3歳から芸能の世界に足を踏み入れ、現在も夜職と兼業で舞台女優として活動する小夏つむぎさん(34歳・@tsumugikonatsu)。小学5年生で一人暮らし、21歳では直腸癌を経験した。
だが激動を駆け抜けた彼女は、「個別のイベントよりも、人生そのものが辛かったですね」と微笑む。彼女はなぜ、それでも舞台を続けるのか。半生に迫った。
※本記事は小夏つむぎさんの体験や思いを、インタビューをもとに編集・構成したものです。語られている内容には、当時の記憶や受け止め方が反映されています。

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3歳で芸能界へ。小5で始まった東京での一人暮らし

――幼い頃から芸能をやられていて、いわゆるお母様はステージママだったと伺いました。

小夏つむぎ:そうですね。3歳からいろいろな端役をやっていて、小2のとき、猿岩石のマネージャーさんに声をかけていただき、本格的に事務所に所属することになりました。その後、小5の終わりから芸能活動のため東京で一人暮らしをして……という感じです。最初のほうはオーディションにもなかなか引っかからず、連敗でした。

――それほど熱心に芸能活動をしていると、学校にもあまり通えないですよね。


小夏つむぎ:はい、居住地は広島、兵庫、岡山、東京と移っていくのですが、オーディションがあるときは学校を休まなければなりません。小5のときに初舞台を踏むのですが、大阪での舞台だったので、稽古や本番のために岡山県に引っ越し、通っていました。特に地方に住んでいるときは、なかなかそうした芸能中心の生活が理解されず、いじめられたこともあります。

 また、中学受験をして東京の女子校に入学したのですが、そこは20名弱のクラスメートが3年間ずっと一緒にいる環境で。ある日、いじめられている友人を庇ったら、翌日からその友人も含めて多くの女子からシカトされたりもしました。

母と兄からの虐待…家族と離れて感じた安らぎ

――小学生で東京で一人暮らしというのも、なかなかたいへんではありませんか。

小夏つむぎ:母がちょくちょく様子を見に来てくれていましたが、小学生ではあまりない体験ですよね。ただ正直な話、家族と離れてホッとする部分もありました。

――と、いいますと?

小夏つむぎ:あとになって自覚したのですが、私の中では、7歳上の兄から性的な被害を受けていたんです。記憶では、3歳くらいからだと思います。兄は私が5歳のときに中学受験をして兵庫県に引っ越します。ほどなくして、父も仕事の関係で兵庫県へ移動しました。少しのあいだ、私と母は2人でいたのですが、私の記憶の中に強く残る母は気性が激しい女性で、髪を引っ張るとか殴るのは当たり前でした。
あるときは、兄に向かってハサミを投げて刺さってしまうなど、いわゆる虐待と呼んで大げさでない行為がありました。家族といる時間は、あまり心が休まるものではなかったんです。

16歳で背負わされた「父の延命」という残酷な決断

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今でも背中を壁につけないと眠れないのだという
――お兄さんからの性被害は暗い影を落としそうですね。

小夏つむぎ:当時は明確に自覚しませんでしたが、きっとそうだと思います。夜に寝ているときに、いつの間にかされていたり、「痴漢ごっこしようよ」と遊びの体で誘われることもありました。私が高校入学直後くらいまで、断続的に続いたと思います。私は性的なことに目覚めるのが遅かったものの、得も言われぬ不快な感じはずっとありました。

 別件ですが、母が雇っていた従業員からの被害にも遭っています。自宅が母の事務所も兼ねていたので、従業員の出入りがあり、当時いじめが原因で不登校だった私との接触もあったのです。

 そうした経緯から、現在でもなお背中を壁につけていないと眠れなくなってしまいました。あるいは、一人暮らしで誰もいない部屋なのに物音にビクビクしたりすることもあります。

――お母様との信頼関係も、あまり構築できなかったと伺いました。

小夏つむぎ:私が16歳のとき、父が病死しました。
その少し前、公衆電話からかけてきた母に「お父さんを延命させるか、させないか、あなたに決めてほしい」と言われたんです。けれども、当時の私はその意味が深く理解できません。私は「延命しない」と言いました。ほどなくして父は亡くなりましたが、その後、精神的に不安定になった母から、「お前は人殺しだ」と言われたのを今でも覚えています。「私が殺したんだ」という罪悪感が、いまだに消えることはありません。

「私にどうしろと」娘のがん告白を拒絶した母

――その後も小夏さんは直腸がんになるなど、さまざまなつらい体験をしますよね。

小夏つむぎ:一般にがんは大病であり、たいへんなことだと思います。けれども、家族で暮らしているあいだ、ずっと辛くて、ずっと消えたいと思っていた私にとっては、それだけが特別なイベントではないというのが正直なところです。 

 がんのことを伝えたときも、母は「あぁ、そうなんだ」という薄い反応でした。昔から、私が体調不良を訴えても、「お母さんも体調悪くて」と自分の話にすり替えてしまう人です。また、高1のときに私がいっぱいいっぱいになって、母に兄からの性被害を打ち明けたときも、「そんなの知ってたわよ。私にどうしろっていうの」と突き放されています。こうした体験から、周囲を味方と思えなくなってしまいました。


 兄からの性被害も、がんという大病も、もちろんつらかったですが、「それを言うなら人生全体がつらかったな」と率直に感じますね。

舞台が教えてくれた「生きる意味」

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舞台の上では、抑圧された感情を解き放つ
――その後、ご家族との関係はいかがですか。

小夏つむぎ:母は再婚し、再婚相手と兄と一緒に暮らしているらしいことは知っていますが、どこで何をしているのか、具体的なことは何もわかりません。兄からは21歳のときにお金を貸すように頼まれて貸しましたが、その後、一切の連絡手段をブロックされてしまいました。

――現在、小夏さんは舞台での芝居を通じてさまざまなファンから愛されていますよね。過去と現在を比べて、どのように感じますか。

小夏つむぎ:私はこれまで、自分の感情を抑圧して生きてきました。プライベートでは、怒ることすらできない人間です。極力、他人を不快にさせないように生きてきました。けれども、舞台上だけは、感情が動くんです。そして、舞台をご覧になったファンの方々が感想をくれると、「やっぱり生きていて良かった」と思えます。ずっと自分を必要のない人間だと思ってきた私にとって、舞台は居場所であり、生きる意味なのだと思います。


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 芸能という華やかにみえる世界にいながら、小夏さんは家族という牢獄のなかでもがいた。自らを抑圧し、感情を壊死させることで、何とか生命を繋ぎ止めたのだろう。だが舞台で自由を体現する小夏さんは、あらゆるしがらみから解き放たれる。それは、長く抑え込まれてきた生命の躍動。あえて世界に期待せず、死んだように生きた彼女の魂の地鳴りが、見る者を魅了する。

<取材・文/黒島暁生>

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【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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