いま当たり前のように飲んでいる「薬」は、いつ、どのようにして現在の姿になったのか。19世紀のペンシルバニア・オイルラッシュで始まった石油ビジネスは、やがて特許という仕組みをまとい、自然由来中心だった医療を大きく塗り替えていく。
ロックフェラーとアメリカ医師会、そしてホメオパシー医学の弾圧――現代医療の裏側にある「ビジネスとしての構造」をたどる。
※抜粋書籍/『医療奴隷』

石油と特許が変えた医療。ロックフェラーと「薬」の知られざる歴...の画像はこちら >>

●石油と特許が変えたアメリカの運命

ペンシルバニア・オイルラッシュという出来事をご存じでしょうか。

これは、1859年から1870年代に起こったため、日本ではペリーが来航し、ちょうど明治政府ができる前後のころでした。

何があったのかというと、ペンシルバニア州で石油が出るとがわかったことで、そこに多くの人が押し寄せて油田を探し出すというブームが起こったのです。

これによって、アメリカは資源の輸出国となりました。

現在の姿からは想像しづらいかもしれませんが、それまでのアメリカは貧しい農業国でした。主に綿花を南部で栽培し、それを北部で加工してヨーロッパに売るというビジネスモデルだったのですが、石油が出たということで、これはもう上を下への大騒ぎです。

当然、誰もがひたすらに石油を採掘していましたが、ここで石油を掘るよりも、それを蒸留して精製し、分類するというところに目をつけた人物がいました。

それが、かの有名なジョン・D・ロックフェラーでした。

ロックフェラーは、スタンダード・オイルという会社を作りました。まさに「スタンダード」、標準化です。原油から汚れを取り除いて精製し、重油、軽油、ガソリン、ナフサといった、さまざまな石油製品を精製していきます。

もちろん最初は燃料として使われていましたが、それでは余る部分がたくさんありました。

たとえばガソリンは当時、捨てられていたといいます。なぜかというと、ガソリンよりも重油や軽油のほうがエネルギー量が多いからです。

そこで「余ったガソリンを何かに使えないか」といって作られたのが、ゴットリープ・ダイムラーによるガソリンエンジンでした。なんと、エンジンが先にあったのではなく、ガソリンを使うためにエンジンが開発されたのです。

●「薬」が商品になる瞬間

同じように、「これで何か作れないかな」という流れで生まれたのが「薬」です。

それまでの薬は、すべてが自然由来のものでした。漢方やハーブなど、天然のものを生薬として使っていたのですが、この薬を人工的に作ってしまえばいいと考えたのです。化学薬品として薬を生産すれば儲かるのだ、と。

なぜ薬は儲かるのでしょうか。

それは、人工的に合成して作ったものには、特許が使えるからです。たとえば、麻黄湯(マオウトウ)や葛根湯(カッコントウ)に特許があると思いますか?

もともと自然のものですし、昔から当たり前のように存在していますから、それらに特許があるわけがありません。水に特許がないのと同じです。

ここで「特許を作る」ということを考え、きっちり儲かる仕組みを作ったのがロックフェラーでした。


石油と特許が変えた医療。ロックフェラーと「薬」の知られざる歴史
『医療奴隷』(扶桑社新書)


●ホメオパシー医学の弾圧

19世紀末まで、世界の医学界ではホメオパシー医学が広く普及していました。

ホメオパシー医学は、実際のホメオパス(同種療法)を使った方法だけでなく、「自然療法」という広義の考え方を含みます。

江戸時代の鍼灸を中心とした東洋医学や、先述の口中医なども同じように、自然療法だと言えるのです。

このホメオパシー医学は、アメリカやヨーロッパでもメジャーな存在でした。

1847年にアメリカ医師会(AMA)が設立された際、ホメオパシー派、つまり自然療法学派の医師の数は、アロパシー医学(石油由来の薬を使う対症医療)の医師の約2倍以上もいたそうです。

ところがこのアメリカ医師会の実情は、初めからアロパシー医学派という、単なる同業者の集まった圧力団体であり、競合相手であるホメオパシー派の医師の仕事を妨害し、廃業に追い込むために作られたものでした。

本来、医師が大切にしなければならないはずのヒポクラテスの誓いにあった重要な規範である、「嘘をつかない」「守秘義務がある」という倫理観が、吹き飛んでしまった瞬間でした。

●ロックフェラーの医療戦略

ロックフェラーは、アメリカ医師会に入る条件として「石油から合成された薬を使うこと」を掲げ、ヒポクラテスの誓いに則った治療を行っていた人たちは、どんどん駆逐されていってしまいました。いまで言うWHOが行っていることと同じです。

さらにアメリカ医師会は、1860年から20世紀初頭にかけて、倫理規定に「会員はホメオパシー派の医師に相談してはならず、ホメオパスを受診している患者を治療することも許されない」という条項を設けました。

当時、日本はもちろんですが、アメリカでも医師は各自が独立しており、個人開業医が多かったため、アロパシー医学からの一斉攻撃に対して、まったく準備ができていませんでした。

当時、ジョージ・H・シモンズというイギリスの新聞記者がいました。

シモンズはもともと医療に関係がある人物ではありませんでしたが、新聞記者という職業を利用して、ロックフェラーが作っているアロパシー医学、もっと言えば〝薬で特許を取って金儲けする方法〟を広める側に加担しました。


そんなこともあって社会的な流れが出来てしまい、まんまとホメオパシー派の医師はほとんど姿を消してしまったのです。

【吉野敏明】
1967年生まれ。神奈川県横浜市出身。1993年岡山大学歯学部卒業、歯学博士。日本歯周病学会歯周病専門医・指導医。精神科病院理事長、一般病院理事長を歴任。医療問題アナリストとして医療費問題の実態に向き合い、臨床現場と統合医療の実践から現代医療が抱える構造的問題を明らかにしてきた。日本人の命と健康を守る真実の医療を提言すべく、政治団体・日本誠真会を設立し、党首を務める。
編集部おすすめ