2000年代初頭のITバブルで資産8億円を築きながらも、リーマンショックでそのすべてを失った一人のトレーダーがいる。「ぼすにぃ」さんだ。
彼はその後、再びFXの世界で5万円の元手から8億円の資産を築き上げるというカムバックを果たした。しかし、経済的な成功の先に待っていたのは、ステージ3のガンという過酷な現実だった。
 絶望の淵から生還した彼は今、何を思うのか。壮絶なトレーダー人生と、死の淵で見出した新たな目標、そして投資で勝ち続けるための哲学について、話を聞いた。

◆2000年代、デイトレで資産8億円に

5万円から二度目の8億円を稼ぐもガン宣告。「投資業界に恩返し...の画像はこちら >>
――ぼすにぃさんが最初に大きく資産を築かれた2000年代のお話からお聞かせください。

ぼすにぃ:はい。2005年頃、いわゆる「新興バブル」の時期でした。小泉改革からライブドアショックが起きるまでの間で、その時が一番儲かりました。デイトレードやスイングトレードで、最大8億円くらいまで資産が増えましたね。

――8億円ですか。当時はどのような手法でトレードされていたのでしょうか。

ぼすにぃ:当時はジャスダックやマザーズ、ヘラクレスといった新興市場が活況で、個人トレーダーはみんなそこに集まっていました。ライブドアの株式分割やジェイコムショックなど、市場が大きく動くイベントも多かったです。
そのなかで私が主に使っていたのは「ストップ高戦法」でした。

 ストップ高になった銘柄を買って、翌日に持ち越すという手法です。当時はこれが有効で、最高で2週間ずっとストップ高が続いた銘柄もありました。

 ただ、ストップ高になってから買いにいっても遅いので、楽天証券のマーケットスピードのデータをRSSに落とし込んで、ストップ高になる少し手前でアラートが鳴るツールを100万円かけて作ってもらいました。そのシグナルを見て、先回りして買うということを繰り返していましたね。

◆ライブドアショック、リーマンショックで資産はゼロに

――順調に資産を増やされた一方で、大きな損失も経験されたそうですね。

ぼすにぃ:はい。ライブドアショックのときは、堀江さんが逮捕されたというニュースで1日に1億円を失いました。そして、決定打となったのが2008年のリーマンショックです。

 この時、8億円あった資産がほとんどなくなってしまいました。ほぼゼロになったと言っていいと思います。日経平均株価は1万円が底だと思いましたが、そこからさらに30%以上も下がりました。昨今も暴落はたびたび起きますが、かわいいもの。
リーマンショックは今でも過去最大級の大暴落でしたし、何よりも半年ほど下がり続けたのが大きかった。

――8億円がゼロに……。そこから、どのようにして立ち直られたのでしょうか。

ぼすにぃ:リーマンショックの後は、しばらく株もFXもトントンという状況が続きました。相場がまったく動かない「暗黒の時代」でしたね。

 その後のアベノミクスの上げ相場も自分のトレード手法がまだ確立できていなかったので1,000万円稼ぐけど、結局1,000万円なくすということを繰り返していました。実家に帰ってなんとか生活していました。

◆5万円→8億円に。勝てるようになったのは「猛勉強」のおかげ

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ヒロセ通商では4つの口座を駆使して、1億8813万7911円を稼いだ。
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JFXでは3つの口座で1964万1901円の利益に。
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外為どっとコムでは540万9526円の利益に。合計8つの口座で2億1318万9338円の利益となった。
――そこから再び8億円もの資産を築かれたわけですが、何か転機があったのでしょうか。

ぼすにぃ:本格的に勝てるようになったのは2016年頃からです。きっかけは、とにかく猛勉強したことです。投資関連で市販されている本は、100冊か200冊かわかりませんが、とにかく全部読みました。


 それだけではありません。スティーブ・ジョブズやユニクロの柳井さんといった経営者の本、ドラッカーなどのビジネス書も読みましたし、一番役に立ったのは海外の精神科医が書いた心理学やメンタルに関する本でしたね。トレード手法の本ももちろん読みましたが、最終的にはメンタルが重要だと感じました。

――読書以外には、どのようなことをされたのですか?

ぼすにぃ:毎日16時間、ずっとチャートを見続けました。まるで受験勉強のようでしたね。本を読んで知識をつけ、チャートを見て、MT4(メタトレーダー4)というツールでバックテストを繰り返す。自分のエントリーとエグジットのルールを確立するのに、2~3年はかかりました。

――そのなかで、特に有効だった手法はありますか?

ぼすにぃ:ある本にたった1行、「仲値取引」に関する手法が書かれていたのですが、これを何年もかけて過去のデータで検証したところ、実際に有効だということがわかりました。今は一般的に知られてしまってあまり使えませんが、そうした地道な研究と検証を重ね、2016年のブレグジットショックを機に、再び大きく勝てるようになりました。元手は5万円からでした。

 2025年は非常に難しい年となりましたが、2024年の国内証券の利益は2億1318万9338円と大きく勝てた年となりました。

◆家賃のプレッシャーが無理なトレードを生んでいた

――一度ゼロになった経験から、お金に対する考え方に変化はありましたか?

ぼすにぃ:大きく変わりましたね。特に大きかったのは、家賃のプレッシャーから解放されたことです。
以前は、毎月25日になると家賃を払わなければいけないというプレッシャーがすごかったんです。

 例えば家賃が30万円だとすると、毎月まずマイナス30万円の状態からスタートするわけです。その30万円を稼いで、ようやく自分の収支がゼロになる。

 マーケットの調子が良ければ問題ないのですが、月末近くになっても稼げていないと焦りが出てきます。その焦りが無理なトレードにつながり、結果的にもっと大きな損失を出してしまうということが何度もあったんです。

――その経験が、現在の資産管理にどう繋がっているのでしょうか。

ぼすにぃ:リーマンショックで資産を失った後、ある経営者の方に「なんで不動産を買っておかなかったんだ」と言われたんです。「住むところさえあれば、最悪コンビニでバイトしても生きていけるだろう」と。その言葉がずっと心に残っていました。ライブドアショック、リーマンショックと大きな失敗を繰り返し、3度目にしてようやく学びましたね。

 再び資産を築いた今は、マンションを3つ購入しました。これでもう、家賃を稼がなければいけないというプレッシャーはありません。


 最悪、このマンションを1つ売れば生活できるという安心感があります。この精神的な安定が、トレードの成績にも良い影響を与えていると思います。

◆人生の絶頂期にガン宣告。「投資の世界に恩返しをしたい」

5万円から二度目の8億円を稼ぐもガン宣告。「投資業界に恩返しをしたい。”投資家”を一つの職業に」
ステージ3のガン宣告を受けたぼすにぃさん。抗がん剤治療を受け、現在は寛解と診断された。
5万円から二度目の8億円を稼ぐもガン宣告。「投資業界に恩返しをしたい。”投資家”を一つの職業に」
差額ベッド代などで1泊4万円ほどかかっていたため、入院中もノートパソコンでトレード。
――経済的な安定も手に入れ、まさにこれからという時だったと思います。

ぼすにぃ:そうですね。トレードも安定してきて、お金の心配もなくなった。これからようやく良い人生が始まるのかなと思っていた矢先、2024年に受けた人間ドックで、悪性リンパ腫が見つかったんです。

――がんですか!?

ぼすにぃ:はい、血液のガンです。ステージ3まで進んでいました。

 その年の8月から12月いっぱいまで抗がん剤治療を受け、幸いなことに2025年の1月には寛解(症状が落ち着いて安定した状態)と診断されました。今は3か月に1回検査を受けていて、5年間何もなければ完全寛解です。

――壮絶なご経験ですね。
闘病生活を経て、心境に変化はありましたか?

ぼすにぃ:人生観が完全に変わりましたね。欲しいものが何一つなくなりました。ブランド品とか高級車とか、そういう物欲が一切消えて、それよりも人と楽しく過ごしたい、という気持ちが強くなりましたね。

 闘病中はやはり気分が沈むのですが、同じようにトレードをやっている仲間と話すと、すごく気が楽になったんです。その経験から、病気が治ったら、投資家たちが集まって気兼ねなく話せるようなお店をやりたいな、と考えるようになりました。

 私がトレードを始めた2000年頃は、投資だけで生活していると言うと、なかには初対面で「いくら持ってるんですか?」と聞いてくるような人もいました。

 でも今はFIRE(Financial Independence, Retire Earlyの頭文字で、「経済的自立と早期退職」の意味)が認知され、新NISAの普及などもあって、投資がもっと身近になり、健全に情報交換できる仲間が増えてきたと感じています。そういう人たちと、トレードの話や趣味の話で盛り上がれる場所を作りたいと思って、渋谷に投資家が交流できるBARをオープンしました。

5万円から二度目の8億円を稼ぐもガン宣告。「投資業界に恩返しをしたい。”投資家”を一つの職業に」
渋谷・道玄坂エリアにBARをオープン。昼は飲食店、夜はカフェ・BARとして経営している。
――それは、社会貢献のような意味合いもあるのでしょうか。

ぼすにぃ: そうですね。せっかく生き残ったのだから、何か社会に、そして自分が稼がせてもらった投資業界に恩返しがしたい。投資家というものが、一つの職業としてもっと認められるように、地位向上にも貢献していきたいと考えています。

◆投資は後悔の連続。成功の秘訣は「後悔を減らすこと」

――これから投資を始める人たちに伝えたいことはありますか?

ぼすにぃ:「簡単に儲かることはない」ということです。多くの人が間違ったやり方で勉強しています。

 例えば、20年前に書かれた本の手法を今も使っていたり、ゴールデンクロスやRSIといったテクニカル指標を鵜呑みにしたり。それだけで簡単に勝てる世界ではありません。相場は常に変化していますから。

――では、どうすればいいのでしょうか。

ぼすにぃ:歴史は繰り返されるので、過去から学ぶことは非常に重要です。ただ、手法を本当に自分のものにするには、少なくとも3年はかかると思います。

 大統領選挙は4年に1回ですし、FOMCは年に8回あります。そういったサイクルを一通り経験し、自分で検証を重ねていかないと、本当の意味で相場を理解することはできません。

 私の失敗談を伝えることで、皆さんが同じ失敗をせず、損失を少しでも減らす手助けができればと思っています。

――最後に、ぼすにぃさんが考える「投資で成功する秘訣」を教えてください。

ぼすにぃ:投資というのは、後悔しかないんですよ。負けた時はもちろん、「もっと早く損切りしておけばよかった」と後悔しますが、勝っても「もっと持っていれば、さらに利益が伸びたのに」と後悔するんです。

 勝っても後悔するし、負けても後悔する。それが投資なんです。

 ただ不思議なもので、勝った時の記憶はあまり残っていませんが、負けた時の悔しさはずっと覚えているものです。投資は、常に後悔がつきまう「後悔の連続」です。

 だからこそ、トレードで成功する秘訣は、その「後悔の度合い」をいかに少なくするか、だと私は考えています。完璧なトレードはありえません。一つひとつの取引の後悔をできるだけ小さくしていく。その積み重ねが、長期的な成功につながるのだと思います。

【プロフィール】ぼすにぃ
個人投資家。大学生のときから株式投資を始め、投資歴は25年。毎日16時間、チャートを追い続けている株式、FX、225、ダウ、ナスダックなどの先物、ゴールド、シルバー、WTIなどのCFD、ビットコインなど暗号資産のトレードをする。1日の最高利益は1億8000万円で、現在は資産8億円以上を有する。
2024年、ステージ3のガンが見つかる。ガン宣告を受け死生観が変わり、「投資業界に恩返しをしたい」と、投資家が集まる投資BARを渋谷にオープンした。
Xのアカウントは@supertradercfd

<取材・文/横山 薫(扶桑社)>
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