「田舎暮らし」に漠然と憧れを抱く都会人は多い。しかし、都会から見た「地方」は一種の幻想に過ぎず、その土地で生まれ育った人間にしかわからない「地元」がある。
実の娘とコンビを組む「完熟フレッシュ」のパパ・池田57CRAZY氏は、工業都市で知られる山口県宇部市の出身。同市の一角に、「宇部のサウスブロンクス(USB)」とも呼ばれる、ワイルドでファンキーな地域があった――。ハチャメチャな個性が入り乱れる街の記憶を、全5回にわたってお届けする!
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 皆様初めまして、娘と父の親子芸人【完熟フレッシュ】のパパこと池田57CRAZYです。齢50にしてまさかお笑い芸人の自分が、このようなコラムを書く事になるとは 人生わからないもんですね。

 で、なぜ今回このようなコラムのお話しを頂いたかと言いますと、今年57についてのインタビューをこちらのSPA!さんから受ける機会がありました。その際、今年書籍化されたコミックエッセイ『親子漫才!』に少しだけ出ていた57の地元について書籍には載ってないエピソードを話したんですね。それが特殊だったのか興味を持ってもらえたらしく、コラムを書いてみないか?とお話をいただき、不定期ですがこの連載に至るという次第です。

 前置きが長くなってしまいましたが、地元を離れるまでの20年間の中で、印象・記憶に残ってるエピソードを今後不定期にコラムとして書かせてもらいますね。

 なるべく当時の時代背景や空気感をそのままにお伝えしたいので、多少不適切な表現もあるかもしれません。もう30~40年以上の前の話しで多少記憶も曖昧なので、半分ファンタジーとして読んでもらえると助かります。

UBE?否USB!

完熟フレッシュのパパが明かす「ワイルドファンキーな地域」での...の画像はこちら >>
 57が二十歳まで生まれ育った町というのは、瀬戸内工業地帯の一角を担う、山口県の宇部市というところ。炭鉱と造船業で発展したコンビナート地帯で、人口約18万人(当時)の地方都市としてはよくある「そこそこ栄えている、県内ではそれなりに大きな町」という印象の町です。

 炭鉱と造船で栄えた町なので 、そもそも宇部自体が県内の他の地域の人達からすると「ちょっとガラの悪い地域」という印象らしい。
その中でも57が住んでいたのは、川を隔てた市内でも一番大きな地区で、まぁ一言で言えばめっちゃガラの悪い地域。

 物心ついた時にはそこに住んでいたから何とも思っていなかった。けど、中高生になって他の地区の人間と交流が増えるにつれ、あまりにも「ガラが悪い」と言われてしまう。それで、友達同士の間では少しでもカッコ良くと「宇部のサウスブロンクス(USB)」と言って、当時ゲハゲハ笑いながら過ごしてた。
(※編集部注)サウスブロンクス……アメリカ合衆国ニューヨーク市南西部に位置。ギャングの抗争が絶えない「危険地帯」として知られる

 USBは元々市内で一番大きいのに、池田家のように当時流行ってたニュータウン計画で山を切り開いて出来た新興住宅地に越してきた人間でさらに人口が増え、とにかく色んな個性が入り雑じった、良くも悪くもにぎやかな地区だった。

 正直貧しい人も多くて、本当にめちゃくちゃ粗っぽい地域だったと思うけど、何故か皆明るかった!とにかく明るかった!そして皆良く笑ってた!

 まぁ、今考えると、笑い飛ばしてなきゃやってらんなかったんだと思うけど……。

 USBは一旦置いといて、宇部という町はそれなりに人口はいたのですが、欧米の人がほとんどいなかった。

 当時の市内には、キリスト教の宣教師が2、3人位くらい。いたとしても、それはそれは目立つ目立つ!
 
 そして欧米人が珍しいので、57の時代の小学生は、欧米人を見かけるとなぜかサインをもらいに行く程!マジで戦後の動乱期か、はだしのゲンの世界!

 そんな地域に育って、欧米人を見慣れてなかった4歳の57は、家の前で遊んでいる時に目の前をスーパーカブで走り去った欧米人を初めて見た時「天狗が出たーーー!」と泣き叫びながら家に逃げ込む始末だった!

 母親はビックリし、近所でもすげぇ大騒ぎになったけど、携帯もなければ防犯カメラもない時代に、子供の妄想?妄言?みたいな事案が解決する訳もなく、当時は謎のまま、57の家界隈ではしばらく天狗伝説として残ったのはここだけの話。

 まぁ結局天狗と思っていたのは、翌年57が入園した幼稚園の園長だったんだ。

 57が通ってた幼稚園は市内にあるカトリック教会が経営してる幼稚園で、そこにやってくる宣教師が代々園長をするってシステムだった。
そもそも欧米人が珍しいってのに、赤ら顔の鷲っ鼻でビー玉の様な綺麗な青い目で身長2m位あって、全身真っ黒のワンピースみたいな服に、頭に小さな丸くて黒い帽子みたいなのをのっけて、小さなスーパーカブに乗ってる姿見たら、そりゃ4歳位の子供は天狗と間違えるって話しじゃない?

 人生で一番最初の衝撃的な記憶として今でも鮮明に残ってる訳だし、これ書きながら幼稚園のアルバムを久々に見てみたけど、やっぱ今見ても天狗っていいそうな位ビジュ濃い先生だったね。

幼稚園の空気がガラリと変わる、魔の土曜日

完熟フレッシュのパパが明かす「ワイルドファンキーな地域」での子供時代。欧米人を見て「天狗が出た!」と泣き叫んだ4歳の記憶
完熟フレッシュのパパが明かす「ワイルドファンキーな地域」での子供時代。欧米人を見て「天狗が出た!」と泣き叫んだ4歳の記憶
幼稚園時代の57さん(上:卒園アルバム 下:お遊戯会)
 基本的に幼稚園は楽しかった記憶しかないんだけど、毎週土曜だけ凄く憂鬱だった。

 57が通ってた幼稚園はちょっと裕福な家庭の子が通うようなところだった。カトリックの教会が経営する幼稚園で、毎週土曜日(当時は週休1日)は朝からお堂という、ステンドグラスに囲まれた、ばかデカいキリストの像が掲げてある薄暗い部屋に集められ、延々とお祈りと園長の聖書の読み聞かせと讃美歌を歌う。カトリックとかプロテスタントとか新約とか旧約とか全く知らない子供にとってはちょっとハードな1日。

 ミサって時間だったかな?

 普段は明るい部屋で楽しく歌を歌ったり、園庭で走り回って遊んだりしてるのに、土曜日だけはあまりにも幼稚園のキャラが違い過ぎる! ツンデレのツンが強すぎ!

 園長は園長で57が天狗と見間違えた時の、例の黒のワンピースに小さな丸い帽子を身に付けた宣教師モードで、普段はめちゃくちゃ優しいのに、この日だけはやたらと厳しい!

 あと、4、5歳の子供には、磔にされたドデカいキリストの像は正直刺激が強すぎた!

 初めてお堂に入った時、人一倍怖がりだった57少年は、その雰囲気が怖すぎてめちゃくちゃ泣いたのを鮮明に覚えてる!天国に行く為の勉強みたいな時間が、まさか一番の地獄になるとは……。

 ただ泣いたお陰で、1学年上のクラスの先生がミサの間ずっと57の手を握ってくれてたんだよね。

 男は子供の頃から単純な生き物で、もちろんそれきっかけにその先生の事が好きになったのは言うまでもないよね。

 そんな事もありつつ、2年間の楽しい幼稚園生活にも別れを告げた。次回、波瀾の小学生編へ続く!

【池田57CRAZY】
1975年8月17日、山口県宇部市出身。2016年、実の娘・池田レイラとともに父娘コンビ「完熟フレッシュ」結成。著書に『親子漫才!』(KADOKAWA)
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