唐突にも思えた解散総選挙。蓋を開けてみれば、高市・自民党の歴史的圧勝に終わった。
世界でも突出した「安定志向」
前回の記事、世界的に見ても特殊な日本の「高信頼社会」について解説したが、、この「信頼に基づく長期・安定志向」は、政治的な感覚にも反映されている。「信頼に基づく長期・安定志向」の住民は政治にも安定を求めるということだ。日本は過激な変化や争いを好まず、本来穏やかな変化を望む国民性だ。歴史的に見ても、他の大陸にある国に比べると、日本は過激な政変や革命が少なかった。
例えば、隣国中国は度々王朝の転覆や政変が起こり、社会が激変することが前提の土地である。王朝が転覆すると、皇帝だけではなく、その親族や臣下、地域のものも皆殺しである。
文化もことごとく破壊されるので、継続性が失われる。これは朝鮮半島や、同じく隣国であるロシアも同じである。むしろ世界的に見ると、穏やかな変化を望む土地のほうが少ない。
またこれは最近のイラン情勢を見ても 実感される方が多いだろう。
イランというのは、もともと様々な民族や部族が入れ代わり立ち代わり支配してきた土地で、 モンゴル系が支配していた時代もあれば、トルコ系の遊牧民の支配下にあった時代もある。
やはり大陸の内部にあるため、様々な民族や宗教が陸路で移動して支配を繰り返してきた。これは遊牧民が多い地域では、ごく当たり前のことである。イスラム教徒だけではなくキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒など、実に様々な宗教の人々が存在してきたのである。
人種を問うのがナンセンスな中央アジア
これはイランだけではなく近隣のイラクも同様であり、 パキスタンも同じだ。 シリアやアゼルバイジャンも同様である。少し北に向かい、中央アジアに行くと、輪をかけて実に様々な民族が混ざって暮らしている。トルクメニスタンやウズベキスタン、カザフスタンは、一時期はソ連でもあった。私はかつてカザフスタン訪問し、公私ともにウズベキスタンやカザフスタン、トルクメニスタンの人々と同級生だったり、実家にウズベキスタンの学生が住んでいたこともある。彼らの民族の多様性は、実際現地に行くと驚かされるものがある。
タジク人、タタール人、モンゴル人、ウイグル人、ウズベク人、トルクメニスタン人、アゼルバイジャン人、ユダヤ人、コーカサス人、ウクライナ人、アフガニスタン人の他に、朝鮮半島から連れてこられた高麗人、そしてソ連時代にロシア地域から追放されたユダヤ人、ボルガドイツ人など、実に様々だ。
そこに原油を求めて中央アジアに滞在しているフランス人やアメリカ人、イギリス人もいる。
そもそも近代国家の成立以前に、部族や宗教を主体とした支配の体型が存在していた。彼らにとっては近代国家の方が異物なのである。そこには、日本では想像できないような混沌と多様性がある。様々な文化が共存し、混ざり合い、独特の風土を生んでいるのだ。
しかし、そのような多様な土地というのは日本と異なって不安定性も含んでいる。様々な支配者が存在してきたので、「移動することが当たり前」という感覚がある。
ずっと同じ土地にいて田んぼや畑を耕している人々とは全く異なる心理である。
いつの日か異なる民族や宗教のものに支配されるかもしれないという感覚が常にあるので、フットワークを軽くしておき、すぐにでも移動できるようにしておく心理がある。
彼らが頼りにするのは血族であり、組織や国家に忠誠を誓う感覚はかなり薄い。
昭和40年代までは、故郷で農作が当たり前
こうした感覚は、実は中国や朝鮮半島でも似たようなものだ。そして、それは日本とは全く異なる家族感や組織感に反映される。企業や学校の運営形態が日本とは全く異なるのも、このような背景があると考えられる。組織は永続的ではなく崩壊することが前提であり、構成員をつなぎとめるのは、同じ場にいるという感覚や信頼ではなく、あくまで報酬だ。したがって、自ずと日本とは給与体系や福利厚生が異なってくる。
構成員がお互いを信頼しているわけではないので、不正防止の仕組みなども日本とは全く異なるものになる。日本でも、このような感覚が支配していた時期があるがそれは戦国時代である。
領主が無能であれば裏切って移動してしまうこともあったし、 親族同士であっても裏切りや謀反が当たり前であった。
しかし、日本が大陸にある諸国と違うところは、戦国時代のような裏切りや信頼性の欠如が蔓延していた時代が永続的ではなかった点である。
同じ領土の中では非血縁同士でもやはりその絆は強く、多発する自然災害から身を守るためにお互いを信頼し、共同で復興したり、農業に勤しまねばならなかった。
今の日本人が忘れがちなのは、そのような社会が実は昭和40年代までは割と当たり前であったということである。
日本人の多くが都市部に集まるようになったのは戦後の話だ。高速道路が整備され、鉄道網も行き渡り、移動がかなり容易になったのは昭和40年代の話である。
「お天道様には勝てない」
現在は都市部ではかつてのような共同体や血縁に頼らなくても生活ができるようになったし、核家族でも生活が成り立つようになった。都市部では個人の匿名性を維持することもできたし、農業以外の生業の選択肢もぐんと広がった。しかし、文化や国民性というのはそう簡単に変わるものではない。たった60年ほど前までは多くの人が農村地帯に住み、長年故郷を離れずに生活をしていたのだから、その影響は今でもかなり強い。
特に自然災害が多い日本のような島国では、離合集散を繰り返したり、従来と異なることをやっていると自然災害に対応できなくなる可能性が高まる。また、農業は基本的に毎年同じことを繰り返すので、 フットワーク軽く新しいことに挑むと、むしろリスクが生じることがある。さらに言えば、不作は主に気候変動によってもたらされるので、農業に従事する人間が何か違うことをやっても、それを防ぐことができるわけではない。
お天道様には何をしても無駄なのだ。
これが日本人の「長いものに巻かれた方がよい」と言う気質を生み出している源泉だと考えられる。山や谷が多く、移動が困難で、耕作に適した土地が少ない日本では、作物が取れないからといって他の土地に移動することはできない。
そうなるとそれまでのやり方を維持し、淡々と作物を作っていく方が合理的な考え方になる。日本人が安定を望んでいるのは、合理的に試行した結果なのである。そして、それを先祖代々受け継いできたのが現在だ。
狩猟する動物がいなくなったり何か問題が起きれば、他の土地に移動して先住民族を皆殺しにしたり、略奪することがある種の合理性であった大陸国家の人々とは、根本にある合理性の種類が異なるのだ。
移動することが最も合理的な土地の人々は変化を好む。何もしない事は、生存戦略の上で正しくはない。したがって、そういった歴史と文化を引き継いでいる大陸系の人々は、今の時代もとにかくフットワークが軽く、 事業もやり方も実に簡単に変えてしまう。
一方で、日本のように移動しないことが合理的な歴史・文化的背景を持つ人々は、変わらないこと、長いものに巻かれることを合理的だと判断する。ビジネスにおいても、政治的判断においても同様だ。
―[世界と比較する日本の保守化]―
【谷本真由美】
1975年、神奈川県生まれ。ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関、外資系金融会社を経て、現在はロンドン在住。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど世界各国での就労経験がある。主な著書に『世界のニュースを日本人はなにも知らない』(ワニブックス)、『激安ニッポン』(マガジンハウス)など。Xアカウント:@May_Roma
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