スマイリーキクチさん。『爆笑オンエアバトル』『ボキャブラ天国』など、現在でもなお語り継がれるお笑いバラエティ番組で人気を博した芸人だ。ネット掲示板の実行犯の欄には「菊池聡」(本名)が書かれ、瞬く間に殺害予告も届くようになった。2000年以降、スマイリーさんが法的措置をとり始めると事実が浸透していったが、現在もなお誹謗中傷は続く。
現在、スマイリーさんはインターネット上での誹謗中傷とはじめとする人権問題についての講演を全国で展開し、好評を博している。芸人としての輝かしい栄光を夢見た彼は、当時予想だにしなかったであろうこの着地点をどのようにみているのか――。
小さな火種のはずだったガセネタが拡散され続け…
――当時、人気タレントがネットの誹謗中傷に対して真っ向から法的措置を取るのは異例だったと思います。スマイリーキクチ:そうですね。1999年にネットの掲示板でまったくのガセネタが書き込まれました。私が最初に発見したのではなく、知り合いから教えてもらって存在を知りました。もちろん何ら身に覚えがないことであり、当初は極めて小さな火種に思えました。ところが、ネットの誹謗中傷というのは、デマであっても拡散され続けると対応ができなくなるんです。
――「事件化しよう」と踏み切ったのは、どのような理由でしょうか。
スマイリーキクチ:私に対しての単なる悪口であれば、放置していたかもしれません。しかし、凶悪な殺人事件の犯人であると一方的かつ本気で憎まれていて、その集団から自分の家族を守るためには、事件として受理してもらいたいと思ったんです。
警察に相談するも、被害妄想扱い
――当初、警察を含めて、周囲はどのような反応でしたか。スマイリーキクチ:所属事務所は最初、事件化に消極的でした。事実無根であるとはいえ、タレントがネットの書き込みに対して法的措置を行い関わり合うこと自体が、マイナスのイメージに働くからです。また、警察に何度相談しても熱心に聞いてくれたとはいえない対応でした。「あなたはノイローゼになっている」などの言葉もあり、まるでこちらの被害妄想であるかのような発言もありました。
事件化してワイドショーで取り上げられるようになると、コメンテーターから「こんな書き込みは見なければいい」とか、ネットでも「(訴訟で)ひとりから100万円ずつもらって、2000万円を手に入れた」という二次被害を受けたこともあります。
ただ、孤立無援だったわけではありません。芸人の先輩である水道橋博士さんには、ある日キャンプに連れて行ってもらい、そこで「一連のことは、書籍の形で書き記したほうがいいよ」とアドバイスをもらいました。また、都内の名門私立である開成中学校・高等学校から「ネット上の誹謗中傷」をテーマとして講演してほしいと頼まれるなど、現在の活動につながる端緒もあり、周囲にはむしろ恵まれてきたと感じています。
「一日1000件の殺害予告」を受けた過去
――お笑い芸人として“笑い”を生業にしてこられたスマイリーさんですが、誹謗中傷についての問題は、まさに笑いと対極にありますよね。スマイリーキクチ:そのとおりです。もしも自分に誹謗中傷を受けたことを笑いに変える技量があったとしても、デマの発端となった事件があるので、絶対にしてはいけないことだと考えていました。私が出演した番組のテレビ局には抗議の電話が来て、日に1000件の殺害予告を受けることもありました。実際の殺人事件にも触れてしまうので、茶化すことはしたくなかったんです。
一方で、「誹謗中傷をされて、それで終わりにはしたくない」という思いもありました。誹謗中傷が書き込まれた当初も日々ライブに出ていた人間として、ただ「私はやっていません」と言っても、伝わりません。
そこで、ライブに出たとき、「いま、楽屋でテレビを見ていましたら、◯◯さんが結婚したらしいんです」と人気芸能人の名前を出しました。当時をときめくスターですから、地鳴りにも似た驚嘆の声があがります。しばらくして、「これ、嘘なんですけどね」と言うんです。続けて「でも私が嘘だとバラさなければ、みなさん信じてしまいましたよね。家に帰るまでに、何人かに教えちゃった人もいたんじゃないでしょうか」と。当時はスマホもありませんから、その場で検索もできません。
今でもふと思い出す祖母の存在
――身近な人から信じてもらえていたとはいえ、世間の人々から犯人だと思われている当時の状況は辛かったことと思います。それでも突破口を切り開いていけるスマイリーさんのメンタリティの源泉には、どのようなものがあるとご自身で思いますか。スマイリーキクチ:幼い頃、いつも祖母が私の味方でいてくれたことが大きいかもしれません。祖母の自宅は私の家からそう遠くないところにあって、私は母に叱られると決まって祖母宅に逃げ込んでいました。すると、縁の下からホコリだけの瓶サイダーを取り出して、わきの下でぎゅっと拭いて渡してくれるんです。「大人だってストレスが溜まったら酒を飲んで愚痴を言うんだから、お前もサイダーを飲みな」って。そして、「愚痴は生きている証拠。その代わり、笑って話せ」とも教えてくれました。私が常に笑っていようと思えるのは、祖母の教えがあるからだと思います。
その祖母がよく言っていたのは、「笑っていればいいことがある」という言葉でした。祖母が生きた時代は戦争のさなかでしたから、「辛いと思ったら、空を見ろ。お前の時代は空を見上げれば雲しかない。
――子ども時代にすでに芸名の基盤があったわけですね。
スマイリーキクチ:そうですね、最初はこの芸名を名乗っていなかったのですが、ある日トイレで偶然居合わせた秋元康さんから「キクチくんはいつも笑っているね。トイレで笑っている人は初めてみた。明日から芸名は“スマイリーキクチ”だね」と冗談で言われて(笑)。それを近くにいたマネージャーが真に受けて、今の芸名が決まったんです。
人を信じる気持ちだけは失わないように
スマイリーキクチ:私は人を信じる気持ちだけは失わないようにしようと思ってこれまで生きてきました。警察が事件を捜査してくれるまでに9年近くがかかりましたが、ぞんざいに扱う警察官がいても、理解してくれる警察官はどこかにいると。必ず出会えると信じてきました。そして周囲の人たちの支えがあったから、笑顔でいられたのだと思います。誹謗中傷をする人は、私がどん底になるのを見たかったのだと思います。
確かに私は誹謗中傷でたくさんの人に苦しめられましたが、それ以上に、たくさんの人に支えられ、助けてもらいました。そう言い切れます。
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自らの努力不足でも怠惰でもなく、ある日、顔も知らぬ者の書き込みによって、一瞬にして掴みかけた夢を喪う。デマとその拡散は、まさに言葉の通り魔。被害者となり、奈落で恨み言を吐き続けてなんら不思議のない状況でなお、スマイリーさんは笑う。
思い描いた未来予想図から逸れたあとも、人生は続いていく。残りの人生を消化試合にせず、より高みに自分を導いてくれるもの――それは怒りや慟哭ではない。人を信じる心と、感謝の気持ち。それを教えてくれた祖母のぬくもりを胸に、スマイリーさんはきっとこれからも人間と真正面から向き合っていく。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。
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