選挙前に噴き出す「著名人の憂国メッセージ」

ケツメイシ、松尾貴史、うじきつよし…選挙目前、国を憂う著名人...の画像はこちら >>
 選挙を目前に控え、著名人から発言が相次いでいます。特に中高年以上の年代に日本を憂う意見が目立ちます。

 そこで今回は、支持政党や思想的立場を表明するだけでは飽き足らず、彼らが真剣に憂国にかられてしまう背景を考えます。


 ミュージシャンでタレントのうじきつよし氏は自身のXで、<【大拡散希望!】難しいことは言いません。次は絶対に『自民党』に投票しないで下さい。>と投稿しました。これからも自民党政権下で<荒廃していく社会で暮したいですか?>と訴え、自民党に勝たせてはならないとの持論を展開しました。

 さらに過激だったのは、コメディアンで俳優の松尾貴史氏です。自民党が優位との情勢調査を受けて、自身のXで<日本の有権者はすごい。寛容で我慢強い。いや、マゾなのか>と投稿し、選挙結果がこの通りだとすれば、<本当に地獄の一丁目の『際』まで来た日本国>になってしまうと危機感をあらわにしたのです。

 うじき氏、松尾氏は、保守的で右傾化していく社会を案じる立場から、日本を憂いています。

 一方で、彼らとは逆の立場から憂国を訴えるメッセージもあります。人気ヒップホップグループ「ケツメイシ」の新曲「和の心」です。

<日出ずる国の希望の陽がまた沈んでも 歯を食いしばって、また立ち上がって 本当の自由を手にするんだろ!>という勇ましい掛け声に始まり、<この先未来 針なき羅針盤 ください愛ある安心感 ルーツに学び直して 文化、和の心習い正して>と、教育勅語のようなフレーズが続く曲です。


 SNS上では、“まるで参政党みたいだ”と戸惑いの声もあがり、議論を呼んでいます。

共通するのは思想ではなく「おっさんと使命感」

 筆者は、どちらの意見が正しいかを決める立場にあるわけでもなければ、そもそもジャッジするつもりもありません。それよりも、一見激しく対立するように見える両者のメッセージに、色濃く共通する点があることが興味深いのです。

 それが、おっさんと憂国、なのです。

 うじき氏、松尾氏、そしてケツメイシに通底しているのは、“いまの日本がよくない。悪くなっている。このまま放っておくわけにはいかない”という使命感に近い情熱です。そして、未来の若者たちに日本という国をよりよい形で残していかなければいけないと考えている点でも一致しています。

 つまり、彼らはノブレス・オブリージュ(社会的地位のある人間は相応の社会的義務や責任を負うこと)に突き動かされている点で同じなのです。

「荒廃していく社会で暮らしたいですか?」、「地獄の一丁目の『際』まで来た」、「ルーツに学び直して 文化、和の心習い正して」という呼びかけからは、社会や世界を高所から見渡して、赤の他人の安否を本気で気遣うような口調で政治を語る姿勢がうかがえます。

 それ自体は、正面から受け止めるべきなのだと思います。

なぜ彼らの言葉は届かず、消費されてしまうのか



 しかしながら、その発言や表現は、いずれも彼らに同調する人たちの間で熱烈に消費され拡散される一方で、反発する人たちからはサンドバッグとしてもてあそばれ、飽きられたら見向きもされない言葉になってしまう。

 なぜ、高貴で真摯な心がけから発せられた言葉が、本当に届いてほしいところに届かないのでしょうか?

 そこには“おっさんの傲慢さ”が見え隠れしているからだと考えます。

憂国の裏に透ける「おっさんの傲慢さ」

 まず、うじき氏、松尾氏、ケツメイシの表現には、年長者による教育的指導というトーンが滲んでいます。彼らはいずれも、それぞれの道で仕事に成功し、社会的地位を得たという、世間の認証があります。


 この認証を担保に、一般の有権者に対する教育的指導という意味での警鐘を鳴らしてもよいのだと考えているフシがある。

 ざっくり言うと、うじき氏や松尾氏は自民党や補完勢力に投票する人たちをバカだと思っているし、ケツメイシは、社会は大事なものを忘れてしまったと訴えている。

 そのような嘆きに特権性を与えているのが、彼らがキャリアで成し遂げた成功であり、だからこそ、その言葉に“おっさん臭い”と鼻白んでしまうわけですね。

成功者だからこそ感じる“焦り”の正体

 次に、彼ら自身の問題です。年齢を重ねミュージシャンやタレントとして現役感を失いつつあるなか、新たな存在意義を見出す必要にかられての発言という見方です。

 それは、かつて確かに成功者であった自身が、社会に何らかの意義あるものを残さなければならないという切実な願いから来るものです。成功者だからこそ感じる焦りなのでしょう。

 しかし、その焦りを言葉の裏側に感じるから、過激な表現とは裏腹に上滑りしてしまう。見ての通り、SNSやネットニュースで消費されてハイ終わり、になってしまうのです。

過去を棚上げして社会の未来を語ることこそが「おっさん仕草」

 最後に、国家という自分自身の存在よりも遥かに大きなものについて、他者を巻き込むような刺激的なフレーズで気軽に語れてしまう状況について。

 これは、いずれもおっさん特有の“未来の若者のため”という免罪符がなせる業です。自分たちは遠くない将来、去っていく世代である。だから、せめて後の世代には、よりよい社会を残したい――。


 もちろん、こうした意識は美しいものです。しかし、同時にそこには当事者性が存在しません。つまり、いま彼らが言うように“汚れた社会、政治”であるのだとしたら、それを許してしまった責任は一体どこにあるのでしょうか?

 うじき氏や松尾氏の警句、そしてケツメイシのエールに、どこか信憑性が欠けるのは、彼ら自身が歩んできた道のりを棚上げして、社会の未来を語っているからなのだと思います。

 そして、それこそが、どうしようもないほどにおっさん仕草なのです。

 選挙結果がどうあれ、日本の空気を支配するものがおっさんであることは揺らぎません。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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