―[連載『孤独のファイナル弁当』]―

『孤独のグルメ』原作者で、弁当大好きな久住昌之が「人生最後に食べたい弁当」を追い求めるグルメエッセイ。今回『孤独のファイナル弁当』として取り上げるのは公園の売店で売っていた焼きそば。
本当にファイナルになりえるのか。そして、お味はいかに?

公園の売店『焼きそば』を弁当にして食す<人生最後に食べたい弁...の画像はこちら >>

孤独のファイナル弁当 vol.18 「公園の売店の焼きそば」

 北海道に「やきそば弁当」という人気カップ焼きそばがある。あれをファイナル「弁当」にするのはどうか。と思いついたがすぐには手に入らない。締め切りは今日、というか今だし。まだギリギリ。

 そうだ。だんごやフランクフルトやジュースを売っている、近所の公園の売店。たしか焼きそばも売っている。店内では食べられないから、当然容器に入っているはず。それだ。売店やきそば弁当。


 すぐ買いに出て、売店で頼む。感じのいい若い女性店員が「少々お待ちください」と微笑んで、しばらくして奥から白いボール紙の箱を持ってきた。おお、まさに弁当だ。

 これは仕事場に持って帰るべきか、今公園のベンチで食べるべきか。と、箱から微かにソースの匂いが漂ってきた。これは、安っぽいぞ。安っぽい香りだ。箱を開けてみる。もわ~んと湯気が上がる。箱ごと電子レンジでチンしたものと思われます。

 これはね、部屋に持ち帰って落ち着いて食べたらダメなやつだ。お祭りの屋台の焼きそばと一緒。
雑踏や外気の中で、できたてを食べるに限る味。

 池のそばのベンチに座って、割り箸で麺を持ち上げる。思った通りのゴム感。ゴム焼きそば、若い頃から好きだ。町中華のソース焼きそばとは別物。でも青のりと紅ショウガがうれしい。具はキャベツとニンジン。肉ゼロ。問題ない。

 食べた。うん。うん。
最底辺かもしれない。日本料理の焼きそばとして。いいじゃないか。ソース味、薄め。それが「味がない」という方向にやや転んでいる。薄味とは違う。コクとかスパイシーという要素もほぼなし。油は冷めたらダメなやつだな。

 でもいい。空は秋晴れ、お昼の日差しはガラスの断面のようにまっすぐで透明だ。目の前には池の水がごく小さなさざなみを立てている。遠くで水鳥の声がする。


 この味の薄いゴム焼きそばが、俺の最後の弁当、最後の一食だとしたら。天を仰ぐ。

 それでいいと思う。今も寒くひもじく寂しい思いをしている人がいくらでもいる。自分もそうだったかもしれない。だが今は冷凍レンチンだってなんだって、好きな焼きそばが湯気を立てているのを、ボソボソ啜ることができる。たのしいことだ。ありがたいことだ。これが最後の一食。実に俺らしく滑稽な姿が、秋の公園の片隅に見える。

 紅葉が盛りを過ぎた外気の中で、淡々と食べ進むゴム焼きそば。うまいもまずいもなく、淡々と生きている今が愛おしい。


 食べ終わったあと、どうせだからと同じ売店でしょうゆ団子を買ってみた。デザート。立ち食いだけど。焼きたてで柔らかくて香ばしかったけど、じきに口の中がやたら甘塩っぱくなって、自販機で麦茶を買ってごくごく飲まないといられなかった。

公園の売店『焼きそば』を弁当にして食す<人生最後に食べたい弁当は?>/久住昌之
近所の公園の売店で購入した具が気持ちばかり入っている焼きそばとしょうゆ団子。思った通りのゴム感でも、もはや味がなくても「空は秋晴れ」、それでいいのだ。


公園の売店『焼きそば』を弁当にして食す<人生最後に食べたい弁当は?>/久住昌之
孤独のファイナル弁当


―[連載『孤独のファイナル弁当』]―

【久住昌之】
1958年、東京都出身。漫画家・音楽家。代表作に『孤独のグルメ』(作画・谷口ジロー)、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子)など。Xアカウント:@qusumi
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