―[フリーランスも知らないフリーランスの稼ぎ方]―

 とある自治体の交流会で初めてその人と出会った時、「シュウマイジャーナリスト」という肩書に目が点になった。名前は、種藤潤さん(48)。
フリーランスのライター・編集者を本業としながら「シュウマイ潤」の筆名を持ち、雑誌やウェブでシュウマイに関する記事執筆・講演などを行う。2018年と’21年には「マツコの知らない世界」(TBS系列)に出演し、同じく’21年には『シュウマイの本』(産業編集センター)という書籍まで刊行している。まさに「シュウマイのプロフェッショナル」だ。
 一見、趣味の活動のようにも見えるが、何と「日本シュウマイ協会」という一般社団法人で代表理事まで務めているという。どのように生計を立てているのか、謎は深まるばかりだ。

 取材を打診してみると、「わたしの仕事がフリーランスを志す人の役に立つかどうか心配ですが、反面教師としてお伝えできることはたっぷりとあると思うので、お受けさせて頂きます」と返事があった。大学卒業と同時にフリーとなり、個人事業主として働くことの壁に何度も直面してきたという種藤さん。挫折を経て、「シュウマイジャーナリスト」という唯一無二の肩書に行きつくまでの道のりを聞いた。

シュウマイだけで食べられているのか?

『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュ...の画像はこちら >>
「今、シュウマイの仕事だけで食べられていますか……?」

取材時、その肩書について、多くの人が抱くであろう疑問を直球でぶつけてみた。「いや、まだです。社団法人も含めると売上自体は決して悪くないですが、組織の継続に資金もあり、イコール収益とはならない。売上の内訳で言うと、『シュウマイ対それ以外』で3対7程度といったところです」と、種藤さん。

『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュウマイで稼ぐ」と決意した理由
シュウマイ協会では、全国のシュウマイを一堂に介して食べ比べられるイベントも企画。写真は毎年11月に行われる「ニッポン全国物産展」での出店
「シュウマイ以外」の部分では、「タネクリエイション」の屋号で、オーガニック関係の情報誌編集・執筆や社団法人の理事を務める。
記事執筆や編集のほか、ウェブプランナーとしての業務も請け負っている。大学卒業後、フリーランスとして幅広い案件を手がけてきた経歴が、「シュウマイ活動」を支えているのだという。

大学卒業と同時にフリーランスデビュー

『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュウマイで稼ぐ」と決意した理由
 大学卒業と同時にいきなりフリーになった、と聞くと、さぞや常識に囚われない感性を持っているように思える。しかし、実際のところ両親は教員。親戚筋にも公務員が多く、手堅い家系で育った。高校卒業後は自然な流れで、横浜国立大学教育学部に進学する。

 在学中に教員免許も取得。約束された道を順調に進んでいた最中、ふと「社会も知らない学生が先生になるのはまずいのではないか」と感じるようになった。教員採用試験の受験は見送り、民間企業に絞って就職活動を開始。マスコミ勉強会に参加を重ねて、メディア企業を中心に約50社を受験する。結果、フリーペーパーを制作する企業をはじめ、3社から内定を得られたが、あとは全滅だった。入社を迷っていたところ、知り合いからアルバイトとしてPR会社を手伝わないかと誘いを受ける。ほかにもホームページ制作や編集プロダクションで雑用の仕事もこなすことになり、内定は辞退。
「三足のわらじ」を履いた状態で社会人生活が始まった。

売上が1000万を越えるも、身体は疲弊

 種藤さんが大学を卒業した’00年代前半は、グーグルやアマゾンが日本版サービスを始めたいわゆる「インターネット黎明期」。新聞社や出版社でも自社媒体を持つ流れが生まれ、紙媒体以外にウェブサイトのディレクション業務なども増えていった。

「20代も終わりに差し掛かる時期には、売上だけで1000万円を超える年もありました。タウンガイドや企業の採用パンフレット制作、ウェブサイトの運営など複数の仕事をハイブリッド的にこなしていたら、そのぐらいの収入になったんです。売上=利益ではないものの、自分でも驚きました」

 収入が増える一方で、マルチワーカーだからこその悩みも積もっていったという。

「とくに規模の大きな広告記事では、クライアントからの修正要求も多かった。1つの仕事が並行する仕事にも支障をきたすことが増えて、『今の状況をずっと続けていくとおかしくなる』と感じるようになりました」

 悩みが深まっていた’10年、またも知人に誘われたことがきっかけで、新聞社系出版社で、エンタメ系冊子の編集を業務委託という形で受けることが決まる。一部の業務は継続しつつ、「三足のわらじ」生活にはいったんの区切りをつけることにした。

「常駐フリー」として仕事を始めるも、二度目の山が……

 それまでは自宅や事務所で働くことが主だったが、この出版社では「常駐フリー」と呼ばれる立場になった。契約上は業務委託だが、編集部に机を持ち、打ち合わせや校了作業がある時に出社して、社員と同じように仕事をする。出版業界やIT業界でよく見られるスタイルだ。完全な在宅仕事に比べると拘束は増えるものの、報酬額は月ごとの取り決めであることが多く、単発で仕事を受けるよりも収入は安定しやすい。

 待遇面こそ悪くはなかったが、業務に慣れていくと、またもクライアントの要求に振り回されることが増えていったという。


「あるとき、徹夜で入稿作業を終えて一息ついていたら、表紙に登場するとあるグループのメンバーが逮捕されたというニュースが入ってきたんです。記事はすでに校了していたので『さすがに大丈夫だろう』とタカをくくっていましたが、先方から電話が来て『差替えです』と言われた時は途方に暮れました」

 同時期、ウェブ関連の他案件を請け負うことが決まり、複数の仕事を並行していくことの壁に再び直面。この出版社との契約は、約2年で幕を閉じた。

専門家も専門店もない シュウマイは「ブルーオーシャン」

『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュウマイで稼ぐ」と決意した理由
種藤さんのおすすめシュウマイ、「浦和クラフト焼売」。浦和のクラフトビール醸造所、椎茸農家、豚肉料理専門店がコラボして誕生した。「椎茸と豚肉の相性や大きさ、食べ応えなど、あらゆる要素が研究されています。シュウマイの概念を変える一品です」(種藤さん)
『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュウマイで稼ぐ」と決意した理由
種藤さんのおすすめシュウマイ、「焼売酒場小川」の「岩中豚 特製焼売」。シェフは星付きフレンチ店出身。基本の岩中豚のシュウマイは4部位を選んで蒸しあげる。「味もさることながら岩中豚シュウマイ以外の種類の多さやつけだれの組み合わせも特徴的。羊シューマイ×トマトソース、鴨×ほおずきの辛子ソースなど、かなり攻めています」(種藤さん)
 その時点で、国内では紙からウェブへの移行がさらに進んでいた。

「それまで紙媒体で受けていた仕事がウェブに移行することも増えていきました。ただ単価を聞いてみると、ウェブは紙に比べて圧倒的に安い。『このままライターや編集者の仕事を続けていても行き詰まってしまう』という気持ちが大きくなっていきました」

 身の振り方に悩んでいたその時、ふと頭に思い浮かんだのが「シュウマイ」の存在だった。

「食関連の取材で、その土地の『名物シュウマイ』を食べることがあったんです。ギョウザについては色んな媒体で特集が組まれているのに、シュウマイには専門家がいない、専門店がない、専門団体もない。いわゆる『ないない尽くし』の状況であることにハタと気づきました」

 まずは全国各地の関連店を調べ上げ、’15年頃からは現地を訪れて食べ歩く「シュウマイ研究」をスタート。食べたシュウマイの記録は、Instagramにアップすることを習慣づけた。

「シュウマイの大きさや粗さ、具材などはお店によってまちまち。あえて『美味しい』は封印し、特徴を淡々と整理する中で、全国のシュウマイの特徴が見えてくるようになりました」

 始めは単なる「飲み屋の雑談」に過ぎなかったが、食べたシュウマイが100を越えた頃から、周囲からも一目置いた反応が増えていく。
「これは面白いかも」と感じ、’16年頃から、「シュウマイジャーナリスト」の肩書を使い始めた。

TV出演を機に「シュウマイ活動」が本格化

『マツコの知らない世界』出演も契機に。フリーライターが「シュウマイで稼ぐ」と決意した理由
シュウマイ好きを集めた「シュウマイ食べる会」も定期的に開催している
そして’18年、最大の転機が訪れる。SNSでの投稿を見た「マツコの知らない世界」(TBS系列)スタッフから、出演依頼が舞い込んだのだ。

「メールには『すぐに会ってほしい』とあり、最初は『詐欺だ』と思いました。まずは一度電話をした後、対面で会うことになったんです。指定の場所に行くとディレクターやプロデューサーが揃っており、『上に映像を見せる』とカメラも回されていました。実質上の『面談』でした」

 依頼が来た翌月に収録、翌々月にオンエアと目まぐるしい展開。それまではシュウマイ関連の案件はゼロだったのが、放映後に生活は一変した。

「各種媒体での取材・執筆依頼や、シュウマイ関連の商品PR・広報の依頼が一気に舞い込むようになりました。色んなメーカーからシュウマイが送られてくるので、自宅の冷凍庫が全部埋まってしまって、『我が家の冷蔵庫はシュウマイのためにある訳じゃない!』と妻にキレられたのもこの頃です(笑)」

 依頼の量や幅が広がったことから、’22年には一般社団法人「日本シュウマイ協会」を設立し、代表理事に就任した。現在は、「シュウマイ以外」の執筆・編集やウェブ制作仕事は個人名義で引き受けながら、シュウマイに関する仕事は社団法人として受ける形を取っているという。後半では、個人事業主が「法人」を作ることの利点や、ポリシーについてより詳しく掘り下げる。


【種藤潤】
シュウマイジャーナリスト、研究家、日本シュウマイ協会発起人。1977年神奈川県生まれ。大学卒業後、フリーランスとして取材執筆を行う。’15年頃からシュウマイ研究を開始。’18年5月と’21年10月、『マツコの知らない世界』(TBS)に出演。以後、さまざまなメディアでシュウマイについて語る。
’22年6月、シュウマイの活性化を、より多くの人や企業・団体とともに取り組むべく、「一般社団法人日本シュウマイ協会」設立。2月26日を「シュウマイの日」と定め、盛り上げるとともにイベントや百貨店でのシュウマイフェアの企画開催、シュウマイの監修やイベント、メディア出演等を行う。

<取材・文/松岡瑛理 撮影/山川修一>

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【松岡瑛理】
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部で編集・ライター。 Xアカウント: @osomatu_san
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