喧嘩の絶えない両親のもとで育つ
聡乃さんが生まれたのは静岡県。家族は父母のほか、弟が2人いる。「家庭が息苦しい」と明確に感じたのは、10歳くらいの頃だった。喧嘩の絶えない父母は、やがて喧嘩すらしない“冷戦”に移行した。モラハラ気質のある父親、人間関係が長続きせずすべての不満を愚痴として垂れ流し続ける母親。長女である聡乃さんは、両親のそれぞれに対峙する役割を担った。「母は職場での人間関係がうまく行かず、学生時代の私を捕まえては愚痴をこぼし続けたあと、決まって『ママ悪くないよね?』と言うんです。聞いてみると、母は会社で気に食わない人を無視するなど、社会人としてはやや幼い面がありました。けれども、肯定してあげないと拗ねてしまうので、思うところがあっても飲み込んでいました。私も学生なりに辛いことがあって、母に打ち明けてみようと思ったことがありましたが、母は『そうなんだ。それでママはね……』とどんな話も自分の話にすり替えてしまいます。
父はそんな母をあからさまにバカにしていて、私たちきょうだいに『ママみたいになるなよ。あれは悪い例だから』とせせら笑っていました。父は直情径行な部分もあって、机を叩いたりモノにあたることもあり、すぐに怒鳴るので、私はあまり近づきませんでした」
両親が離婚しなかった“意外な理由”
仲が悪くリスペクトに欠けるならば離婚はしないのか。かつての聡乃さんも、同様の疑問を婉曲的に表現したことがあるという。だが母親の答えは意外なものだった。「母は『シングルマザーなんてありえない』と言っていました。周囲にはシングルで頑張っている人もたくさんいたし、個人的にはそんなことはないと思いましたが、彼女は思い込んだ価値観を絶対に曲げません。たとえどんなに実態として仲が悪く、愛情がなくても、“素晴らしい家族”というハリボテを必死に守りたいようでした。
もうひとつ、母は『女は男に尽くして当然』と思っている風がありました。旦那から蔑まれているつらい状況を肯定するための虚勢だったのかもしれませんが、はっきりとそう口にするのを聞いたことがあります」
「数日間同じ洋服を着ていたこと」を友人に指摘され…
徹底して世間体を重視する母親は、現状を受け入れることで臭いものに蓋をし続けた。それはたとえば、こんな場面でも同様だ。「家庭でのさまざまなことがストレスとなり、中学生になったある日、朝起きたら身体が動かなかったことがありました。鬱のような症状が出てしまったんです。母に伝えると、不登校なんてとんでもない、といった感じで取り乱し始めました。
聡乃さんが記憶する家庭での日常の一コマは、なかなかにインパクトがある。
「母はネグレクト気味で、『きょうだい3人でわけて』と出された朝食がゆで卵ひとつと生ハム1枚だけだったこともあります。かと思えば、母がせっかく作ったご飯を父がそのまま三角コーナーに捨て、黙々と自分で料理を作ったあとに『お母さんのより美味いだろ?』と私たちに出したこともありました。
ほとんどの日において食事が足りないので、私はいつも給食を他人よりもがっついて食べていました。シャンプーやリンスを使ったこともなく、全身を石鹸で洗うものだと思っていたので、『どんなシャンプーを使っている?』みたいな女子トークにもついていけませんでした。数日間同じ洋服を着ていて、それを友人から指摘されて『同じのをたくさん持ってるんだよ』と苦し紛れに答えたこともあります」
中1のときに「一線を越えた」出来事
絵としてわかりやすい親からの暴力があるわけではないものの、ゆるやかに苦しい時間が続く。攻撃的で家族を見下して憚らない父親と、子どもに自らの精神的なケアをさせておきながら子どもには一瞥の関心もくれない母親の間で、聡乃さんの精神は徐々に蝕まれていった。中学校1年生のおわり、逃げ場のないストレスから、ついに“逸脱行動”に走る。
「ネットを介して知り合った男性に、下着を売ったり性的な類似行為をすることで対価をもらうようになりました。当時は中学生でしたが、小学生だと身分を偽っていたんです。すると、そうした趣味の人たちが使用済みの下着を欲しがりました。
警察沙汰になるが、懲りずにまた…
当然、すぐに警察の知るところとなる。「サイバーポリスが客のふりをしていて、あっという間に取引の当日に警察官に囲まれ、連行されました。スマホのデータを警察のパソコンに吸い上げられ、自分のスマホの前で指を指しながら写真を撮られたりしました。その日は両親から『なんでそんなことしたの?』と聞かれましたが、基本的には世間体が大切で事なかれ主義の2人なので、その日以降は、事件のことに触れずに忘れたように過ごしていました。
補導されたことによって、私はサイバーポリスのやり口が理解できたため、メールをくれた男性が本当の客かどうかを見抜く方法に気が付きました。その甲斐あってしばらくは引っかからずに済んだのですが、私が売り買いをにおわせる書き込みをしていたため、中2の朝に家宅捜索が入りました。これは少年審判まで行きました」
家出して渋谷をふらふらと歩いていたら…
当時、日常のつらさからリストカット痕がはっきりと聡乃さんの身体には刻まれていたが、それを指摘する警察官はいなかったという。両親もまた、徹底して事件をなきものとして扱った。「家にいなくていいなら、少年院でもいいかなと一瞬思った」ほど追い込まれた聡乃さんの内なる叫びは誰にも届かなかった。「中学生時代は本当につらかったと思います。とにかく家から出たくて、知らない夫婦の家にピンポンをして『家に置いてくれませんか』なんて言って話を聞いてもらったこともあります。話は丁寧に聞いてくれましたが、もちろん家に戻されました」
聡乃さんは孤独を深めていった。
一時は非行に近いことに手を染めたが、中3から奮起して勉強し、進学校へ合格。だがほどなくしてまた陰鬱な気持ちが押し寄せてくる。
「自分が頑張れば、家族が変わるのではないか。そんな希望を見出そうとしかけたこともありました。でも、両親は自分たちのことにしか興味がなくて、子どものことに根本的に関心がありません。再び学校へ足が向かない日が続いたのですが、そのときさえもはや両親が何も言わず、私のなかで何かが弾けました。
中学生のときにネットのおじさんたちからもらったお金がまだ残っていたので、それで東京の渋谷を目指しました。ふらふらしていると、道行くおじさんが『お金困っているんでしょ?』と近づいてきて、そのままホテルに行きました。結局、静岡には戻ったのですが、私は通っていた進学校を退学し、通信制の学校に通うことにしたんです」
一人暮らしをはじめるも、貯金が底を尽き…
18歳になれば自由を手に入れられる――その思いがこの頃の聡乃さんを少し楽にさせた。ラーメン屋でアルバイトを始め、高校生ながら月収10万円を達成した。友人の家に泊まったり、深夜まで時間を潰すなどして、なるべく家庭では親と顔を合わせる時間を少なくした。高卒後、聡乃さんは家を出ることに成功した。念願の独立だ。元手はもちろん、高校時代にこつこつアルバイトで貯めたお金。だが門出は多難だった。
「精神面における浮き沈みが激しく、一人暮らしをしましたが、働けない期間が続いてあっという間に貯金はそこを尽きました。家に出戻ることになったのです。母は、私が独立に失敗して戻ってくるのが嬉しいように見えました。また愚痴を聞いてもらえる相手がそばにいるからかもしれません」
2人の弟の様子がおかしくなっていた
聡乃さんには、気がかりなことがあった。2人の弟だ。両親のもとで暮らすほかなく、「お姉ちゃんが出ていって、家庭は一層地獄だった」と弟は語ったという。2人とも、聡乃さんの目からは心配な点があった。「上の弟はソーシャルゲームで他のプレイヤーに3時間近く暴言を吐き続けるなど、明らかに攻撃性が外に向かっていました。下の弟は小学生時代に夜毎日泣くなど、もともと精神的に心配な面がありましたが、やはり大人になってから精神に支障を来してしまいました。私は、両親に対して自分たちのつらさだけに向き合わずに子どものことに目を向けてほしいと思っていましたが、それが伝わる相手ではないんですよね」
実家での暮らしによって、聡乃さん自身、幻聴などの症状がひどくなった。頭のなかから聞こえてくる声をかき消すために、ガラスを蹴破った。アキレス腱が切れ、全治2ヶ月の怪我を負って入院する。その後、なだれ込むように友人宅に居候した。
人生を立て直すため、生活保護を受給
基本的には昼の仕事を主体に生活を組み立てたが、ときには性風俗店に勤務することもあったという。聡乃さんは、それについてこう話す。「性を売ることが成功体験になってしまっていると自分でも感じます。中学生のときにネットで知り合った男性を相手に大金を引っ張れて、そのお金で東京にも行けた。私にとっては、すごい大きな経験なんですよね。でもそれ以外のものが何もない。だから、今は性風俗店に勤務もせずに、まずは精神面の安定を得たいと思っているんです。生活保護はそのために受給しました。いつかは受給をしないでも大丈夫なくらい、安定的に昼の仕事をやれるようになれたらと思っています」
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親子関係は誰にもわからない。湿度の極めて高い密室に他ならない。聡乃さんの両親は度重なるSOSにも無関心を押し通し、他人事を貫いた。向き合うと不都合な現実がわかっていながら、対峙する役目を子どもになすりつけた。その矢面に立った聡乃さんが、どれほど心で血を流したかしれない。
聡乃さんは「現実がつらいとき、フィクションと現実を反転することで生き延びた」と笑った。次は自分が創作を通じて人の明日を作る側になる。彼女の筆先から描かれる物語は、誰に何を見せるのだろう。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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