資産が5億円あると聞くと、ほとんどの人はもう何の不安もない老後を想像すると思います。好きなものを買い、行きたい場所に行き、時間にもお金にも縛られない生活。
ですが、筆者(渡辺智)が銀行員時代に担当していた林智宏さん(仮名)は違いました。
80歳まで生きて、資産はほとんど減らないまま。数字だけ見れば、完璧な成功者です。それでも彼は、生前こう漏らしていました。

「もしあのとき、あんなに怖がらなければよかった」

その一言が、今も頭から離れません。

資産5億円、“誰もが羨む老後”だったはずの男

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林さんは80歳。私が銀行員として担当していた頃、すでに十分すぎる資産を持っていました。

不動産、株式、預金を合わせると、だいたい5億円ほど。帳簿上は、文句のつけようがない数字です。

ただ、見た目は本当に普通のおじいさんでした。派手な服を着るわけでもなく、車も高級車ではない。来店するときも、いつも同じような服装で、静かに順番を待っている。

この人が5億円持っていると知ったら、きっと誰もが驚くはずです。
数字だけを見れば、完全に勝ち組の老後でした。

リーマンショックで1億円が半分になった日

リーマンショックのとき、林さんが運用していた資金は約1億円でした。

それが、相場の急落で一時5,000万円ほどまで減りました。帳簿上は半分です。ただ、全資産が減ったわけではありません。不動産も預金も残っていて、生活が揺らぐような状況ではなかった。

それでも、その出来事は林さんにとって相当こたえたようです。

来店するたびに、あのときは本当にやられた、もう戻らないかもしれないと、同じ話を何度も繰り返しました。

数字だけ見れば致命傷ではありません。老後の計画が崩れたわけでもない。

それでも林さんの中では、あの日を境に、お金を見る目が大きく変わってしまったのだと思います。

お金は戻ったのに、人生は戻らなかった

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老人
その後、相場は少しずつ戻っていきました。時間はかかりましたが、評価額も回復し、結果的に林さんの損失は解消されました。数字だけを見れば、何事もなかったかのようです。


ただ、林さんの暮らしは元に戻りませんでした。以前は年に一度は行っていた旅行もやめ、趣味にもお金を使わなくなりました。人付き合いも減り、外食の話が出ることもほとんどなくなりました。

頭の中にあったのは、どうすれば減らさずに済むか、それだけです。増やすことでも、楽しむことでもない。守ることが目的になっていました。

お金は戻りましたが、時間と気持ちは戻らなかった。今振り返ると、そんな印象が強く残っています。

全額を現金で引き出した理由

ある日、林さんは窓口でこう言いました。

「もう全部やめたい。投資は全部解約してください」

相場は落ち着いていましたし、急いで動く理由はありませんでした。それでも林さんは、現金で持っていた方が安心できるからと繰り返しました。

数日後、大きな額の現金を受け取りに来た林さんの姿は、正直、異様でした。
分厚い封筒を抱え、何度も中身を確認し、周囲を気にするように視線を動かしていたのを覚えています。

そこにあったのは合理的な判断ではありません。ただ失うことへの恐怖だけが、林さんを支配していました。

残された5億円と、最期の言葉

林さんは80歳で亡くなりました。

資産は、ほとんど減っていませんでした。帳簿上では、最期まで5億円近くが残っていたと聞いています。

そのお金は、ほとんど使われることがありませんでした。旅行にも、趣味にも、人との時間にも。守るために存在していたようなお金です。

亡くなる少し前、林さんはぽつりとこう漏らしたそうです。

「怖がりすぎたな」

その一言が、すべてを物語っています。

残ったのは5億円ではありません。使うことができなかった人生、そのものだったのだと思います。


お金を守りすぎた結果、失ってしまったもの

林さんの人生において、お金を増やすことが間違いだったとは思いません。問題だったのは、お金を失うことを恐れ、守ることだけに意識が向き、使うという選択肢が消えてしまったことです。

結果として、失ったものはお金ではありません。取り戻せない時間や、本当なら味わえたはずの経験でした。

お金は残せても、人生は残せない。

では、今あなたが大切に守っているそのお金は、何のためのものなのでしょうか。

<文/渡辺智>

【渡辺智】
某メガバンクに11年勤務。リテール営業やプライベートバンカー業務を経験。その後、外資系保険会社で営業。現在は金融ライターとして独立。FP1級保有。難しい「お金の話」をわかりやすく説明することをモットーにしています。
公式SNS(X)は、@watanabesatosi7
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