SNSで頻繁に目にする、奇妙な走り方をする中年男――。「歩いているだけなのに、全然疲れない」と視聴者を困惑させ、その動画は次々と拡散された。
江戸から京都まで3日で走りたい
江戸時代の人々は、女性でも一日に30~40㎞を歩いていたという話がある。なかでも飛脚は、江戸から京都で最短3日で移動したという。現代のような交通手段がなかった時代に、なぜそんな長距離移動ができたのか──その謎に真正面から挑み、長年をかけて再現したのが、「江戸走り研究家」を名乗る大場克則氏だ。研究成果を紹介する動画が、’24年末にインスタグラムで100万回再生されたことをきっかけに大バズりし、若者を中心にマネする人も続出。今や月に数十件の取材を受ける「時の人」に。そんな彼に、研究の発端からプライベートまで聞いてみた。
──以前は普通のサラリーマンだったそうですね。
大場:はい。毎日自宅と会社を往復するだけの毎日でした。
──それはそれで鬱々としそうですね。気分転換やストレス解消法などはありましたか?
大場:ある日、いつにも増してクサクサしていて、その気分を家庭に持ち込みたくないという思いから、試しに1駅分歩いてみたんです。
――学生時代にスポーツなどをやられていたんですか?
大場:いえ、中学ではバイオリン、高校ではオーケストラ、大学では演劇部に所属していたので、スポーツとは無縁の人生でした。でも走り始めたら面白くて、フルマラソンはもちろん、最終的には(※1)100㎞マラソン大会に出場しました(笑)。結局、膝を痛めてリタイアせざるを得なくなってしまって。でも、その経験が「江戸走り」を研究するきっかけになったんです。
――研究までの経緯は?
大場:最初はランニング講座や教室を転々としていたのですが、どうもピンとこないんですよね。そんな中で、たまたま古武術の本に出合い、「江戸時代の飛脚や武士が100㎞や160㎞走っていた」なんてお話を読んじゃいまして。こりゃ面白いぞ、ちょっと探ってみようということで、国会図書館通いが始まりました。
古文書と格闘して、つかんだ歩き方とは
――サラリーマンをしながら11年間研究を続けたとか。大場:はい。毎週末、国会図書館に通っていた時期もありましたが、さすがに古文書はそのまま読めないので、通常の活字になっている本を探して読み漁っていました。
大場:そこで、おそらく極端にデフォルメされていないであろう浮世絵や、当時来日していた外国人の本国への報告書的なものに目を通してみたんです。すると、ある外国人は「日本人は変な立ち方、変な歩き方をしている」と書いていた。そしてあの小泉八雲さんの「日本人はつま先で歩いている」という記述も突破口になりましたね。
――それだけでは実際の歩き方や走り方はわからないのでは?
大場:今のように動画などありませんからね。でも昭和30年代くらいの文献にあった「(※2)神足歩行術」や「(※3)裸足ランニング」「(※4)らせん流」といった知識をつなぎ合わせていったら、やっと「江戸走り」の輪郭が見えてきた。11年かかりましたけどね。
――“江戸走り”のポイントは?
大場:「二足歩行で得た重心を利用して、体が前に倒れる力を筋肉で止めずに歩く」。そうすると、筋肉を使わないので走っても疲れにくいんですよ。
大場:大前提にあるのは「靴」の違いだと思います。西洋で生まれた靴を履くと、かかとから着地する歩き方になりますが、かつての日本人が履いていた「わらじ」や「雪駄」「下駄」だと、足指の付け根が自由に動く構造なので「つま先」で歩いていたわけです。だから私も普段、足指が自由に動く足袋タイプの靴を愛用しています。厚底靴では無理ですね。スニーカーも難しいですが、足底がかなり薄いものならできるかもしれません。
――普段から江戸走りを実践されているのですか?
大場:もちろんです。江戸走りをするようになってから「街歩き」が楽しくなって、先日も東京の広尾から銀座までつい歩いちゃいました。膝への衝撃が少ないので、100㎞マラソンに再挑戦して無事完走することもできました。でも飛脚のように一日160㎞走るというのは、まだまだ……。一度、横浜で飲み会を企画して、自宅から100㎞の道程を歩いていったんですが……朝5時に出発して到着したのは夜9時過ぎ。
――現在は江戸走りの講師をされていますね。
大場:一昨年に定年退職後、再雇用で働いていたのですが、親の年も年なので、一緒に過ごす時間を確保するために去年に退職しました。講師を始めたのは、その後ですね。
江戸走りは100年先も、研究され続けてほしい
――今や動画が大バズりしていますが、そもそもなぜSNSを始めたのでしょう?大場:実は、自身の研究成果を発信する目的で、’19年にホームページを立ち上げたんです。でも正直、見ている人がいるのかまったくわからない。もし私がいなくなったら、この研究内容が失われてしまう。自分としては、100年先までこの文化を残したいという思いがあるんです。そこで、たとえ私が死んでも残るものは何かと考えて、まずはYouTubeを始めました。
――当初の反響は?
大場:いまひとつでしたね。伸び悩んでいたところへ「今はショート動画のほうが拡散されるし、いろいろな人に見てもらえるよ」と友達がアドバイスをしてくれました。それでその友達がやっているショート動画のコミュニティに’24年の秋頃に参加して、インスタグラムも始めたら、なんと12月に100万回再生されたんです。
大場:講師の仕事とYouTubeの収益が少しという感じですね。
――若者を中心に「江戸走り界隈」という言葉も流行していますね。
大場:うれしい限りです。「江戸走り」という言葉が、(※5)JC・JK流行語大賞のBe-Real部門で1位になったり、とある大学の学生さんから連絡が来て、モーションキャプチャーで動きを解析していただいたり……皆さんに関心を持っていただいたのはすごく大きいですよね。
――ご家族はどんな反応を?
大場:よくも悪くも冷ややかです(笑)。妻はインドア派ですし、娘たちも「教えて」とは言ってきません。そもそも江戸走りの話を家庭ですることはありませんね。講師の仕事や取材で毎日外出していますが、帰宅すれば「ゴミ出しお願いね」「洗濯機回しといて」という日常で、ある意味ありがたいです(笑)。それでも無関心なわけではなく、娘は「友達がお前の父ちゃんバズってるなって言ってたよ」と教えてくれますし、妻も「職場で、旦那さんが新聞に載ってたわよって言われた」と話してくれたりするので、ちゃんと見てくれているのだとは思います。
――大場さん自身には、何か変化がありましたか?
大場:もう11年もやっているので、だんだんわからなくなっていますが、ひとつ言えるのは精神的な落ち着きを保てるようになったということ。以前よりも、自然に笑えるようになりました。
大場:いやいや、さすがにそれは無理ですが、駅の階段はどんなに長くても楽々と上れますから、構内のエスカレーターやエレベーターは使わないですね。
――江戸走りはこれからもどんどん広がっていきそうですね。
大場:そうありたいですね。先日、空手家の方とコラボをしたのですが、私が膝の力を抜いて体の方向を変えたら「これ、使える!」と、とても感動していただきました。そんなふうに各界の専門家とお話ししたり、外国人の方にも広めたいと思っているのですが……そもそも「緩める」に対応する英語が見当たらず、結局「リラックス」としか伝えられないので、言葉の問題は課題かもしれません。
――今後、何か考えていることはありますか?
大場:現在は、数年後に(※6)東海道五十三次500㎞を3日間で走るプロジェクトを進めています。これをひとつの柱として、たくさんの人に江戸走りを教えていきたいと考えています。今はあくまでも、大場というひとりのオタクが個人的趣味で研究をSNSにアップしている状態。今後は、学術的検証、運動工学的検証、歴史学的検証を進めて、江戸時代の走り方が日本の文化に残るような流れを作っていきたいと思います。
【Katsunori Oba】
江戸走り研究家・講師。1964年、栃木県生まれ。’14年から独自研究を始めた江戸時代の歩き方・走り方の動画がSNSで一躍、話題に。現在は全国各地で「江戸時代の走り方講座」「半身で横走り講座」などを開催。SNS総フォロワー数約30万人(2026年2月現在)。
(※1)100㎞マラソン
「ウルトラマラソン」と呼ばれるもので、全国各地で開催されている。大場氏が参加したのは「柴又100K~東京⇔埼玉⇔茨城の道~」
(※2)神足歩行術
江戸時代末期、矢野守助を師とする走り方。伊勢の竹川竹斉の教えた内容が残っており、全身を緩めることで一日40里から50里走れると言われる
(※3)裸足ランニング
靴に頼らずに足裏の感覚を研ぎ澄まし、人間本来の自然な走り方やフォーム改善、足腰の強化を目指すもの。足裏の感覚や脚の筋力が強化される
(※4)らせん流
らせん流(株)代表で元ランナーの小松美冬氏が提唱する身体操法。快・不快を基準に、らせん状に身体を動かすことで全身が整い、楽に歩けるようになる
(※5)JC・JK流行語大賞
AMF(代表・椎木里佳)が’17年より行っている、女子中高生の流行語を選ぶ賞。女子中高生のインスタグラム投稿百万件から抽出したデータを基に選定
(※6)東海道五十三次500㎞を3日間で走るプロジェクト
東海道五十三次(東京・日本橋~京都・三条大橋までの約500km)を江戸走りで完走しようというプロジェクト
取材・文/和場まさみ 構成/安羅英玉 撮影/酒井よし彦
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
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