「なんだべ、あれ? 誰か住んでるんだべか」
 青森県弘前市の相馬地区(旧相馬村)でそんな声が聞かれるようになったのは、3年ほど前のことだ。

 相馬地区は、いわゆる“平成の大合併”で弘前市と新設合併した農村で、白神山地から続く丘陵地帯の先端に位置し、「飛馬りんご」のブランドで知られるりんごの名産地である。


 3年前、そんな相馬地区に突如白い帆のテント群が出現して住民の間で話題となっていた。テント群が現れたのは、岩木川沿いを走る県道28号線沿いの農地の一角。たびたびクルマで通る筆者も気にはなっていたものの、けっこうスピードを出すクルマの多いエリアということもあって、素通りしていた。

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地元住民が訝しがった県道沿いの異世界

 ところがある日、テント近くから焚火の白い煙が上がるのを見て、ちょっと先のパーキングエリアにクルマを停め、意を決してテント群を訪ねてみた。

「こんにちは!」

 そう声をかけると、

「はい?」

 テントの中からひとりの男性がのそっと出てきた。

手作りで始めたフィンランドスタイル

青森県の農地の一角に“突如現れた”白いテント群…住人を直撃「北欧スタイルの隠れ家で星とビールを楽しむ」78歳男性の半生
手作りのテント内には生活用具もそろっていて、快適そう。テントのシートは5枚重ねで防寒もバッチリだ
 テントの主は、齊藤優(まさる)さん(78歳)。ガタイのいいサングラス姿で現れた齊藤さんに、恐る恐る話を聞きたいと取材をお願いすると、意外なほどあっけなく快諾してくれた。

 齊藤さんは弘前市の中心街に位置する桶屋町で美容室を営む美容師。店の営業時間外や予約の入っていないときにテントにやって来て自由気ままな時間を過ごしているという。

「今まではほとんど毎日のように来ていたね。今年はちょっと馬力がなくなっちゃって減ったけど。それでも夕食を食べた後、9時くらいに来て焚火のそばでビールを飲みながら星を眺めて朝まで過ごしたり、朝、店が開く前に来てコーヒー沸かして飲んだりしてるよ。今年で4度目の冬だけど、ストーブとかベッドも持ち込んでいるので、真冬でもここに泊まることもあるんだ」

 4棟あるテントはすべて齊藤さんの手作りだ。フィンランドスタイルといわれる、白いピラミッド型のテントが、緑に囲まれた中で映え、道行く人の目を引く。


「イメージは、北欧のテント。ある人が、『ここだけ別世界みたいだ』といっていた。これでオーロラが見られればいうことないんだけど(笑)、それは無理だからね。でも、相馬地区は星がきれいなことで有名だし、朝には岩木川越しに大きなお日様が拝める。自宅からバイクで10分程度だし、距離的にもいい場所が見つかったと喜んでいるよ」

現在の場所は偶然見つけた

青森県の農地の一角に“突如現れた”白いテント群…住人を直撃「北欧スタイルの隠れ家で星とビールを楽しむ」78歳男性の半生
齊藤さんが営む美容室「ペニー齊藤」の店内。雪の時期にも冬用タイヤを履いた自転車でテントに行くことあるという
 齊藤さんがテント暮らしを始めたのは、60歳を過ぎたあたりから。以前は市内の別の場所にテントを張っていたが、コロナ禍などがあって撤去せざるを得なくなった。はてどうしたものかとバイクで走り回っていたとき、偶然に見つけたのが現在の場所だった。

「農地の持ち主を探して、テントを張らしてくれとお願いしたら、すんなりOKしてくれた。まったくただというわけにもいかないんで、まあ、わずかだけ有償でね。。テントも、買ったのは白いシートと留め具のネジなんかぐらいで、1棟5万円もかかってないんじゃないかな。普通に買えば、20万円はするらしいんだけど」

 柱の木材や床板のコンパネは、知り合いの解体屋さんから提供してもらったという。焚火に使う薪も、解体屋さんからの提供だ。


「1年間で使う薪は、4tトラックで4台分ぐらいになる。もちろんお礼はするけど、買うとなるとけっこうな金額になるから本当に助かるよ」

 こんな人とのつながりが、齊藤さんがテント暮らしに魅せられる理由のひとつだ。農地の持ち主はもちろん、近所の農家が農作物などを持ってきては、しばらく齊藤さんとの会話を楽しんでいくという。同じようなテントを建てたいと相談に来る人もいるそうだ。

「日本一周をしている人や、外国人のバックパッカーが興味を持って訪ねてくることもある。キャンピングカーで回っている人がここで泊まったり。そんな交流が楽しみのひとつだね」

テント暮らしの原点は都合7回の日本一周

 見知らぬ人々との交流や旅先でのふれあいに魅力を見出したのは、齊藤さんが30代のころだ。じつは齊藤さんは、30代から40代にかけてバイクや自転車で5回も日本一周の旅に出ている。

「ヒッチハイクを含めれば、全部で7回かな。女房と娘を乗せてサイドカーで回ったこともあったね」

 行く先々でふれたのが、地元の人々のやさしさだった。食べ物や飲み物を分けてくれるのはもちろん、なかには「うちに泊まっていけ」と寝床を提供してくれる人もいた。恩返しがしたいと、齊藤さんは2度目の旅から美容師の商売道具を持っていくようになった。

「お礼に髪を切ってあげようと思ってね。
道の駅で『カット無料』の看板を立てたこともあった。みんなとても喜んでくれたよ。女房と娘と3人で回ったときには、パーマや毛染めの道具も持っていったんだ」

スポンサーの多さは「びっくりするほど」

青森県の農地の一角に“突如現れた”白いテント群…住人を直撃「北欧スタイルの隠れ家で星とビールを楽しむ」78歳男性の半生
煙突のあるストーブやかまども備えていて、もらった果物を煮てジャムを作ることもあるという。一番奥のテントはサウナ用だったが、現在はほぼ物置と化している
 旅先での出会いとともに齊藤さんを感動させたのが、スポンサーの存在だった。日本一周の旅には毎回多くの企業がスポンサードしてくれたそうだ。

「某有名アウトドアメーカーさんは、テントから衣類、食器まで合わせて100万円以上のものを提供してもらった。こんな田舎の若者のわけのわからない挑戦を応援してくれる企業なんてないだろうと、半分あきらめながら企画書を持って回ったんだけど、びっくりするほど多くの企業さんが協賛してくれた。お店に来るお客さんのなかにも、多額の協賛金を提供してくれて人もいた。本当にありがたいよね」

 その恩返しではないが、経験からな学んだ知識やノウハウを若い人たちに惜しみなく伝えていきたいというのが、今の齊藤さんの願いだ。だから、テントを訪ねる人を無下に断ることもない。

「お金の相談は無理だけど(笑)、知ってることやわかることならいつでも誰でも相談に乗るよ。60歳を過ぎてさすがに日本一周はきつくなったけど、代わりに始めたこのテント暮らしは、身体がゆるす限り、続けたいね。もっとも、テントのサウナは血圧の関係でドクターストップがかかっちゃったりとかあるけどさ(笑)」

人生もチェーンソーも大事なのは休息

 テントを訪れるのは人だけではない。市街地に近いエリアということでクマとの遭遇は今のところないが、キツネやタヌキ、フクロウなどが齊藤さんのテントの周りにちょくちょくやって来る。


 満天の星空の下、自然や動物たちに囲まれて手作りのテントで過ごす――そんなひとときも、もともとアウトドア志向が強く、行動力のある齊藤さんだから、という側面があるのかもしれない。ただ、方法や規模は違っても、自分にとっての至高の時間を持てるか否かで、人生の味わいは大きく変わってくるのではないか。

 齊藤さんは語る。

「いつか、チェーンソーの使い方を教えてくれた人がいっていた。『素人は何時間も続けてチェーンソーを回そうとする。でもそれだと機械も人間も疲れてしまう。事故は疲れたときに起きやすい。10分回したら少し休む。その繰り返しが一番効率的なんだ』と。人生も同じじゃないかな。少なくとも俺は、このテントで過ごすことで生きることのモチベーションが上がっているよ」

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 ちょうど相馬地区にテントが出現したころに東京から移住した筆者も、振り返れば走り続けて痛い目にままあった。遭うことがぼちぼち休み休みの人生をめざすべきかもしれない。
齊藤さんの話を聞いて、そんなふうに思った。

<取材・文/加賀新一郎>

【加賀新一郎】
1964年、東京都生まれ。フリーランスのライター&エディターとして総合月刊誌、経済誌、ボクシング雑誌、歴史雑誌などの分野で活動。さらに出版社勤務を経て、2022年に青森県弘前市の相馬地区(旧相馬村)に移住し、3年間、当地の地域おこし協力隊として勤務する。退任後も弘前市に居住し、取材・執筆活動を続けている。
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