劇場は減り、客も減り、ストリップ嬢の居場所は年々狭くなっている。それでも、舞台に立ち続ける理由がある。
人生の半分以上を裸で踊ってきた女性たちが、消えゆく昭和エロスの現場で、その熱い思いを語ってくれた。

ずっと裸で生きてきた。私は生涯、踊り続けたい

「日本に17軒だけ残るストリップ劇場」の現場で起きていること...の画像はこちら >>
 最後の昭和エロスが危機に瀕している――。戦後間もなく誕生したストリップは、最盛期には全国に300軒の劇場があったが、1985年の新風営法で規制が強化されると徐々に姿を消し、現在、日本わずかは17軒が残るのみだ。

 斜陽産業と見なされ、衰退の一途を辿ってきたストリップだが、近年、近年、女性客の流入を背景に「新たな客層を取り込んだ」「ブームが起きている」と語られる場面もあった。大衆文化に詳しい江戸川大学の西条昇教授は、その変化についてこう指摘する。

「女性客が客席の3割を占めることもありました。漫画やアニメを題材にした“2・5次元ストリップ”や、“男装BLストリップ”など、オタク文化と親和性の高い演目も見られ、女性客が推しをつくるようになった。その結果、一部の若いストリッパーのアイドル化が進んでます」

「日本に17軒だけ残るストリップ劇場」の現場で起きていること。ベテラン踊り子が直面する現実
劇場には、インバウンド客も想定して、各国の案内チラシが置かれていた
 もっとも、こうした動きは業界全体の回復を意味するものではない。劇場数が激減し、従来の男性客が減少するなかで生じた局所的復活にすぎず、現在のストリップ界は、「若くて、推されるアイドルストリッパー」と、「年齢を重ね、静かに業界から去っていくベテランの踊り子」へと二極化しつつある。30歳でそろそろ引退といわれる業界だけに、ベテラン嬢を取り巻く環境は厳しくなるばかりだ。

個人事業主であるストリッパーにのしかかる「経費」

 キャリア27年の牧瀬茜(年齢非公表)さんは、こう話す。

「日本に17軒だけ残るストリップ劇場」の現場で起きていること。ベテラン踊り子が直面する現実
牧瀬茜さん。1998年デビュー。以降、’12年に親の介護で休業するまで年間300日、全国各地の劇場で活動。復帰後も精力的に踊り続ける。文筆活動も行い、短歌専門誌に寄稿。著書に『歌舞伎町で待ってます』(メタモル出版など)
「昔はちょっとした温泉地には必ずストリップ劇場があり、社員旅行の団体客などが詰めかけ、今とは桁違いにお客さんが多かった。
当時は1日に『2足(1足=100人)』くらい普通に入っていたと聞きます。社員旅行がなくなった今、温泉地の劇場はたった3館になってしまった」

 仕事場の減少に加えて、個人事業主であるストリッパーは「経費」が重くのしかかる。 「衣装や振り付け代、交通費や宿泊費は自腹。衣装は演目に合わせて作るので、オーダーで最低10万円。50万円ほどかけるコも珍しくない。昔は、新しい出し物を1つ作れば20軒ほどの劇場を回れたけど、今は5軒で踊ったらまた新しい演目を作らなければならず、衣装代が嵩む。全国を回る交通費、地方の劇場に衣装を送る宅配便の代金もバカになりません」

ベテランのストリッパーには、年齢を重ねたゆえの問題も降りかかる。

「体力は落ちるし、ケガや病気もしやすくなる。去年はステージで転んで手首を骨折、1か月ほど休業しました。親の介護で3年ほど舞台から離れたこともある。ストリッパーは踊らなければ、収入はゼロ。休んでいる間に芸が錆びたり、お客さんが離れないか不安で。
幸い復帰できましたが、1年先は見えません。でも、お金では得られない、裸で表現する魅力がある。人生の半分以上をストリッパーとして生きてきたので、もう人生の一部。いいステージにしたい思いに、ゴールなんてない」

「いつまでもできる仕事じゃない」

「日本に17軒だけ残るストリップ劇場」の現場で起きていること。ベテラン踊り子が直面する現実
翔田真央さん。’04年、大学4年時に札幌ススキノでスカウトされ、1か月後には在学のまま渋谷道頓堀劇場でデビュー。趣味はスポーツで、アイアンマンレースやトライアスロンに参加するほどのアスリート系ストリッパー
「昔は朝まで飲んで、昼から平気で舞台に立っていたけど、最近は体に堪える(苦笑)」

 こう話すのは、デビュー21年目を迎える翔田真央(年齢非公表)さんだ。彼女も身体の衰えを隠さない。

「私のちょうどいい仕事のペースが、昔は50日働いて10日休みだったのが、今は20~30日働いて10休み。体力があっても、仕事自体が少ないんです。稼働日が半分なら、当然、収入も半減。人知れず、いなくなるコはいます。いつまでもできる仕事じゃないので、ピラティスの講師の資格を取り、マシンも輸入して将来に備えてますが、まだまだ踊りたい演目があるのでやめませんよ」

劇場の摘発対策でパンツをはいて踊る

 一方、業界への風当たりも強くなるばかりだ。前出の西条氏が続ける。

「コンプラに厳しい昨今、近隣からの苦情や通報をきっかけに、警察が摘発に乗り出すこともあるという。’21年の東京・シアター上野、’24年の大阪・東洋ショー劇場の摘発は、それぞれ東京五輪、大阪万博の開催前の“浄化作戦”だったという声もあります」
     
 摘発された劇場は、最長8か月の営業停止処分となる。長期にわたり収入が途絶え、摘発をきっかけに閉館した劇場は少なくない。
そして、ベテラン嬢の仕事場も減っていく。前出・翔田さんが振り返る。

「摘発直後の劇場で、パンツを履くように言われて舞台に立ったときは、さすがに『いったい私は何をしているんだ!?』って(苦笑)。摘発を避けたい事情は、もちろん理解しています。でも、ストリッパーだから、脱げるものなら脱ぎたい! 好きで入った業界なので、捕まったら仕方ない。最近は『アート』と言われるけど、ストリップは、基本、裸商売なので、嫌悪する人がいるのは当然。私もプライベートでは、信頼できる人以外に仕事のことは話しません。持ち上げられて、勘違いしないように自分を戒めています。昔ながらのお姉さんたちが大勢いる時代の最後にデビューしたので、若いコにはアートもいいけどエロを忘れないでほしい。そう促すのが、ベテランの役目だと思う」

伝統芸・花電車とともに舞台から去った踊り子

「日本に17軒だけ残るストリップ劇場」の現場で起きていること。ベテラン踊り子が直面する現実
ファイヤーヨーコさん。元ストリッパー。元花電車芸人。1997年、30歳のときに大阪・十三ミュージックでデビュー。芸名の由来は、彼女が得意とする「股間から火を噴く」花電車芸。’20年にストリッパー、’25年に花電車芸人を引退
 ストリッパーのアイドル化は、意外な余波をもたらした。女性器を使ってラッパを鳴らし、吹き矢を飛ばし、火を噴く「花電車」の芸人・ファイヤーヨーコさん(58歳)は、往時には月200万円以上も稼いだ伝説のストリッパー。だが、芸を披露する劇場がなくなり、’20年に業界に見切りをつけて引退した。


「ショーの後、お客さんとポラロイドを撮るのですが、代金は劇場の収入になります。だから、ポラが売れる踊り子を劇場は呼びたがる。実際、私も『ヨーコさんなら売れるよ』と言われてポラの撮影を勧められたし、熟女路線にシフトすれば現役は続けられたでしょう。でも、私は花電車で始めたストリッパーという仕事を、花電車の芸人として終わりたかった。業界引退後はパフォーマーとして全国を周り、花電車芸をやりたい女のコが出てきたとき、食べていける環境を各地のライブハウスに整えてあります。弟子を取らなかった私の、せめてもの贖罪なんです」

 業界が衰退するなか、エロの灯火を消さぬよう、ベテランのストリッパーたちは今日も逞しく踊り続けている。

取材・文/山本和幸 齊藤武宏 撮影/笠井浩司(KKフォトグラフ) 協力/渋谷道頓堀劇場

―[[ベテラン・ストリップ嬢]の人生劇場]―
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