いまや当たり前となった「医師と薬剤師の役割分担」や国民皆保険制度。だが、その源流を辿ると、敗戦直後に日本へ乗り込んだGHQの構想に行き着く。
医薬分業の導入や、税金で賄われる皆保険体制には、医療の近代化だけでなく、医薬品ビジネスの視点も潜んでいた――。戦後日本の医療制度がどのように組み立てられたのか、吉野敏明氏著『医療奴隷』(扶桑社刊)の一節から、その知られざる歴史を追う。
※抜粋書籍/『医療奴隷』

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●GHQが見た日本医療

1945年、日本は戦争に負けました。するとGHQの公衆衛生福祉局長、クロフォード・F・サムス大佐という人が日本にやってきたのです。彼の目的は、医薬分業をすること、そして国民皆保険制度を導入することでした。

なぜ、医薬分業をしなければいけなかったのでしょうか。

医薬分業とは、医師が検査をして診断したら、薬剤師がカルテを見てどんな薬を処方するか判断し、調剤するというシステムです。

このような制度にするとどうなるのかというと、医師が貧乏になってしまいます。

医師はどうしても薬で利益を出している部分があったので、医薬が完全に分離されてしまうと、薬剤師だけが儲かる形になってしまうのです。

薬を処方すれば処方するほど薬剤師の利益が増えますし、その薬というもの自体がまだ日本で作られていませんでしたから、アメリカはあらゆる医薬品を日本に売りつけることができます。GHQは、そうした利益構造の確立を目指していました。

1950年には、医薬分業に抵抗する日本医師会幹部の無責任ぶりをGHQが追及するなどして、日本の医師会との間で衝突があったとされています。

●朝鮮戦争が変えた流れ

ところがそんなとき、朝鮮戦争が激化した影響で、マッカーサーたちは日本から離れることになりました。まさに、神風が吹いたのです。
もし朝鮮戦争がなかったら、日本は完全に医薬分業体制にされ、もっと早い段階でアメリカの製薬会社に市場を席巻されていた可能性が高いのです。

結局、医薬分業というのは、なかなかうまくいかないものなのです。患者さんを直接診察し、臨床現場にいるのはあくまでも医師なのですから、薬剤師がカルテだけを見て薬を処方できるわけがありません。しかし、彼らはいまでもこれを実現しようとしています。

国民皆保険はこうして生まれた GHQの思惑と日本医療の転換点
『医療奴隷』(扶桑社新書)


●国民皆保険制度の導入とその裏側

1961年以前の日本には、国民皆保険制度がありませんでした。

つまり、基本的には自費での治療だったということです。

ところが医療を受けるにはお金がかかってしまいますから、現実はそう簡単にはいきません。当時は、民間企業や公務員がそれぞれ共済組合を作って、業態ごとの保険組合に入っていました。アメリカでは現在もこの保険システムが採用されています。

病気になって病院にかかったときに保険金が出る、という仕組みですが、これはあくまでも企業が職域保険として行っているものであり、国の制度として導入されているものではありませんでした。

そんな状況を見たマッカーサーは、国民皆保険制度を取り入れることによって、アメリカの医薬品を日本に入れ、儲けることを目指しました。

そのためには、国民皆保険制度を国が仕切る形にすれば、税金で薬が売れるのではないかと考えたのです。


これはマッカーサーの時代には実現できなかったのですが、1952年にサンフランシスコ講和条約で日本が独立したとき、この年の総選挙で自由党も民主党も社会党の左派も右派も、皆揃って国民皆保険をスローガンにして挑みました。

そして1957年に岸信介が行った臨時国会の所信表明演説において、国民皆保険制度の実行が宣言され、1958年に自民党は国民健康保険法を公布・施行、そして1961年、ついに国民皆保険が制定されるのです。

【吉野敏明】
1967年生まれ。神奈川県横浜市出身。1993年岡山大学歯学部卒業、歯学博士。日本歯周病学会歯周病専門医・指導医。精神科病院理事長、一般病院理事長を歴任。医療問題アナリストとして医療費問題の実態に向き合い、臨床現場と統合医療の実践から現代医療が抱える構造的問題を明らかにしてきた。日本人の命と健康を守る真実の医療を提言すべく、政治団体・日本誠真会を設立し、党首を務める。
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