「新卒1年目の部下社員に『これは後回しでいいから、先にこっちをお願い』と言っただけなんですよ。怒ったわけでもないし、むしろ気を遣ったつもりだったんです。
最近の若い子って『効率』とか『コスパ』とか気にするじゃないですか。だから順番をはっきり示したほうが親切かなと思って。なのに翌日、その子が『伊藤さんが怖い』と言っていたと聞いて……もう本当に衝撃でしたよ」
都内の中小企業で管理職を務め、新人教育にも長く携わってきた伊藤浩二さん(仮名・52歳)は、戸惑いを隠せない様子でそう振り返った。

「何が地雷だったのか、正直今でもよくわからなくて。自分の接し方が原因で辞められたらどうしようとか、ハラスメントだって言われたらどうしようとか、そんなことまで考えるようになったんです。『ダルい』とか『ウザい』って言われたほうが、まだ理解できます。でも、こんなことで『怖い』って言われるなんて……こっちのほうがよっぽど怖いですよ。私にも立場がありますから」

この一件以来、伊藤さんは部下の新卒社員と必要以上に関わらないよう、距離をとるようになってしまったという。

職場の若者との距離感に悩むのは、もはや伊藤さんだけではない。人材難の今、若者はいわば“希少財”であり、「ちょっとした言動で辞めてしまうのではないか」と不安を抱く人も多い。東京大学大学院講師で経営学者の舟津昌平氏に話を聞いた。

「○○ハラ」の濫立がもたらす若者への恐怖

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舟津氏は著書『若者恐怖症』(祥伝社)の中で、上司側が抱きがちな不安を三つに整理している。

一つめが、「ハラスメント恐怖症」、すなわち「何か言うと『ハラスメント』と言われてしまうのではないかという恐れだ。
冒頭で紹介した伊藤さんのケースがまさにこれに当てはまる。ただし舟津氏は、「ハラスメント恐怖症」について「言葉だけが独り歩きした現象」だと指摘する。

「ハラスメントには本来、明確な要件があります。パワハラでいえば、①権力関係の利用、②職務を逸脱した言動、③業務への支障の三つが必要です。ところが現状では、『受け手が嫌なら何でもハラスメント』という扱いになりつつあります。

たとえば、上司の体臭が気になったとしても、それが業務に支障を及ぼしていなければハラスメントではありません。それを『スメルハラスメントだ』と若者が糾弾するのは、単なる悪口にすぎません」

英語圏に「パワハラ」という概念はない

舟津氏の言うように、最近は「○○ハラ」が濫立しており、中には「相手をハラスメントと指摘すること自体がハラスメントになりうる」という“ハラスメントハラスメント”という言葉まで登場している。上司も部下も互いに境界を主張し合い、「自分の権利が侵害された」と訴え合う状況が広がっており、「この構図は非常にまずい」と舟津氏は危惧する。

「そもそも英語圏には『パワハラ』という概念はなく、同種の問題は“職場いじめ”として扱われています。本来、パワハラ対策とは、上司と部下の上下関係に限らず、職場におけるいじめそのものをなくすという極めてシンプルな趣旨だったはずです。

ところが日本では、個人間の感情的なトラブルにまで『パワハラ』という言葉が使われてしまっています。法整備も進んだ現在、ハラスメントは組織が向き合うべき課題であり、問題が起きた際には必ず第三者を交えて会社として対応することが欠かせません」

「若者は飲み会に来ない」は、大人が作った勝手なイメージ?

二つ目が、「飲み会恐怖症」。上司側が「今時の若者は飲み会を嫌がるだろう」という思い込みを指している。しかし、この 思い込みの前提となる“飲まない若者”像は、上司側が持つ「勝手なイメージにすぎない」と舟津氏は指摘する。


「メディアやSNSでは、若い世代が職場の飲み会を毛嫌いしているかのような発信が目立ち、そのイメージが独り歩きしています。しかし、実態は異なります。日本生産性本部の調査では、2016~’18年の新卒の8割超が『職場の飲み会を優先したい』と回答。さまざまなデータを見ても賛否の割合は3~6割に分散しています。つまり、飲み会に対する姿勢は“人による”としか言えず、若者全体の傾向としては語れません。『若者は飲み会に来ない』と一括りにするのは、上司側の思い込みなのです」

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舟津氏の著書『若者恐怖症』より引用。「職場と友人」二択問題について、2016~’18年の3年間、比率はほぼ8:2で職場優先の割合が高い
では、価値観が人それぞれであるにもかかわらず、“今時の若者は飲み会を嫌がる”という言説がここまで広がったのはなぜか。

「コロナ禍で学生時代に飲み会の空気感や文化に触れる機会が極端に少なかった層がいることは一因でしょう。飲みの場にはお酌や席次など独特の作法もありますし、女性にとってはセクハラへの懸念もある。こうした環境から戸惑いを覚える若者がいるのは事実ですが、広く見れば一部の意見であり、かつ年齢を問いません」

ただ、そうした極端な声はネット上で可視化されやすく、それが世代全体の傾向として受け取られてしまう。こうした誤読の積み重なりが「飲み会恐怖症」を助長しているのだ。では、上司側は飲み会をどのように設定すべきなのか。

「若者はすぐ辞める」恐怖心の正体

「飲み会に行くくらいなら、勉強や自己投資に時間を充てたり、Netflixなどを楽しみたいと考える若者もいるでしょう。ただし、これは若者に限った話ではありません。
組織として飲み会が本当に必要であれば、過度に遠慮せず、明確な意図を持って声をかければいいんです。大人が『こういうものだ』と道筋を示したほうが、むしろ若者にとっては迷いが減り、参加のハードルも下がるはずです」

上司側が抱きがちな三つの不安のうち、三つめが「早期離職恐怖症」、すなわち「若者はすぐ辞めるのでは」という上司側の思い込みだ。しかし舟津氏は、これも飲み会離れと同様、決定的な裏付けがあるわけではないと指摘する。

「’21年に大学を卒業した人の3年以内離職率が34.9%に達し、過去15年で最高と大きく報じられました。しかし、厚生労働省の大卒3年以内離職率を長期的に見ると、平成以降はおおむね25~35%の範囲で推移しています。

つまり『若者がすぐ辞める』という現象は最近に限ったことではなく、平成以降一貫して約3割前後が離職するというのが実態です。たしかに直近15年は32%前後で安定していたため34.9%は際立って見えますが、誤差といえる程度の変動といえます」

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『若者恐怖症』より。東日本大震災やリーマンショック、さらにはコロナ禍といった大きな社会的ショックがあっても、早期離職率は3割前後という平均値に回帰する
さらに重要なのは、「マクロ(社会全体)の傾向と、個々の職場で起きている事象は必ずしも一致しない」という点だ。

「離職率は企業規模や業界によって実態が大きく異なります。大企業の離職率は20%台と比較的低く、エネルギー関連企業の中には3年間の離職者がゼロというケースすらあります。一方で、宿泊業のように慢性的に離職率の高い業界もある。このように、離職率は企業・業界ごとに差があり、『全体で3割』という数字では個々の実情を反映しきれないのです」

ただし、その一方で若者の「転職志向」は確かに高まっているというが……。

「年功序列に支えられた終身雇用が崩れつつあり、非正規雇用が増加。
パナソニックの黒字リストラに象徴されるように、コスト削減のため、企業の安定のために労働者の不安定を経営に織り込む状況が広がっています。

その中で、若者の間で『年功序列』の復活を望む声が増えているという調査もあります。つまり、必ずしも『キャリアアップ』ではなく、安定を求めて転職をしているだけというケースもある。しかし、『転職した』という一面だけを見て若者を『成果主義で野心的』と捉えてしまうケースは少なくない。ここには大きなギャップがあります」

最も大切なのは、上司が部下の話を「聞く」こと

では、若者恐怖症からどう脱却すればよいのか。舟津氏は「関係の軸はあくまで“仕事”に置くべきだ」と強調する。

「仕事である以上、上下関係があるのは当然であり、問題はそれを濫用することです。上司が不自然にへりくだったり、無理にフラットさを演出したりする必要はありません。むしろ権力差を過剰に消そうとする行為のほうが、若者からすると『腫れ物扱い』されているようで逆に怖い。上下関係を前提に、普通にコミュニケーションすれば十分なのです」

そしてもっともシンプルな解決策は、上司が部下の話を「聞くこと」だと舟津氏は続ける。

「飲み会に行きたいのか、仕事をどう進めたいのか。上司が部下に直接聞くだけで、多くの誤解は簡単に解消できます。
データや一般論に頼りすぎず、目の前の相手に確認することが大切ですし、それができることこそが健全な組織の証なのではないでしょうか」

若者恐怖症に特効薬はないが、その多くは「言葉のイメージ」や「なんとなくの噂」が一人歩きした結果にすぎないと理解することが、克服への第一歩となる。

「おばけも、正体がわかれば怖くありませんよね。若者への恐れも同じです。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉があるように、遠目には怖そうに見えても、近づけばただの枯れ草だった——なんてことがほとんどです。実在しない“若者像”に振り回されすぎないようにしましょう」

若者を「若者だから」と一括りにしてしまう先入観こそが、私たちを必要以上に縛っているのかもしれない。

<取材・文/桜井カズキ>
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