし、ちゃんと理由があります。人は年齢を重ねて脳が萎縮してくると、大脳の働きが弱まり、相対的に「大脳辺縁系」と呼ばれる、本能的で原始的な感情を司る部分の活動が強くなります。つまり、高齢になるほど「怒り」の感情が前に出やすくなるんです。だから、私はあえてその感情に訴えて発破をかけるようにしています。「若造にこんなことを言われて腹が立つでしょう。だったら、しっかり予防していきましょう」と。


高齢者世代が“スマホ依存”に陥るリスクは低い

ーーそこで「スマホを認知症予防につなげる」という冒頭の話につながっていくわけですね。先生のクリニックでは2025年6月にはスマホを長時間使いすぎることで記憶力が低下し、認知症のような症状が現れる「スマホ認知症外来」を全国で初めて開設されていますが、スマホには依存や情報の偏りといったリスクも指摘されています。

内野:もちろん、スマホにはリスクもあります。自分の好みの情報ばかりが届き、他の意見が見えなくなる「フィルターバブル」という現象です。たしかに若い世代では、好みの情報が次々と流れてくることでドーパミンが過剰に刺激され、スマホ依存に陥る危険性があります。しかし、高齢者の場合は事情が異なります。ドーパミンの分泌量がもともと少なく、集中が長く続かないため、依存に陥るリスクは相対的に低いのです。むしろ、ドーパミンが不足しがちな高齢者にとって、スマホは意欲を引き出す有効な刺激になります。いわば、高齢者の弱みが、むしろ強みとして働くのです。

ーースマホがシニア世代の“脳のリハビリ”になるということですか。

内野:スマホの利点は、検索にとどまりません。オンライン講座の受講や趣味の共有、家族や友人とのつながりなど、社会的交流を活発にする力があります。
こうした社会的な刺激は、孤立や抑うつを防ぎ、認知症予防の効果をさらに高めます。

家族以外の他人と会話をすることは、共通の前提が少ないぶん認知負荷が高く、脳にとって良い刺激になります。SNSでの言葉のやり取りは社交性の維持に役立ち、「言葉のフレイル(言葉の衰え)」を防ぐ効果もあります。また、退職後に承認の機会が減った高齢者にとって、ネット上での交流や知識の共有は、承認欲求を満たす場にもなります。

ーー社会との関わりを持つこと自体が、脳の健康に影響するわけですね。

内野:その通り。認知症予防には「きょういく(今日行く)」「きょうよう(今日用)」が必要だといわれます。これは、“今日行く場所”や“今日やる用事”を持つことで、自分が社会とつながっている感覚を保つという考え方です。私はそこに、さらに「教育」「教養」といった学びの意味も重ねています。SNSや趣味のコミュニティは、まさにその「きょういく」「きょうよう」をデジタル上で実現できる場といえるでしょう。

さらに、VRやYouTubeで旅行や美術館、映画などを体験することも効果的です。懐かしい場所や音楽に触れることで、かつての思い出がよみがえり、気持ちが穏やかになることがあります。
こうした「昔を思い出す」働きを活かした心理的アプローチを「回想法」といい、たとえばGoogleマップのストリートビューで昔住んでいた町を眺めるだけでも、記憶が呼び覚まされ、脳の活性化につながります。

事実、デジタルデバイスを日常的に使用している高齢者は、そうでない人に比べて認知症の発症率が3割以上低いという報告もあるほどです。

ーースマホを使い慣れない高齢者に向けて、アドバイスがあればお願いします。

内野:テクノロジーの恩恵をもっとも大きく受けられるのは、若者でもミドル世代でもなく、実はシニア世代なのかもしれません。年齢に関係なく、学び、挑戦し続けることこそが脳のトレーニングであり、できなかったことができるようになるたびに脳が若返ります。難しく考える必要はありません。まずは「写真を撮る」「家族にLINEを送る」といった、身近なことから始めてみてください。

<取材・文/櫻井カズキ>
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