日本初の女性首相として高支持率発進した高市政権だが、台湾有事に関する国会での「存立危機事態」発言をめぐり、日中間の緊張が急速に高まっている。自民党内でも指折りの“右派”とされる高市政権に、早くも外交問題が噴出した形だ。
ネット上では、リベラル層から高市政権のリスクを指摘する声が上がる一方、保守層からは「よく言った」「中国におもねる必要なし」と喝采が沸き起こっている。
近年、日本国内でにわかに高まる「右傾化」「保守化」の波に背中を押される高市政権。だが、そもそも“アメリカ・ファースト”を掲げるトランプ政権をはじめ、こうした流れは日本だけに留まらない。
では、世界と比較した時、日本は客観的にどのような地点に今、位置しているのか? 元国連職員でロンドン在住の著述家・谷本真由美氏(Xでは“めいろま”としてフォロワー25万人)による新連載「世界と比較する日本の保守化」。第2回は、日本が世界と異なる大きな理由である「日本の特性」について論じる。
他人を信頼する「高信頼型社会」
日本では左翼を中心に「日本は非常に保守的な社会だ」という論説がまかり通っているが、実は日本を外から眺めて見ると日本の保守というのは他の先進国や途上国の保守とはかなり違う、ということがわかる。これは日本国内にいるとなかなか気がつきにくいことなのだが、 異なる文化の中に身を置いて、日々の生活や仕事から日本の社会を眺めてみると、だいぶ違うなということがよくわかるのである。
日本の保守が他の国とはかなり異なっている理由は、日本人の考え方や行動パターンが、日本の地理的条件やこれまでの歴史によって作り上げられてきたからである。
これを「日本の特殊性」と呼ぶこともあるが、特殊と言えばどこの文化圏の人々も特殊であるので、正確に言うと「日本人の特性」となるだろう。この特性は、様々な文化人類学者や社会学者、心理学者、そして政治学者がこれまで何度も指摘してきたことである。
日本というのは複数の島からなる国であり、大陸を通じて他の国や文化圏とつながっているところからすると、やはりかなり個性的なところがある。
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは『Trust: The New Foundations of Global Prosperity』や社会資本論の論文で、日本を「高信頼型社会(high-trust society)」の代表格として位置付けている。
日本の発展の土台となる「社会資本」
日本人は、 家族や親族といった血縁関係だけではなく、地元、同級生や友達、部活、職場など地域社会における非血縁集団でも、他の人との間で高い信頼が存在する社会である。このような高い信頼は「社会資本」と呼ばれるものである。
上司が堀ったとんでもない落とし穴に落とされたり、同僚が後ろから差してくる可能性も低いので、お互いを信用して、長い目で見て仕事をしていくことができるのである。働く方からすると、会社が給料を払わなかったり福利厚生をごまかす可能性も低くなる。
日本はこのような他人との信頼度の高さを土台に、大企業や官僚機構が中長期的な視野を持って発展してきた。日本型資本主義、つまり終身雇用、企業共同体、官民協調の3つが合わさった仕組みを、他人同士の信頼という社会資本が支えることで、繁栄を可能にしてきたのである。
一方で、途上国や独裁がはびこる国で仕事をすると、日本とはずいぶん異なっていることを実感する。
これは私の身内の体験だが、中国や途上国で製造業を運営していると、不良品をきちっと不良品の箱に入れずに床に捨てたりして、不良品率が高くならないようにごまかすということが横行していたという。そして、ごまかしをやめてくださいと教育をするのに随分と長い時間がかかったそうだ。それらの国では数値をごまかしたり自分が得をするように情報を隠すことが当たり前だったので、考え方を変えてもらうのに大変な苦労がともなった。「日本の企業では、不良品率は決してその人を罰するためではなく製品の品質を向上させるためであって、改善点を探し出すのに非常に重要な情報です」と伝えても、なかなか理解してくれなかったのだ。
だが、彼らの母国では間違いをすればクビになってしまったり、ひどい罰を受けることが当たり前であったので仕方がない。
なぜ日本では「ガバナンス」にそれほど需要がないのか?
しかし、このような仕事は日本では需要が低めだ。なぜなら、日本では「システム開発や運用はちゃんとやって当たり前」ということが常識になっているので、いちいち目標値を設定してそれが達成されたかどうか細かく見る必要がないのである。
そして、システム関係者が不正をすることも非常に稀なので、人員を監視するようなシステムを入れる必要がない。
ところが、特に途上国や旧共産圏では不正をやるのが当たり前であり、雇用契約を無視して仕事をしなかったり、職場の情報や備品を盗み出すということが本当に当たり前なので、目標などは非常に細かく設定し、ペナルティーも相当厳しくして刑事罰に問われることを常に提示し、定期的に監視をしないと仕事が進まない。
残念ながら、働いている人々を信用できないのである。
一方、これと同じことを日本の組織でやろうとすると「働く人を信用してないんですか?」と言われてしまい、大騒動になるのである。
したがって、日本でしか経験のない人々が海外、特に途上国や独裁国などで管理監督業務をやろうとすると、日本のやり方を当てはめてしまうので大失敗することが多い。
日本は社会運用に関しては低コスト社会
そしてもちろん、このような管理監督をしなければならない場合は、大変なコストがかかる。経験を積んだ人間を雇わなければ管理する仕組みも設計できないし、現地の雇用法や規制と照らし合わせたりしなければならない。細かいルールをすべて文書化して、それを説明し、理解してもらえるようトレーニングを行うのも大変な手間がかかる。しかも、言語が通じなければ、逐一現地語に翻訳しなければならない。その上、いちいち手動で管理するわけにもいかないので、システムを導入して自動的に監視するような仕組みにしなければならない。
そのようなシステムは市販のものもあるが、組織に導入する場合はプロセスをすべて見直さなければならない。
仮に1からシステムを作る場合は、関係者すべてに調整が必要になるし、どのようなシステムを作ってどのように使うかといったところから詰めていかなければならないので、数年単位の仕事になってしまうのである。
その他にも、物理的な管理監督業務を行うためのインフラも必要になる。例えば監視カメラの設置や入退室ゲートの設置、 その運用や管理にも莫大な費用がかかる。
ところが、日本ではこのような業務はあまり必要がない。もちろん製造業を中心にこういった管理監督業務というのは存在しているが、他の国に比べると少ないのである。
つまり、「高信頼型社会(high-trust society)」では、リスクを防ぐための管理監督業務の手間暇やコストがかからないので、その分のリソースを本業に回せるということになるのだ。
日本が実は社会運用に関しては低コスト社会であるのは、「高信頼型社会(high-trust society)」であるからだ。
前述した管理監督のコストもないし、不正もそれほど多くないからその調査や訴訟などの手間暇や費用もない。
では、こうした高信頼型社会と正反対の低信頼型社会が交わるとどうなるのか? また改めてお伝えしたい。
<文/谷本真由美>
―[世界と比較する日本の保守化]―
【谷本真由美】
1975年、神奈川県生まれ。ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関、外資系金融会社を経て、現在はロンドン在住。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど世界各国での就労経験がある。主な著書に『世界のニュースを日本人はなにも知らない』(ワニブックス)、『激安ニッポン』(マガジンハウス)など。Xアカウント:@May_Roma
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