女子プロレス団体「スターダム」への入団を発表したフワちゃん。プロレスラーとして再起を図る彼女をめぐって議論が二分しています。

本当にプロレスラーとしてやっていけるのか?

 ここでは論点を2つに絞って考えたいと思います。

 まず、本当にプロレスラーとしてやっていけるのか?

 言うまでもなく、プロレスは肉体をぶつけ合う激しい格闘技です。体を鍛えるのはもちろんのこと、事故や怪我を防ぐための技術を身に付けなければなりません。

 ネット上では、プロレスラーとしてのフワちゃんの本気度を疑問視する声も少なくありません。かつてスポット参戦した際にラリアットを食らって首からマットに落ちる動画に、“脳震盪を起こしそう”とか、“いや、脳震盪よりも頚椎が心配になる”といった否定的なコメントが多く寄せられたのです。

 しかし、一方で同業者や熱心なプロレスファンからは、“きちんとダメージを逃しつつ、相手の技を派手に見せている”、上手すぎる受け身だとの反論も。

 女子プロレス界のレジェンド、ジャガー横田氏も自身のYouTubeチャンネルで「受け身はしっかりしてたんだよ、ちゃんと取れてました。やっぱり基本は受け身だから」と語り、フワちゃんの基本技術に太鼓判を押していました。

 両者の意見を比較すると、少なくともフワちゃんが選手としてプロのリングにあがることに何ら問題はない、という結論に落ち着きそうです。

フワちゃんは圧倒的なヒールになれる!?

 そこで、もう一つの問題が生じます。それは、レスラーとしての立ち位置です。

 スターダムの社長が、「本人は全くプロレスを軽く見ていない」と語ったことからもわかる通り、フワちゃんのプロレス転向は、炎上騒動からの再起を賭けるストーリーになります。

 なので、プロレスラーフワちゃんは、善玉、ベビーフェイスとして売り出すのだろうと考えるのが自然です。

 しかしながら、フワちゃんがタレントとして絶頂を極めたのは、鋭い悪口のセンスでした。
彼女がひな壇トークで輝きを放ったのは、共演者の弱点を的確にえぐっていく、言葉の反射神経の鋭さだったはずです。

 つまり、プロレスにおいて、フワちゃんは圧倒的なヒールになれる可能性を持つ逸材なのですね。それは試合後のマイクパフォーマンスだけでもお金が取れるほどの才能だと言ってもいいでしょう。

 にもかかわらず、今回のプロレスデビューに際して、そのコンセプトを封印してしまった感が否めないのです。

 確かにこれ以上世論を刺激したくない思惑もあったのでしょう。けど、やっぱりもったいないよなぁ、と思ってしまいます。

 今後ヒール的な側面も顔をのぞかせる展開もあるかもしれませんが、デビュー戦のインパクトを考えると、その決断はどう出るでしょうか?

プロレスが「ゴシップ」として消費されてしまう懸念も

 ここまでは、プロレスを好きで観る人の視点から考えてみました。もう一つの視点は、プロレスに関心がない人たちから見て、プロレスをするフワちゃんがどう見えるのか、という問題です。

 タレント時代の奔放な言動や、時に平気で無礼を働くフワちゃんを知っている人たちからは、「敬語を覚えて」、真剣にプロレスに取り組む彼女の現状は、プロレスを通じて人格を作り直しているように見えるはずです。つまり、フワちゃんはプロレスで更生しているのだと。

 そして、更生の道を歩むストーリーの過程では、プロレスですから殴られたり蹴られたり投げ飛ばされたりします。これが、プロレスに関心のない層からすると制裁を受けているように映り、ややもすると禊を果たそうとしているように見えるのではないか。
そんな懸念が生じます。

 “昔フワちゃんはこんな悪いことをしました。けれども、今はこうして苦行に耐えて頑張っています”というメッセージが、どうしてもプロレスの試合の行間ににじんでしまうのですね。

 つまり、「フワちゃん」という固有名詞がある限り、“フワちゃん>プロレス”の関係性から逃れることはできないのです。

 北斗晶氏の、もしも本当にプロレスに真剣に取り組む気があるのなら、名前も本名にして、髪型もタレント時代の面影を残さない方がよかった、という発言の主旨には、プロレスがゴシップとして消費されてしまうことへの疑問があったのでしょう。それは正しい認識だと思います。

 以上、プロレス的、そして一般目線から考えてみました。いずれにせよ、プロレスラー、フワちゃんは、極めて困難なバランスを取ることを強いられるでしょう。

 それは、タレント時代よりも厳しい戦いになるはずです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。
Twitter: @TakayukiIshigu4
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