俳優の米倉涼子が麻薬取締法違反などの疑いで、関東信越厚生局麻薬取締部から書類送検された。昨年にも同様の疑惑で、知人でアルゼンチン国籍の男性とともに麻薬取締部の家宅捜索を受けたと『週刊文春』が報道。
それに対し、米倉本人は個人事務所の公式サイトで声明を発表していた。
元放送作家・鈴木おさむ氏は「独立後の芸能人がどれほど無防備が痛感した」と語る。(以下、鈴木氏による寄稿)

鈴木おさむが「米倉涼子の“書類送検”報道」に抱いた違和感。痛...の画像はこちら >>

大手事務所からの独立がもたらしたもの

スマホのニュース欄に流れてきた「米倉涼子 書類送検」という文字。逮捕ではない、起訴でもない。それでも、この4文字が放つインパクトは強烈だ。「書類送検=逮捕」と思っている人も結構多い気がするので、メディアでの取り上げ方も本当に気をつけなければならないと思う。有名芸能人が落ちていく様を期待したり、楽しむ構図が強すぎるため、間違った解釈がSNSにも氾濫する。とても怖い。

ここで考えたいのが、昨年末に米倉さんが出したコメント。「捜査機関が入りましたことは事実」と認めながらも、「一区切りついたと認識しています」と書いている。このようなコメントをなぜあのタイミングで出したのか? 誰に向けて発せられたものだったのだろう。世間に対してなのか。ファンに対してなのか。
それとも、スポンサーや仕事関係者に向けた、自分なりのスタンス表明だったのか。今年配信されるドラマのことも気にしてのことなのか? 「一区切りついたと認識しています」というのはとても強い言葉で、誰かを刺激してしまったのではないかと勝手に想像する。影響力のある人の発言は意図とは別の方向に膨らみ、独り歩きする。時にその言葉自体が、余計な想像を呼び起こしてしまうこともある。

そして、このニュースを入り口に、僕はもう一つのことを考えてしまった。もし彼女が、今も大手事務所に所属していたら、この局面でどんな対応が取られていただろう。コメントはもう少し早く出ていたのか? 逆に時間を置いて出されたのか? あるいは「本人は語らない」という選択がなされた可能性もある。法的、広報的なワンクッションが置かれていたかもしれない。どれが正解だったかはわからないが。

不自由だが守られていた事実もあった

ただ、独立するということは、自由と同時に、そうした“守りの仕組み”を手放すことでもある。ここ数年、芸能界では独立する人が明らかに増えた。コメントも、事務所を介してではなくタレント自身の言葉で語られる。
本人の意思決定から実行まで迅速になるだろうし、身軽だ。その魅力は、痛いほどわかる。

だが、ネガティブな出来事が起きたとき、その自由は一転して孤独になる。誰かが代わりに受け止めてくれるわけではない。発する文章一つひとつを吟味し、時には「今はスルーしよう」と止めてくれる人が、そばにいないこともある。独立が当たり前になったこの時代に、表現者が背負う現実。自由は美しい。だが同時に不自由だが守られていた事実があったことも、忘れてはいけないのかもしれない。

最後に。誰かが落ちていくのを楽しむ構図はもう嫌だ。

鈴木おさむが「米倉涼子の“書類送検”報道」に抱いた違和感。痛感した“独立芸能人の無防備さ”
鈴木おさむ
<文/鈴木おさむ>

【鈴木おさむ】
すずきおさむ●スタートアップファクトリー代表 1972年、千葉県生まれ。19歳で放送作家となり、その後32年間、さまざまなコンテンツを生み出す。
現在はスタートアップ企業の若者たちの応援を始める。コンサル、講演なども行っている
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