高田馬場駅の周辺は早大生をはじめ、地域の学生諸君を吸い寄せる繁華街である。とりわけ近年では中華系・東南アジア系の店舗が次々に進出し、急速に無国籍タウン化している。
そんな喧騒感に満ちたエリアの片隅、鉄道とビルの狭間にひっそりと営業していたバラック小屋のような飲み屋横丁が、2025年の夏に「実は不法占拠だった」としてちょっとしたニュースになった。
跡地の現在の状態は、どうなっているのか。不法占拠の建物がなぜ、昭和から令和まで長らく残っていたのか。現地レポートを交えつつ筆者なりに想像を巡らせたい。(以下、本記事では該当する店舗群を『バラック横丁』と仮称する)
「早大生の街」高田馬場に潜んでいた元・不法占拠地帯
往時の姿は影も形もなく
かつてはここに10件ほどの激シブな飲食店などが営業しており、とりわけ早稲田通りに面した寿司屋は名店としても知られていた。往時の姿はGoogleストリートビューなどで確かめられるが、現在はいずれも跡形もなく解体されており、そこにお店があった事すら想像しがたい。
健在だった頃は高田馬場の風景として違和感なく馴染んでいたはずの建物群が、去ってしまった後には、そこに建物があったことすらそもそも疑わしい気配すらある。さながら幻のようなバラック横丁は、なぜ成立しえたのか。ここからは「高田馬場」「不法占拠」を軸に調べた内容をベースに、筆者の推察を書いていく。
高田馬場に存在した戦後の「スラム」
不法占拠の地区や建物が出現しやすいのは、社会や地域が大きく混乱し、行政も満足に機能していない時である。日本において、そのタイミングは「終戦」であった。1945年(昭和20年)まで続いた太平洋戦争により、東京都は空襲で多くの市街と住宅が消失した。さらに戦地からの引揚者や疎開先からの帰還者が大量流入し、都内では住宅難が発生。戦災跡・川沿い・ガード下など至るところの空き地に仮小屋が組まれた、バラック横丁も、元はこの時期に建てられたものではないかと思われる。
これらは日本社会が立ち直って安定してきた頃まで残り続け、やがて劣悪な住環境が不法占拠を多数含む「不良環境地区」……いわゆる「スラム」として社会問題になった。これを受けて東京都民生局は環境改善・生活改善のため調査を実施。1959年(昭和34年)に『東京都地区環境調査 ―都内不良環境地区の現況―』という報告書をまとめた(※以下『東京都地区環境調査』とする)
同資料によると、都内に存在したスラムは実に273個所。そのうちの一つが、高田馬場の駅前にあったのだ。……と聞くと「それがバラック横丁か!」と早合点しそうだが、実はそうではない。
また、同資料によると、この地域は「公共的立場からみた居住用地としての可否」の項目が「適正≒不法占拠ではない」という判定だ。つまり件の元・不法占拠地帯とは場所が違うし、そもそも不法占拠でもない。それでも、ここの変遷はバラック横丁にも大きな影響を及ぼしていたと、筆者は推察する。
スラム解体の中で「見逃された(?)」バラック横丁
新宿区高田馬場1丁目のうち大半の区域は、かつては丁目のない諏訪町(すわちょう)という名前であった。当時の諏訪町は木造モルタル造りの小さな建物が狭い区域に密集し、学生向けの貸間・下宿・アパートなどが立ち並んでいたという。『東京都地区環境調査』によると、その数は合計41軒。これらは同資料で「仮小屋住宅集団」と扱われ、「戦後応急的に建てられたバラツク(※バラック)建築であるが(※終戦から)10年後の今日個々の経済状態により改善して居住している世帯と腐朽破損のまま種々の危険性を伴なつた世帯がある」と記述されている。建物が「やや密」、道路舗装・排水・街路照明の利便・上水道やガスの利便が「やや悪い」という判定になっている。
家庭内汚水の排水設備がない建物も41軒中15軒に及び、水準以下の住居比率は実に80%以上。現代の価値観からすると、かなり劣悪な生活環境であったことが伺える。
『東京都地区環境調査』にはスラムの写真も載っており、半ば廃墟のような住居写真の下に「ゆがみ始めたニ階建長屋」「通路より低い(≒汚水などが溜まりやすい)土台」「老朽化が著るしい(※原文まま)」などといった惨憺たる言葉が並ぶ。諏訪町もこうした状況であったならば、東京都がそれを懸念して、「その周りに散在する不良住宅より優先して」整備しようとしても無理はないだろう。
一方、西武新宿線沿いのバラック横丁は、『東京都地区環境調査』には不法占拠どころか、そもそも不良環境地区として名前自体が載っていない。これは諏訪町周辺に点在する小住居群として半ば無視された可能性もあるし、「地区」と見なすには余りに細すぎ狭すぎる、壁沿いに少しできただけの「空間」だった事も影響しているのかも知れない。
諏訪町のスラムは後に区画整理が行われ、五輪開催&東西線開通の2年前にあたる1962年(昭和37年)に姿を消した。一方、バラック横丁は区画整理を免れ、戦後すぐの姿を保ったのである。
BIG BOX登場&高度経済成長の影で
区画整理後も、高田馬場の駅前はただちに現在の姿となった訳ではない。代わりに小さな飲み屋や飲食店が密集する繁華街が出来上がり、少なくとも1969年(昭和44)年までは存続していることが、新宿歴史博物館の写真資料から確認できる。再度の変化が起こったのは、1967年(昭和42年)から1971年(昭和46年)年にかけて進行した、高田馬場駅前と早稲田通り周辺の再開発事業である。この時に駅前の『稲門ビル』『名店ビル』などが一体的に建設されたほか、駅前の広場とロータリーも整備され。現在の姿へかなり近づいた。
そして、1974年(昭和49年)には著名な建築家・黒川紀章の設計でBIG BOXが完成。西武鉄道グループの誇る大型複合施設であり、これをもって現在の高田馬場駅前のイメージは完成したと見ていいだろう。
こうした時代に、西武鉄道グループがなぜバラック横丁を放置していたかについては、確証こそ無いが様々な理由が推察される。まずバラック横丁の規模自体が小さいので、BIG BOX周辺の開発に比べても優先順位が低く、敢えて見逃されてきたという事は考えられる。
当時は東京が戦争の陰りからすっかり抜け出し、高度経済成長のさなか大変貌を遂げ、高田馬場も早稲田&東西線パワーでターミナル駅&学生街として急成長している途上である。そうした熱気や喧騒感から取り残され、日陰のように西武新宿線と高田馬場に寄り添い続けてきたのが、あのバラック横丁だったのかも知れない。
変わりゆく高田馬場
また、今後の高田馬場は建物老朽化や動線混雑を解消すべく、さらなる再開発が進行中。対象範囲はBIG BOXの南側・東側で、面積は実に約1.7haに及ぶという。
反面、旧店舗が解体されて「ただの壁」となったバラック横丁跡地は、今後どうなるだろうか。非常に奥行きが狭く、早稲田通りから目立つ訳でもなく、全体が坂道の途上にあり、頭上を電車の騒音が通り過ぎ、水道や電気の確保さえ困難。
バラック横丁はある意味、不法占拠というイレギュラーな形で多数の小店舗が寄り集まったからこそ、独自の営みや文化が息づいた場所だったのだろう。
【参考資料・書籍 ※敬称略】
東京都民生局『東京都地区環境調査 ―都内不良環境地区の現況―』(1959年)
新宿区戸塚地区協議会 まちづくり分科会『写真集 高田馬場・西早稲田 ふるさと戸塚 ~まちの記憶』(2011年)
北沢友宏・根本次郎・いしわたり康・桝元誠二『目で見る 新宿区の100年』郷土出版社(2015年)
本岡拓哉『「不法」なる空間にいきる ――占拠と立ち退きをめぐる戦後都市史』株式会社大月書店(2019年)
坂上正一『発掘写真で訪ねる 新宿区古地図散歩 ~明治・大正・昭和の街角~』株式会社メディア・パル(2021年)
【参照サイト】
(再開発について)「高田馬場駅の東口地区で再開発予定!駅前の狭さを解消してより快適に」アットホーム
(駅の乗降者数)「1日の利用者数が多い駅のランキング」スタディサプリ
(稲門ビル)1969(昭和44)年の「高田馬場駅」駅前 三井住友トラスト不動産
―[東京“不法占拠”をめぐる旅]―
【デヤブロウ】
東京都在住。2024年にフリーランスとして独立し、ライター業およびイラスト業で活動中。ライターとしては「Yahoo!ニュース」「macaroni」「All Aboutニュース」などの媒体で、東京都内の飲食店・美術館・博物館・イベント・ほか見所の紹介記事を執筆。プライベートでも都内歩きが趣味で、とりわけ週2~3回の銭湯&サウナ通いが心のオアシス。好きなエリアは浅草~上野近辺、池袋周辺、中野~高円寺辺りなど。X(旧Twitter):@Dejavu_Raw
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