―[貧困東大生・布施川天馬]―

 みなさんは一日にどれくらい動画を見ますか?
 私は主にYouTubeを利用しますが、先ほど確認したところ、毎日最低でも1時間半ほど、多いと5時間以上の動画を視聴していることがわかりました。

 もちろん、音楽を流したり、聞き流したりと、実際に動画視聴だけに集中する場面だけではないにしても、毎週10時間以上を費やしていたとなると、なんだか恐ろしくなります。


 休憩すること、娯楽を楽しむことはよいのですが、「10時間分のなにか」を私は得られたのだろうか?と。

 ちなみに、ここでいう「なにか」とは、知識に限らず、「癒し」や「感動」なども含みます。つまり、「漫然と動画を見て時間を無駄にしていなかっただろうか?」と気になったのです。

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コンテンツ過多時代に生きる難しさ

 昨今、誰しもがスマホに夢中です。

 電車内を見渡せば、みんな手元の板にぞっこん。大人も子どもも、赤ん坊までもがブルーライトで照らされる作り物の世界を見ています。

 大人はある程度分別が着くでしょうし、自己管理くらい自分でできるでしょうけれど、問題は子どもたち。

 感情に振り回され、一時の利益や損失に目を白黒させて、目の前の甘い罠に自分から引っかかりに行くこの危なっかしい生き物は、暇があればずっとネットの海を遊泳し続けます。

 勉強がおろそかになるとか、部活動や習い事をサボるとか、これらは珍しい話ではありません。

 私自身、「いま生まれていたら大変なことになっていた」と強く感じます。大変生きるのが難しい時代に突入している。

 そこで、今回は「コンテンツ過多時代を生きるには」を考えます。

無料で遊べるものが多すぎる

 かつて、遊ぶためにはお金が必要でした。

「それはそうだろう」と感じた方も多いでしょうが、一応解説すると、ゲームを遊ぶにはゲーム機本体とゲームソフトを買わないといけませんでしたし、動画や漫画を楽しみたければ、買うなり借りるなりしなくてはならなかった。


 しかし、今は違います。

 無料で遊べるゲームなんてごまんとありますし、しかもそれがスマートフォンで動作してしまう。

 動画はYouTubeやTikTokで、漫画は『ピッコマ』や『マンガワン』などのスマホアプリで、それぞれ無料で楽しめる。

 いまとなってはスマホなんて大人も子どもも誰しもが持ち歩くもの。

 実際に、こども家庭庁による「令和五年度青少年のインターネット利用環境実態調査」によれば、小学生(10歳以上)の70.4%、中学生の93.0%、高校生の99.3%が専用のスマートフォンを所持しているとされます。

 インターネットの利用状況も年々上昇しており、もはや子どもたちの生活からスマホとネットは切り離せません。

無料はなんで“毒”なのか

 一番私が恐ろしいと感じていることは、「無料で遊べる」が故の時間の浪費です。

 常に新しい作品が製作され続け、過去の名作すらサブスクで見放題になる現代は、コンテンツの氾濫が起きているといえます。

 大人の我々ですら、気を抜いているとついついShort動画を見続けてしまう。特に、最近はAIを利用したであろう粗雑なクオリティの短編動画も増えました。

 癒されるわけでも、知識を得られるわけでも、感動に浸れるわけでもないのに、「次々と高速で移り変わる画面」それ自体の刺激から目を離せず、ただ無為に時間を消費する。

 布団の中で「ちょっとだけ」と見始めて、気が付いたら午前2時……そんな経験をされた方も少なくないのでは。

 もはや、私たちは、本当に観たいコンテンツを楽しむために、そのための時間と体力を確保する努力が必要な時代を生きるようになりました。


 百年前の貧困層は食うや食わずの毎日を送り、暇を持て余して死んでいったでしょうが、現代の貧困層は安いインスタント食品を貪りながら、ひたすら目の前を通過する様々な刺激に目を奪われ、圧倒的な情報量に振り回されながら死んでいく。

 かつて私が感心した例え話に「壺と石の話」があります。

 有名すぎるので簡略化しますが、要するに「壺の中を満たすなら、細々としたものではなく、大きなものから入れないといけない」というものでした。

 私はこの話を「目の前の些事に囚われず、大きな目標や野望からかなえて行かないと、つまらないもので人生がいっぱいになってしまうのだな」と解釈しました。

スマホから離れて自分に目を向ける大切さ

「興味のないコンテンツから身を守る努力」が必要です。

 それはつまり、自分の時間を守るための行動であり、自分が時間を費やしたい相手を見定めることでもある。

 自分は何が好きだったかを、一度思い返す必要があるかもしれません。

 最近、講義や家庭教師などで子どもたちと話すと、「何が好き?」と聞いても中々答えあぐねるようでした。もちろん関係性などもあるでしょうが、それ以上に「好きなもの」を表す言葉を持ち合わせていないように見えました。

 自分とは、意外と自分が見えていないもの。

 私自身も、ずっと「ゲームが好き」だと自認してきましたが、最近になって「ゲームよりも、ゲームを通じて物語を読み解き、ゲームを通じて誰かとコミュニケーションを取ることが好きなのだ」と気づきました。

 だからこそ私はスコアアタックやタイムアタック、やりこみ要素に興味がない。
大変しっくりくる解釈でした。

 逆に、私は運動が好きではないと考えていましたが、一人で孤独に運動することが退屈なだけで、誰かと一緒にチームになって汗を流すのは、意外と嫌いじゃなかったんです。

 このように、「嫌い」だと思い込んでいたことも、実はそうではないかもしれない。

 これを知るためには、自分で自分の感情の揺れ動きを観測するメタ認知が必要となります。

 あらゆる場面で自分の外側に「もうひとりの自分」を立たせて、常に監視させる。

「いまの自分の状態はこうだな」と観測させ、そのデータを基に、「どんな行動を自分は好く/嫌うか」を判別し、まとめる。

 私たちは自分自身がわかっていないからこそ、自分の求めるものとは異なる安易な刺激に身をゆだねてしまうのでしょう。

 だからこそ、本当にやるべきは「スマホから目を離し、自らの像へ目を向けること」。

 例えば、この文章を読んで、自分はどう感じたか。不快に感じたか、それとも納得したか。では、どうしてそのように感じたのか。同じような出来事が過去にもあったか、なかったか。
新傾向なら、その延長線上に何が見えるか。

 これらを考えることで、私たちは精神的に成長し、時間貧困層から脱却できるのではないでしょうか。

 自らの人生を生きるためにも、一度デジタルデトックスの検討をお勧めします。

<文/布施川天馬>

―[貧困東大生・布施川天馬]―

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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