―[ヒット商品&サービス「はじまりの物語」]―

何事にも始まりはある。そしてそこには、今では想像もつかない状況や苦労も。
例えば「激辛」という言葉。
今では、カレーやラーメンなど、あらゆる食べ物の激辛が人気を博し、「激辛コメント」や「激辛審査」などのように厳しさの強い様を表す場合にも用いられ、もはや一般語になったと言っていいだろう。

実は、その誕生の背景にあったのはある小学生のエピソードだった。

「老舗がふざけた商品を作るな」と批判も…日本初“激辛”の誕生...の画像はこちら >>

専門店店主の少年時代までさかのぼる

JR神田駅から徒歩2分、煎餅・あられの専門店「神田淡平」がある。「激辛」という言葉は70年代、ここで生まれた。5代目店主の鈴木敬さんが経緯を語る。

「小学生の頃、塾の先生に七味唐辛子のかかったせんべいをもらったんです。私が、辛さで涙目になっているのを、先生は笑いをこらえていました。悔しくてそのせんべいを一枚持って帰ったら、父(先代店主)が『もっと辛いのを作ってやれ!』と、七味唐辛子びっしりのせんべいを作ってくれました。それを塾に持って行ったら、先生も同級生も辛さに悶絶して大騒ぎでしたよ(笑)」

こうして鈴木敬少年の復讐は成功したわけだ。一方、先代は「面白い」と七味唐辛子のせんべいを商品化。これが神田界隈で人気を博した。

生地に練り込む挑戦がはじまった

まだこの時点では「激辛」という言葉は誕生していない。

「七味唐辛子のせんべいを食べた常連さんが、『年末の集まりでみんなに出したいから、もっと辛くしてください』とおっしゃったので、七味よりも辛い一味唐辛子をたっぷりまぶしたせんべいを作りました。
その集まりも大いに盛り上がったそうです」

自分の子どもや常連からの依頼で作った辛いせんべいに手応えを感じた先代は、もっと突き詰めてみようと動き出す。

「せんべいの外側だけではなく、生地の中にもこれ以上入れられないくらいの一味唐辛子を混ぜ込んだせんべいを作ったんです。これに父が『激辛』という名前をつけて売り出したんです」

この「激辛せんべい」が完成したのが1971年頃のことだと鈴木さん。日本に、激辛ブームがやってくる10年以上前の出来事だ。

1984年に新語・流行語大賞の銀賞を獲得

湖池屋が「カラムーチョ」を発売したのが1984年、神田のカレー店「ボルツ」が注目を集め、それを受けて江崎グリコがレトルトカレー「Lee」を1986年に発売。これらは「辛さ◯倍」など、より辛いものを求めるムーヴメントを巻き起こした。

その流行により、「激辛」という言葉が1986年の新語・流行語大賞(当時の名称:『現代用語の基礎知識』選 新語・流行語大賞)の銀賞を獲得するに至った。

「世の中で、激辛という言葉がたくさん聞かれるようになって、その元祖を調べていただいてうちを見つけていただきました。父は、授賞式にも参加しましたよ」

一時は原材料が品薄に

1970年代に「神田淡平」で産声をあげた「激辛」が、1980年代に一大ブームを巻き起こしたことで同店にも大きな影響が。

「ブームの時はすさまじかったです。激辛せんべいは話題にはなりますが、やはりメインの売れ筋は、のり・ごまなどが中心です。しかし、80年代のあの当時は、それらにも近いくらいの人気になりましたね」

ブームの加熱っぷりはものすごく、ほとんどを輸入品に頼っていた一味唐辛子が、あらゆる企業で手に入らなくなったほどだったという。

「それでもうちは、ブームの10年以上前から同じ問屋さんから仕入れていたので、問屋さんが頑張って手に入れてくれて、なんとか間に合わせたのを覚えています」

元祖だからこそ、一味唐辛子が品薄になった中でも、激辛せんべいを作り続けることができたわけだ。

クレームは「ほぼない」

伝統あるせんべい店が生み出した、当時としてはアバンギャルドな「激辛」の商品。周囲の反対はなかったのだろうか。


「業界の中では『老舗のおせんべい屋さんなのに、こんなフザけた商品をつくるのはよくないよね』とは言われていました」

まだ激辛が浸透するまえの1970年代~80年代前半には、辛すぎるせんべいにクレームもありそうだ。しかし、鈴木さんは「今でもそうですが、必ず注意喚起してから販売するので、クレームはほぼないですね」としながらも、次のようなエピソードを教えてくれた。

「お年を召した女性の方が、『3000円くらいの箱詰めで、中身は全部激辛にして』とおっしゃるんです。辛くて食べきれないかもしれないという話はしたんですが、聞き入れていただけず買って帰られました。しかし、3日後に『いくらなんでも、こんなに辛いとは思わなかった!』と返品を求められましたね(笑)」

「激辛の基準」という矜持を持つ

1980年代にブームとなった激辛は、今や文化として定着したと言っていいだろう。唐辛子タレ入りで、辛さが選べるラーメンの一蘭や、カレーの辛さが選べるCoCo壱番屋が、辛党だけでなく一般的にも人気なのがその証左だ。

また、ハバネロやジョロキアを使った商品もゾクゾクと誕生し、「より辛いもの」を求める層は先鋭化している。こうした「激辛」をとりまく時代の変化はあるが、神田淡平はさらに辛い商品を作ろうとはしていない。

「味は発売当初から、“あえて”変えていません。辛さを追求しているわけではありませんし、『激辛』という言葉の元祖がうちなので、激辛という辛さ=うちの激辛せんべいです。もっと辛いものを、他が作られるのは構いませんが、それは『激辛』という言葉からは、はみ出したものですね」

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「激辛」という言葉は、子供のいたずら心と、それに応えた父の職人魂が結びついて生まれた結晶であった。

時代の移ろいとともに、世の中にはより過激な刺激を求める声が溢れている。
しかし、神田淡平が守り続ける味は、流行に左右されない「言葉の原点」を今も私たちに示している。

日常に溶け込んだ言葉の裏側に、こうした熱い物語が隠されている。そう思うと、手元にある辛い料理も、また違った味わいに感じられるはずだ。

<取材・文/Mr.tsubaking>

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【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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