元メガバンク行員の金融ライター、渡辺智です。
筆者はメガバンクに11年間勤めた経験があり、FP1級の知識を活かして5000人以上のお金に関するコンサルを行ってきました。


「2000万円あれば、老後は何とかなる」

“老後2000万円問題”が取沙汰されて以来、多くの人がそう思っているのではないでしょうか?

実際、私も銀行員としてそう口にしてきました。ですが、ある日その2000万円を元手に、さらに増やそうとした顧客が、静かに、そして確実に人生の歯車を狂わせていったのです。

これは、私が現場で見た忘れられない実話です……。

2000万円あれば安心だと思っていた

その人は、ごく普通の会社員でした。定年まであと数年。派手な生活をしてきたわけでもなく、どちらかといえば堅実なタイプ。

退職金と、数年前に亡くなったご両親の相続を合わせて、ちょうど2000万円ほどの金融資産がありました。

「これだけあれば、老後は何とかなると思ってまして」

初めて相談に来たとき、そう言って少しだけ安心した顔をしていたのを覚えています。

日本人の年代別の貯金の中央値をみると60代だと1200万円なので2000万円はかなり上位に入ります。

貯蓄と相続で“資産2000万円”の男性。「老後資金には少し足...の画像はこちら >>
当時の運用は、定期預金とリスクの低い投資信託が中心。利回りは高くありませんが、大きく減る心配もない内容でした。私は正直、悪くないと思いました。

年齢、収入、家族構成、すべてを考えても、2000万円は決して少ない金額ではなかったからです。


ただ、話を聞くうちに一つだけ気になった言葉がありました。

「でも、正直これだけじゃ足りない気もしてるんですよね」

その一言に、私は小さな不安を覚えました。この時点では、まだ何も始まっていません。ただ、この言葉が、後にすべてを狂わせる合図だったとは、そのときは知る由もありませんでした。

増やそうとした瞬間、すべてが狂い始めた

きっかけは、本当に小さなものでした。

「今、これが熱いらしいですよ」

同僚にそう言われて見せられたのが、スマホの画面に並ぶ派手な利益の数字だったそうです。

仮想通貨、海外株、レバレッジ取引。どれも、当時は勢いのある話題ばかりでした。

最初は、私にも慎重に相談してきました。

「勉強のつもりで、100万円くらいならどうですかね」

この頃は、まだ歯止めが効いていました。私も「余剰資金の範囲なら」と前置きしたうえで、リスクの説明をしました。本人も、うなずいていました。

ところが、数か月後。


「ちょっと増えました」

そう言って見せてきた評価額は、確かに利益が出ていました。

ここから、歯車が狂い始めます。

「せっかく流れが来ているなら、もう少し入れてもいいですよね」

投資金額はあっという間に膨らみました。100万円が300万円になり、気づけば800万円を超えていたのです。

その頃には、もう最初の「老後のため」という目的は、どこかへ消えていました。

残っていたのは、増えている数字と、もっと増やせるかもしれないという、期待だけでした。

お金よりも大切なものを失った日

貯蓄と相続で“資産2000万円”の男性。「老後資金には少し足りない気がする」焦りが招いた最悪の末路
※写真はイメージです
相場というのは、都合よくは続きません。

ある日を境に、評価額は目に見えて減り始めました。最初は「一時的な調整だと思うんです」と、本人もまだ強気でした。

けれど下落は止まらず、気づけば含み益は消え、含み損へと変わっていきました。

問題は、その後でした。「ここで戻れば、全部取り返せますよね」

彼はさらに資金を入れました。

もう2000万円の枠は、とっくに超えていました。


定期預金を崩し、保険を解約し、それでも足りず、ついには借入にまで手を出してしまったのです。勝つためではなく、負けを認めないための資金でした。

しかし、相場は容赦しません。

最終的に残ったのは、わずかな現金と、返済だけが残る借金でした。

奥様にすべてを打ち明けた夜、家の中は凍りついたように静まり返ったそうです。

「怒鳴られるより、何も言われない方がきつかったです」

そう呟いた横顔を、私は今も忘れられません。

2000万円を失ったのではありません。

彼が本当に失ったのは、家族からの信頼と、安心して眠れる日常だったのだと思います。

感情で投資をすると失敗する

2000万円は、安心できる金額のようでいて、欲が動き出した瞬間に一気に危うくなります。

失敗の原因は、知識不足よりも感情でした。

増やしたい、取り返したい、その気持ちが判断を曇らせます。お金を守る最大の武器は、実は相場ではなく、自分の心なのだと思います。


<文/渡辺智>

【渡辺智】
某メガバンクに11年勤務。リテール営業やプライベートバンカー業務を経験。その後、外資系保険会社で営業。現在は金融ライターとして独立。FP1級保有。難しい「お金の話」をわかりやすく説明することをモットーにしています。公式SNS(X)は、@watanabesatosi7
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