”外務省のラスプーチン”と呼ばれた諜報のプロが、その経験をもとに、読者の悩みに答える本連載。今回は「悪が跋扈する世界でも、人は正しく生きられるのか」。
神が悪事を静観しているように見えるのはなぜか
★相談者★苦悩(ペンネーム) 無職 64歳 男性クリスチャンである佐藤優先生に伺います。この世は善もありますが、悪が跋扈しており、時には悪魔が悪事を働く人間を助けていると感じることさえあります。このような状況を神が静観されているのは、「悪事を働いても露見しないのは、逆に露見しないように神がこの世を作られているのではないか。その中でもお前は正しく生きていくことができるのか」このような命題を課せられてると思います(そう考えないと、やりきれません)。悪事を働く人間と誠実に生きる人間が結局、将来、同じ扱いを受けることになるのでしょうか?
佐藤優の回答
神は善なる存在なのに、その神が作った世界になぜ悪があるのかというのは、昔からキリスト教神学者を悩ませた問題でした。西側のキリスト教、すなわちカトリック教会やプロテスタント教会では、「穴あきスイスチーズ・モデル」という説明が通常なされます。穴あきチーズの空洞のように、善の欠如が悪であるというアウグスティヌスの考えに基づいています。そうすると、穴を全部埋めれば、悪はなくなることになります。対して悪には自立した大きな力があると考えたのが東側のキリスト教、つまり正教会の人たちでした。ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』で描かれるのは、悪から抜け出すことができない人間社会のあり方です。
近代になって、悪の問題は、神が人間に自由を与えたからであるという考え方が強くなりました。人間が神から与えられた自由を誤使用するので、悪が生まれるのです。
日本人で、人間の自由意思と悪の関係について真剣に考えたのが哲学者で京大教授の西田幾多郎先生(1870~1945年)です。西田先生はこんなことを言っています。
〈善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。(中略)先ず善行為とは凡て人格を目的とした行為であるということは明である。(中略)富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるのではない、もし人格的要求に反した時にはかえって悪となる。そこで絶対的善行とは人格の実現其者を目的とした即ち意識統一其者のために働いた行為でなければならぬ。〉(『善の研究』201~202頁)
お金も権力もそれ事態では善でも悪でもありません。それが人間のためにどう使われるかによって善悪が決まるのです。現在の世界に存在しない「戦艦」という言葉を用いて、中国が台湾に武力行使する場合には、日本はそれを「存立危機事態」と見なして、自衛隊を派遣するなどと軽々に発言する首相は自由を濫用しているとしか言えません。こういう自由の濫用から戦争という巨悪が生まれるのです。
人間の自由は、平和を維持し、戦争を阻止するために使わなくてはならないと私は考えます。目の前に悪が現れたときは、それが国民に人気のある首相であっても、諫めるのが言論人の仕事と思っています。
★今週の教訓……人が自由を誤使用することで悪が生まれる
―[佐藤優のインテリジェンス人生相談]―
【佐藤優】
’60年生まれ。’85年に同志社大学大学院神学研究科を修了し、外務省入省。在英、在ロ大使館に勤務後、本省国際情報局分析第一課で主任分析官として活躍。’02年に背任容疑で逮捕。『国家の罠』『「ズルさ」のすすめ』『人生の極意』など著書多数
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