’25年のインバウンド(訪日外国人客数)は4268万人と、2年連続で過去最高を更新した。国を挙げた観光立国路線のもと、都心部では宿泊施設の新設が相次いでいる。
だが、その熱気の陰で、思わぬ場所に歪みが生じている。
 民泊規制が都内でも最も厳しいとされる目黒区の住宅街で、いま異変が起きているのだ。外見はごく普通の戸建て住宅。表札には日本人名が残り、「HOTEL」や「旅館」を示す表示もない。ところが夜になると、大型スーツケースを引いた外国人が出入りし、連泊を繰り返す。実態は、民泊そのものにもかかわらず、名目上は「ホテル」として営業する、いわば“名ばかりホテル”である。

 騒音、ゴミ出し、深夜の出入り、治安への不安――。近隣住民の生活は静かに侵食され、苦情や通報が相次いでいるが、管理人の姿はなく、連絡先すらわからないケースも少なくない。なぜ、厳しい民泊規制を敷いてきたはずの目黒区で、こうした施設が急増しているのか。

 現地を歩くと、制度の抜け穴と、インバウンド拡大を優先する行政の姿勢が、住宅街の安心を切り崩している実態が浮かび上がってきた。

閑静な住宅街に突如現れた“名ばかりホテル”

目黒区の閑静な住宅街を脅かす“ごく普通の戸建て住宅”の正体。...の画像はこちら >>
 東京・目黒区は、区の8割を住宅系用途地域が占める住宅街だ。閑静な住環境を守るため、都内でも最も厳しい民泊規制で知られる。ところが、ある日突然、隣りの民家が「ホテル」として営業を始め、近隣トラブルが頻発しているという。
記者は現地を訪れた。

 目黒本町は、渋谷へ15分ほどの好アクセスと治安のよさが人気の閑静な住宅街。そんな街並みに溶け込むように、ホテルは立っていた。というのも、外観がごく普通の二階建の民家なのだ。表札には英語の名前があるが、「HOTEL」の表記はない。玄関に括りつけられたキーボックスが、わずかに宿泊施設であることを匂わせる。

 向かいの家に暮らす70代と思しき女性は、こう話した。

「目黒区は、金曜と土曜しか宿泊できないはずなんだけど、ここは平日でも外国人が出入りして、何日も連泊している。(条例的に)ダメだと思うんだけど、そこまでルールを詳しく知らないし……」

 民家にしか見えないのだから、民泊と勘違いするのも仕方ない。一方、隣りに住む30代の女性は、不安を口にした。

「夜中に騒いでうるさくても、数日ならと我慢してます。それより、隣りのベランダとウチのベランダが手が届くほど近く、幼い子もいるので何かあったら心配です」

民泊より緩い?旅館業法が生んだ逆転現象

 そもそも、目黒区の民泊規制は非常に厳格だ。大多数の自治体が年180日の営業が可能なのに対して、104日に制限。
事業者には近隣への事前告知義務が課される。規制は区内全域に適用され、住民は静かに安心して暮らすことができていた。そんな目黒区で、なぜ民家にしか見えない“名ばかりホテル”が増えているのか。この問題を早くから追及する白川愛・目黒区議は、こう説明する。

「規制が厳しい民泊事業は収益性が低く、区内の民泊数は23区で最少の水準です。ところが、旅館業法が大幅に規制緩和され、設備要件さえ満たせば容易に許可が取れるザル法と化し、民泊よりホテルを開業するハードルが低い逆転現象が起きている。年365日営業できるホテルのほうが収益は上がるので、近年、急増していますが、その運営実態は民泊そのものです」

’18年、政府はインバウンドの宿泊需要に対応するため、旅館業法の規制緩和に踏み切る。これにより、ビデオカメラやタブレットなどで宿泊者の本人確認ができれば、フロントを設置せず、管理人も置かない「無人ホテル」の営業が可能になった。

 規制緩和の影響は絶大だった。目黒区の民泊は’21年の23軒から’25年には30軒と微増にとどまるのに対して、ホテルの数は’21年の28軒から’25年の62軒へとほぼ倍増している。うち8割近くの48軒が、管理人不在の“名ばかりホテル”だ。

目黒区の閑静な住宅街を脅かす“ごく普通の戸建て住宅”の正体。騒音や深夜の出入り、ゴミ出しマナーの悪さに近隣住民は怒り心頭
祐天寺のマンションでは、3フロアの大部分がホテルとして営業中。エントランスには大量のキーボックス


“名ばかりホテル”に挟まれたマンションも

目黒区の閑静な住宅街を脅かす“ごく普通の戸建て住宅”の正体。騒音や深夜の出入り、ゴミ出しマナーの悪さに近隣住民は怒り心頭
ホテル向かいに建つマンションのゴミ集積所の貼り紙。ホテル宿泊客によるゴミの不法投棄に、目を光らせる
 目黒区青葉台は、都内有数の高級住宅街。外国人にも人気の渋谷、代官山、中目黒が徒歩圏内にありながら、街に一歩足を踏み入れると、渋谷の喧噪が嘘のような静寂さだ。
だが、“名ばかりホテル”は、この街にも静かに進出していた。外見は3階建てのモダンな分譲住宅。表札には前の居住者だろう、日本人の名前がある。だが、その下には「旅館・ホテル SIBUYA○○○」の表記が。隣家の50代男性が、こう明かした。

「民泊を開業するからと、事業者の社長が挨拶に来たけど、ホテルになっていた……。区や議会に根回しをしていたらしく、反対しようにも何もできなかった。宿泊客は四六時中、電灯を点けっ放しで夜も騒いでる。ウチの前で、マナーの悪い外国人宿泊客がタバコを吸いながら大声で話すので困ってるけど、外国人なので言葉が通じるかわからず注意もしづらい。私道に宿泊客がクルマを違法駐車されたら、住民のクルマが出れなくなるので心配です」

 だが、トラブルが起きたとき、「無人ホテル」の事業者が10分以内に駆けつける旅館業法のルールが課されているはずだ。前出・白川区議が説明する。

「連絡先は近隣住民に周知されないので、電話番号がわからない。
実際、連絡先がわかっても、繋がらなかったという住民も少なくなかった。そもそも『10分駆けつけルール』は宿泊客の緊急時を想定しており、近隣トラブルについてはホテルへのお願いベースにすぎないのです」

苦情は宙に浮く…無人ホテルと行政の空白

 向かいに建つ瀟洒なマンションの管理人女性も、困惑を隠さない。

「マンションのゴミ集積所に何十袋ものゴミを捨てられたので、『関係者以外のゴミ出し禁止』『防犯カメラ作動中!』の貼り紙を出して、英語でも警告してます。清掃車の収集後に大量のゴミを捨てられたときも、次の収集までこちらで保管せざるをえなかった。苦情を入れたくても、宿泊客はすぐ帰ってしまう」

 驚くことに、このマンションの裏手の建物3階にも“名ばかりホテル”があり、問題物件に挟まれた格好だ。記者が訪れたときも、大きなスーツケースを携えた中東系と思しき外国人が入っていった。

 短期間に急増したホテルは、閑静な住宅街に暮らす人にとって迷惑施設に他ならない。白川区議が続ける。

「若い夫婦が子育てに適した静かな環境を求めて、民泊規制の厳しい目黒区に戸建て住宅を買って、引っ越してきたんです。ところが、深夜に外国人が出入りし、呼び鈴を押されておかしいと思ったら、隣がホテルだったという。夫婦は子育てに不安を抱き、買ったばかりの家を格安で手放し、引っ越していきました。でも、“戸建てホテル”の問題は、あまり区民に共有されていないのが実情です。
近隣にホテルがあることで資産価値が落ちることを怖れて、口をつぐむ人も少なくないのです」

 問題が可視化されないからか、白川区議によれば、区長の対応も後ろ向きだという。

「区長は民泊の規制はアピールするが、ホテルの問題は事実上、放置している。だから、規制が厳しいイメージが先行して、静寂や安心を求めて移り住んだ人が被害に遭う。国策のインバウンド誘客に唯々諾々と従い、迷惑を被る区民は置き去りにされてます」

 所管する行政はどうか。目黒区役所生活衛生課の齋藤健太課長に質した。

「戸建ての旅館が区内に何軒あるのかは、何をもって『戸建て』とみなすか定かでないので確認してません。目黒区だけ宿泊需要が極端に増えているかはわからない。現時点では考えなくていいのかな、という感覚です。条例改正についても、具体的な形にはなっていません」

 旅館業申請の際、事業者に連絡が取れるのか、「10分駆けつけルール」については、後日、「確認することがある」との書面回答を得た。全ての申請を確認しているわけではない実情を窺わせる……。

 行政が実質ゼロ回答である以上、“名ばかりホテル”の急増が止まる兆しは見えない。

【白川愛氏】
目黒区議会議員。
無所属無党派の改革政策集団・地域政党「自由を守る会」所属。外資系金融機関、ウォルト・ディズニー・ジャパンを経て現職(2期)

目黒区の閑静な住宅街を脅かす“ごく普通の戸建て住宅”の正体。騒音や深夜の出入り、ゴミ出しマナーの悪さに近隣住民は怒り心頭
白川愛氏
<取材・撮影/山本和幸 取材・撮影・文/齊藤武宏>
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