1990年代、藤原喜明はコワモテのキャラクターで、バラエティタレントとしても成功。その流れで、93年末にテリー伊藤が総合演出を手掛けるTBSの『爆裂!異種格闘技TV』という番組の企画でカナダに飛び、山の中でクマと対戦することになったのだ。

プロレスラーとクマの闘いは、主に1950年代から70年代頃まで、たびたびアトラクション的に行われており、その時代にアメリカマットで活躍したマサ斎藤、グレート小鹿、ミスター・ヒトらもクマと対戦している。

ただ、それらは人間にケガをさせないように調教され、しっかりとレスリングの動きも仕込まれた、通称「レスリング・ベア」。しかし、藤原がバラエティで対峙したのは、調教されていない野生にかぎりなく近いクマだった。

※本記事は『証言 プロレス界ケンカマッチの真実』(宝島社)より抜粋したものです。

「藤原喜明vsクマ」の真相を本人が振り返る。血まみれの飼い主...の画像はこちら >>

「合法的に殺される」凶暴な“冬眠期のクマ”と…

「あん時は、テリー伊藤に騙されてカナダまで連れていかれて、ひでえ目に遭ったよ(笑)。俺がやったのは、一応は人に飼われているクマなんだけど、クマっていうのは、調教されたサーカスのクマでも11月から3月くらいの冬眠期は凶暴なんだよ。俺がやったのは、たしか11月30日だから、まさに冬眠期の凶暴な時(笑)。冬眠したいのに、無理やりタンパク質が多いニワトリのアラをばんばん食わせて、番組のために起こしておいたんだよ。

それで『準備できました!』って言われて現場に行ったら、飼い主が傷だらけで血を流してるんだよ。『ここに連れてくる時に襲われた』って(笑)。飼い主でもやられてるのに、俺は赤の他人だからな。それでスタッフに『大丈夫だろうな?』って聞いたら、『大丈夫です。たっぷり保険に入ってますから!』って。
それ、危ないと思ってるんじゃねえか! って(笑)。

あの時は俺、『合法的に殺されるな』って思ったもんな。でも、ここで断ったら『逃げた』って言われるだろうからさ。『藤原はバラエティ番組でクマが怖くて逃げた』って一生言われるくらいなら、ここで死んだほうがマシだなって思ってやったんだよ」(藤原喜明、以下同じ)

“小熊”ではなく、“小型のクマ”

こうして、ケージに囲まれた山の中でクマと対戦。迷彩服を身にまとった藤原は、距離を取りながら低い姿勢で構えるが、クマは一気に突進。藤原はちょっとした交通事故のように吹っ飛ばされる。これが何度か繰り返されたあと、これ以上は危険とみなした番組関係者が撮影を中止。クマとの闘いはようやく終わった。

「俺がやったのは小型のクマだったけど、あれぐらいのヤツがいちばん動きも速くておっかない。俺なんか突進されて吹っ飛ばされて終わりだよ。当たりどころが悪かったら死んでただろうな。なんかその映像が、いまだにネットに上がってるらしくて、ツイッター(現・X)か何かに『藤原は小熊にも勝てなかった』とか書いてたヤツがいたみたいだけど、あれは絶対に小熊なんかじゃなかったよ。当たりめえだろって!」

「再戦計画」はお蔵入りに

実は、この藤原vsクマには後日談がある。
今ならバラエティ番組として絶対にアウトなこの企画だが、当時、怖いものなしだったテリー伊藤は、今度は藤原組のリングで、藤原vsクマのリターンマッチを計画したのだ。その舞台は、なんと千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)。特番で話が進んでいたが、結局は企画自体がお蔵入りとなった。

「日本でもう一度やるって決まったあと、準備を進めている途中で動物愛護団体からクレームが来てな。それで中止になったんだ。『クマをいじめちゃいけません』っていう抗議だったんだけど、馬鹿野郎、俺のほうが殺されかけてるんだよ!って(笑)。クマの心配だけして、人間の心配はしないんだからな。俺もなんとか死なずにすんだけど、クマとの闘いは、どんなプロレスラーとのケンカマッチより怖い。これだけは間違いないよ!(笑)

<談/藤原喜明>
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