―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

ぶどう園や畑に囲まれた、山のなかにあるスタジアムに5000人のサポーターを集める男がいる。Jリーグでも異例の黒いユニフォームの背中に輝く、77番。
田中パウロ淳一だ。取材では“何でもやる”神対応。制服姿、決めポーズ、何でもござれ。今、最も注目されるJリーガーの素顔に迫った。
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日本一“バズる”Jリーガー

 ’25年、栃木シティのJ3初挑戦・初優勝。その原動力となったのが、田中パウロ淳一だ。SNSでの存在感は、もはや日本代表クラスに引けを取らない。(※1)YouTubeやTikTokでは女子高生の制服姿でボールを蹴り、“サッカー初心者キャラ”を演じながら超絶テクニックを披露する。3部リーグの選手でありながら“Jリーグ一バズった男”として脚光を浴びる存在となった。しかし、彼は地域リーグ(アマチュア)まで落ち、Jリーガーの肩書を失った過去を持っている。自らを「イロモノJリーガー」と称しながらも、プレーの結果でも周囲の評価を得てきたこの男はいったい何者なのか──。

──昨季は「TikTok Awards Japan 2025」のスポーツクリエイターオブジイヤーにノミネートされるなどSNSで話題になっただけでなく、ピッチでも全38試合に先発出場。11ゴールはチームトップ、14アシストはリーグ最多。
キャリアハイの結果を残し、J3のベストイレブンのほか、JPFA(日本プロサッカー選手会)によるJ3のMVPに選出されました。

田中:チャンスが多かったのでゴールもアシストも、もっと取れたと思います。ただチームが好調だったので、この結果は本当にたまたまです。データを見てもらってもわかるんですが、チームの中で僕は全然走っていないほうでした。優勝はチームメートが僕の分まで頑張って走ってくれたおかげです(笑)。

絶対にJリーグに戻ると、心に誓った地域リーグ時代

──田中選手は’23年に栃木シティへ加入。当時はまだ地域リーグ(関東1部=J1から数えて5部相当)でしたが、そこから(※2)3年連続での昇格は、ある意味で快挙です。

田中:’22年に松本山雅を契約満了になり加入したのですが、当時は正直、ここまでうまくいくとは思っていませんでした。だって、ここに来るまで栃木シティのことはまったく知らなかったですし、試合だって一度も見たことがなかったですから。でも、来た瞬間に「このクラブならまた上に行けるかもしれない……」という雰囲気を感じたんです。地域リーグで戦っていながら天然芝の専用練習場があり、選手も言い方は悪いですが、どこか欲にまみれていた。下部リーグの選手って、少しうまくいかないとすぐに自信を失ってしまうようなところが多い。でも、このチームはミスをしても普通にご飯を食べていましたから(笑)。
いい選手も多かったですし、僕としてはみんなとまた絶対にJリーグに戻ってやるというか、戻らないとダメだと思ったんです。

「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
エッジな人々
「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
エッジな人々
──“西山ダディダディ”や“エッホエッホ”など(※3)バズるゴールパフォーマンスに注目が集まった一方で、プレーでも得意のドリブルや左足のキックが光りました。一時はサッカーをやめることも考えていたそうですが、30歳を過ぎてのブレイクの裏には何があったのですか。

田中:たとえば松本時代の’21年(J2)なんて一度もスタメン出場がなく、途中出場しても終盤の時間稼ぎ役ばかり。「こんな状態でサッカー選手をやっている意味があるのかな……」と思っていました。実際に契約が切れた時はJリーグからのオファーがなく、サッカーをやめようと考えていました。ただ、栃木シティに拾ってもらったことで気持ちを新たにできたというか。(※4)今矢監督は海外での経験が長く、ネガティブなことを指摘するよりも、ポジティブに強みを評価してくれる。もちろんサッカーでは監督の好みが強く出るのはわかりますが、僕はそれまでどちらかといえばマイナス部分ばかりを指摘されていましたから。プレーでは「守備ができない」とか、SNSにしても「できればやってほしくない」と指摘されたり。そういう意味でこのクラブとの出合いは転機になりましたね。

「24時間サッカーしてろ」罵声も気にしない

──流れが変わった、と。

田中:若い頃は、日本代表や海外でプレーしたいという個人の野望はありました。
でも年齢を重ね、栃木シティで自分の存在価値を認めてもらえたことで、個人の結果よりチームの結果を考えるようになったというか……。矛盾するんですが、個人の結果を求めなくなったことで、逆にドリブルや左足のキックという自分の武器が生かせるようになったんです。僕は褒められて伸びるタイプ(笑)。だから監督の手のひらで転がされているのかな? チームの中で生かされているだけなんですけどね。

──過去の所属クラブでは個人でのSNS利用は歓迎されなかったようですね。

田中:今でも「選手なんだから24時間サッカーしてろ!」とかむちゃくちゃ言ってくる人はいますよ。ただ地域リーグまで落ちて、Jリーガーじゃなくなったことを考えれば、そういう叩かれ方にはビビらなくなりましたね。YouTubeを始めたのはコロナ禍の’20年ですが、当時は僕自身が有名になりたいという思いもありました。でも、栃木シティでJリーグに戻るには成績だけでなく1試合平均の観客動員数が2000人以上でなければいけないなどの条件もありました。メディアが取り上げてくれないなら、お客さんを呼ぶためには自分で発信するしかないじゃないですか。最初はホームスタジアムに100人もいなかったサポーターが、昨季は最大5000人ほどまでに増えました。実際、僕のことをSNSをきっかけに知ってくれて、スタジアムに来てくれた方も多かった。
いろいろと言われましたが、やっと時代が僕に追いついたんじゃないですかね(笑)。

「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
炎上は怖くないかって? プロとして一番怖いのは「無関心」
──“どん底”を味わったからこその強さを感じます。

田中:地域リーグまで落ちるということは、一度、Jリーガーとして死んだわけですからね。もう、なりふり構わずやるしかなかったんです。「炎上は怖くないか」とか聞かれますが、プロとして一番怖いのは「無関心」。誰にも気にしてもらえないことなんです。ただ僕は(※5)髪形もドレッドで一見やんちゃなタイプに思われるかもしれませんが、夜遊びはしないし、炎上とは無縁なタイプ。そこはクラブにも信頼してもらっていると自負しています。

──ラッパー「¥ellow Bucks」が好きだそうですが、推しのアイドルもいるとか。

田中:ラップも聞きますが、こう見えてアイドルのYouTubeもよく見ます(笑)。タレントの指原莉乃さんがプロデュースしている「=LОVE(イコールラブ)」とか「FRUITS ZIPPER」ですかね、好きなのは。頑張っている人が好き、って言うとおかしいですが、アイドルってみんな本当に一生懸命頑張っている。
今の時代、たった一枚の写真、一つの動画からバズることもありますし、彼女たちを見ていると、その瞬間瞬間で勝負しているのが伝わってきて、実はサッカー選手として参考になることも多いんです。たとえば(※6)ファンサービス。アイドルは本当にファンの方一人ひとりを大切にしているじゃないですか。僕はロック音楽も好きで見ているんですが、よくライブ中にお客さんの中に飛び込むミュージシャンもいますよね。サポーターと一緒にどう盛り上がるかを考えると、実はそこにもヒントがあると思っています。ラップもアイドルもロックも好き。どれも田中パウロ淳一という選手をつくり上げている要素と言っていいかもしれません。

栃木シティをJ1に上げたい

──’26年、栃木シティはJ2という上のカテゴリーにプレーの舞台を移します。今後の目標を聞かせてください。

田中:サッカー選手として活躍できるのはあと2~3年。その間に栃木シティをJ1に上げたい。そしてTikTokのフォロワー数が50万人を超えたので、100万人までは伸ばしたいですね!

──8月開幕のJ2の26‐27シーズンの前には、(※7)J2・J3百年構想リーグがあります。


田中:J2が、地域リーグやJFL、J3と比べて甘くないのは承知しています。ただ、目指すのはあくまで4年連続での昇格。そのために、まずは百年構想リーグでいい戦いをしてJ1を本気で狙いたいと思います。

「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
エッジな人々
【Paulo Junichi Tanaka】
1993年、日本人の父とスペイン系フィリピン人の母の間に生まれる。’12年、大阪桐蔭高から川崎フロンターレに加入も、1年余りで自ら退団。以降、ツエーゲン金沢、FC岐阜、レノファ山口、松本山雅と渡り歩き、’23年から栃木シティ所属。’25年、JPFA選出のJ3MVP。ポジションはFW

(※1)YouTubeやTikTok
’20年にYouTube「パウロちゃんねる」を開設。特に田中が女子高生キャラ「パウちゃん」に扮する「彼女シリーズ」は人気。TikTokは自身でネタを考え、編集もこなす

(※2)3年連続での昇格
栃木シティは’23年に関東1部リーグ2位ながら、全国地域サッカーチャンピオンズリーグで優勝しJFL昇格。’24年はJFL優勝、’25年はJ3優勝。地域リーグからの3年連続での昇格は史上初となった

(※3)バズるゴールパフォーマンス
第5節のテゲジャバーロ宮崎戦で決めた’25年の初ゴールの映像がJリーグ公式SNSに投稿されると、ネットの流行を取り入れたゴールパフォーマンスも相まって200万回以上再生されるなどJリーグ一バズったと話題になった

(※4)今矢監督
今矢直城。’22年より栃木シティの監督を務める。’23年以降クラブを3年連続の昇格でJ2へ導いた気鋭の若手指導者。横浜F・マリノスで名将アンジェ・ポステコグルー氏の通訳を務めた経験も

(※5)髪形もドレッド
今や田中の代名詞ともいえるドレッドヘア。そのインパクトは大きく、知名度アップにも効果的だったが、かつて所属したクラブでは禁止されていて罰金を科されたこともあったとか

(※6)ファンサービス
チーム一の人気者だが、ファンサービスにも定評がある田中。どんな時でもサポーター一人ひとりと丁寧に向き合っている姿は印象的だ

「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
エッジな人々
(※7)J2・J3百年構想リーグ
Jリーグが’26年から「秋春制」に移行するため、その端境期に実施される特別大会。J2とJ3の混成リーグとして開催され、2月7日に開幕。通常のリーグ戦と異なり、結果による昇降格はない

「サッカーをやめようと考えていた」田中パウロ淳一が、日本一“バズる”Jリーガーになるまで
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取材・文/栗原正夫 撮影/岸本勉

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