観光での短期訪問だけでなく、今も日本人の長期滞在者が多い東南アジアの観光国タイ。大半が日系企業の駐在員であるが、自分の意志で移住した者も少なくない。
主に自分でビジネスを立ち上げて働く人、定年退職後に憧れの地タイで年金生活を送る人など、さまざまな事情を抱える。
 また、タイ人と結婚してタイで暮らす人もいる。いずれにしても、タイに長期滞在する場合は目的に見合ったビザを取得し、延長を続ける必要がある。そんな中、かなりレアケースでビザ問題に直面してしまった日本人女性がいた。タイ人夫が刑務所に入ることになったのだ。

タイ滞在で一番大変なのがビザ

「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“...の画像はこちら >>
 円安の今、海外旅行も割高になって、渡航を控えている人も少なくない。特にタイはパンデミック以前はたくさんの日本人が訪れていたが、現在はいくら物価が安めの東南アジアとはいえ円安の悪影響で割安感はどこにもない。たとえば屋台料理もタイ・バーツの価格表示で2倍になっている今、円換算では3倍以上というありさまだ。

 長期滞在者の日常生活においてもそのインパクトは甚大で、東京で生活したほうがずっと安いかもしれない。とはいっても、お金というものは案外どうにかなる。長期滞在者にとって、今一番の問題はビザだ。

 バブル期の日本は中国や東南アジアからの出稼ぎが多く、そのころの日本ビザ取得は難しかったとされる。しかし、今は日本よりもタイの長期滞在ビザのほうがずっと難しい。
富裕層向けに20年の滞在許可が得られるサービスもあるが、駐在員や年金生活組は少なくとも年に1回、延長という大変な作業がある。抜け道がなく、誰もがタイ側が提示する必要書類、必要条件を満たしていなければならない。頻繁に状況も変化するので、前年の経験が活かせないこともよくある。

 こういったタイの長期滞在ビザの中で、実は一番簡単なのはタイ人と結婚した人が取得できる“配偶者ビザ”だ。欧米人の老人の中には偽装結婚をする輩もいて、今や外国人がタイで国際結婚するべく婚姻届けを出す場合には個別面接まである。

南部プーケットに配偶者ビザでいたものの

 タイは日本以外においてもっとも日本人密度の高い国といえる。日本外務省が毎年発表する海外在留邦人数統計資料によれば、2024年10月1日時点でタイにいる日本人は7万421人。これは米豪中加に続く5番目であるが、この4カ国はタイよりもずっと大きい。実際、都市別ではロサンゼルスが1位で、2位はバンコクであるほど。タイは日本人が詰まっているのである。

 他方、人気国ながら日本人の国際結婚カップルの国籍別だと日タイ夫婦は多くない。日本政府の統計によれば2023年の日本人同士の婚姻数約45.6万件に対し、いずれかが外国籍の婚姻は1万8475件。組み合わせで一番多いのは夫・日本人&妻・中国人で3,308件だ。
夫・日本人&妻・タイ人はわずか795件、夫・タイ人&妻・日本人に至っては、たった28件しか婚姻数がなかった。日本人長期滞在者が多くなると日本人同士のつきあいが増え、タイ人と出会う機会が少なくなるというのはあるかもしれない。

 そんな中、数年まえにタイ南部プーケット県でビーチボーイだったタイ人男性と結婚したEさんがいる。15歳年下と結婚したEさんは、プーケット県内に戸建てを購入したり、夫はヨットハーバーでクルーザーの操船などをして仲睦まじく暮らしていた。

 もちろんEさんのビザは配偶者ビザだ。特に外国人女性とタイ人男性の場合、その逆の夫妻よりもビザが出やすい傾向にある。順調な結婚生活が続いていたが、ある時期から雲行きが怪しくなり、25年にビザの継続が困難になってしまった。

 タイ人夫が事件を起こし、刑務所に送られることになったのだ。

判決の日は求刑50年も



 雲行きが怪しくなった兆候は少しまえから感じてはいたとEさんはいう。

「顔つきが変だったし、誰かに見られている気がするとよくいっていたんです。目が血走っていて暴力的だった時期もあります。フルスロットルでバイクを走らせ自損事故を起こして、バイクが真っ二つということも」

 なんとなくおわかりかと思うが、薬物使用のある意味典型的な症状である。タイは大麻使用について比較的寛容に見えるかもしれないが、その他の薬物は、種類によってはかなり厳しい刑罰が待っている。


「事故のときなどに警察で尿検査をしていればよかったと今になって思います。そのときはヤーバーを使用していることをワタシは知らなかったので」

 ヤーバーは昔からタイで出まわっている安価な覚せい剤の一種だ。取り締まりが緩くなっていた時期はタバコよりも安いのではないかというほど相場が下がっていた。

「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“過酷な現実”
若い人にはヤーバーより、こういった器具を使うアイスという覚せい剤が好まれる
 なぜEさん夫がヤーバーに走ったのか。これはパンデミックより少しまえにはじめていたビジネスに起因する。Eさん夫はあるタイ人女性と知りあい、船舶操船免許もあることからボートを共同で購入し、近隣の島を巡るツアーなどができる旅行社を立ち上げたのだ。しかし、この女性が実は地元で知られたしょうもない人物だった。ボートは実際に半額だして購入したものの、名義を彼女個人にされてしまい、すべてを奪われてしまったのだ。

 Eさん夫は根が穏やかでまじめだった。普段、酒も飲まない。結果、妻にも相談できないまま、そのストレスをヤーバーでまぎらわせるようになってしまった。そのうち薬物依存でよく見られる被害妄想が強くなり……。


「金曜日に仕事がおわらないからと帰ってこない。土曜になってもこない。どうも、金曜日の電話のあとに火をつけに行ったみたいです」

 被害妄想がふくらみ、誰もが自分の悪口をいっていると思いこんだ。そうして、その矛先は親戚の伯父に向いた。Eさん夫はEさんが電話をした時間帯にペットボトルを使用した火炎瓶を作っていたようで、電話のあと火炎瓶を伯父の自宅に投げた。土曜に帰ってこなかったのは、すぐに警察に逮捕されたからだ。

「日曜に警察署に会いに行ったときは、ヤーバーが切れてなかったらしく留置場で叫んでいました。その後の裁判などで手錠を見たときはショックで、さすがに泣きました」

 逮捕からおよそ4か月後、判決が下る。こういった事案が多いので、流れ作業のように複数の被告が法廷に立ち、判決が出ていくのだそうだ。

「時間どおりに裁判がはじまらないのはタイらしいですよね。そのうち、がしゃんがしゃんと足枷の鎖の音が聞こえてきましたが、全然違う人が入ってきました。夫もそうなのかと思うと、ショックで目が点になりましたね。
その人はヤーバー6万錠を運んでいたらしく、懲役50年の判決でしたよ。夫は3年半でした。逮捕当初は情けなくて泣いたけど、判決が出たときは涙も出ません。判決のあと少しだけ家族と話す時間をくれるのですが、夫はごめんと謝っていたことを憶えています」

 こうしてEさんと夫は離れ離れになった。が、まったく会えないわけではないらしい。しかも、ガラスや鉄格子を隔てた空間で話すのではなく、ちゃんと触れあえる距離で会えるようである。

刑務所のファミリーデイでお祭り気分

「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“過酷な現実”
Eさん夫が収監されているパンガー刑務所(Eさん提供画像)
 それはパンガー刑務所が数か月に1度設けてくれる「ファミリーデイ」である。これはパンガー刑務所が重罪犯向けの刑務所ではないからだと思われる。バンコクの終身刑・死刑判決を受けた人の刑務所ではそういったイベントはない。

「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“過酷な現実”
こちらはバンコク近郊の終身刑・死刑囚向け刑務所だが、高い塀は敷地内にあるので、外観は刑務所っぽくない
 そもそもEさん夫の3年半の懲役は、主に火炎瓶の製造・武装によるもの。伯父は自身の甥ということもあって被害届を出していない。むしろ減刑の嘆願もしてくれた。ヤーバーは所持しておらず、逮捕時の尿検査で引っかかっただけで、そちらはむしろ微罪。
そのため、Eさんも夫も1年くらいの判決ではないかと思っていた。ところが、伯父の嘆願は口頭で文書にしていなかったため、結局3年半の判決を受けてしまうのである。

 Eさん夫が収監されたパンガー県の刑務所はファミリーデイのほか、『LINE』を使った隔週15分間のビデオ通話もできる。

 このビデオ通話はタイ国内の刑務所いくつかでできる。家族などが予約サイトに登録すれば話せるもので、そのサイトを見るとすべての刑務所ではないものの、そこそこの数が対応していた。おそらく罪状があまり厳しくない受刑者を収監するところなら可能ということなのだろう。

 ファミリーデイは受刑者ひとりに対して5人まで入ることができる。予約制で朝の部、午後の部に分かれているという。受刑者たちが中庭に出店のようなものを造り、入場時に購入するクーポンで食べものなどを買うことができる、ちょっとした学園祭のような。

「ただ、そのまま入れるわけではなく、靴は脱がされました。アクセサリーもダメ。でも、バンドが入ってて案外にぎやかですし、ハートのオブジェが設置され、受刑者と写真撮影もできる。2時間はあっという間でした」

 受刑者もこのときは囚人服ではない。そんなのんきな時間も過ごせるのだが、夫だけでなく、Eさん自身にも問題が忍び寄ってきていた。ビザ問題だ。

夫がいることが前提の配偶者ビザ

 タイの配偶者ビザは延長時にタイ人配偶者本人と共にイミグレーション警察を訪問し、延長手続きを踏まなければならない。もし子どもがいれば、子どもも学校を休ませていく必要がある。これが原則だ。

 夫が刑務所に入ってしまったEさんの場合、その原則を守ることすらできない。逮捕時はどたばたでそんなことに頭が巡らなかったが、落ち着いたときにふと数か月後に迫る滞在期限を思い出した。

「すぐにプーケット県のイミグレーションまで行って何人もの係官に話を聞きました」

 ここはタイあるあるで、係官によって法令の解釈が異なる。そもそも、受刑者を夫に持つ外国人女性が珍しすぎる。大概は離婚してしまうこともあって、係官もこういったケースではどうなるのかわからない。ある人はダメだというし、別の人は夫に延長申請書類にサインをさせればいいという。

「サインを面会日にもらいに行きました。けれど、結局正式に延長は不可と通達されました」

 これによりEさんは期限内に国外に出なければならなくなった。とはいえ、別のビザを取得する方法が残されている。年齢的には年金生活者向けのリタイアメント・ビザも申請できる。というのは、タイのこのビザは満50歳以上が条件で、実際に年金受給をしているか否かは申請要件に関係ないからだ。

 ビザを問題なく取得できても、再入国時にタイ政府が厳しく目を光らせる。近年、東南アジア圏内に中国人マフィアが特殊詐欺拠点を設けていることもあって、外国人の入国審査が厳しい傾向になったのだ。特に長期滞在後に別カテゴリーでビザを取り直して再入国する人は目をつけられやすい。ここに来て、さまざまなタイの問題点までがEさんにのしかかってくる。

 配偶者ビザはタイ人の夫や妻がいることが前提だが、その「いる」は物理的にそばに存在していないといけない。婚姻関係にあっても離れていてはいけない。延長申請時に夫婦でイミグレーションに出向くが、その際には一緒に暮らしている証明を写真でいいので提出しなければならない。誰もがそれが普通だと思っていたものだが、よく考えてみれば他地域に単身赴任で出稼ぎに出ることになったり、配偶者が当ケースのように刑務所に入ってしまったら。

 結局、タイのビザは、諸条件がシンプルゆえに、やっぱり難しいのである。

それでもワタシは見捨てない


「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“過酷な現実”
小島からプーケットや本土に出るには1日数本もない船を待つしかない
 パンガー刑務所はプーケット県内のEさん自宅から片道120キロはある。プーケットをはじめ、タイ南部は島が多い。プーケット県はタイ唯一の島の県だが、実際には本土と橋でつながっているくらいに近い。

 他方、Eさん夫の出身地のように、小さい島の場合、プーケット県や本土に出ることも容易ではない。

「島出身の受刑者だと家族が面会に簡単には来られないので、そういった受刑者の中には誰とも会えず、それを苦に自殺する人もいるみたいです」

 Eさんの友人や知りあいはみな「もう夫のことは忘れたほうがいいのでは?」というそうだ。しかし、Eさんはいう。

「今はまだ別れません。とりあえず刑務所で反省して立ち直るまで。関係はそのあとに考えるつもりです。縁があって一緒になった人だから、彼を見捨てられない。今回だけ。家族だから、今回は立ち直るチャンスをあげたいです。彼は面会に来なくていいとはいうけど、行ったらやっぱりうれしそうな顔をするんです。収監された最初と今では顔つきも変わってきましたし」

「夫が刑務所行きに」タイ人男性と結婚した日本人女性を襲った“過酷な現実”
刑務所への差し入れは注文書に書くと、中で受け取れるようになっている(Eさん提供画像)
 毎年ビザを普通に延長するだけでも大変だが、Eさんの問題は山積みでもある。現時点では夫がヤーバーに走ってしまうきっかけになったあの女性の居場所も突き止めていて、少しでも夫の損を取り戻せるようにEさんは戦っているところでもある。

<取材・文・撮影/髙田胤臣>

【髙田胤臣】
髙田胤臣(たかだたねおみ)。タイ在住ライター。初訪タイ98年、移住2002年9月~。著書に彩図社「裏の歩き方」シリーズ、晶文社「亜細亜熱帯怪談」「タイ飯、沼」、光文社新書「だからタイはおもしろい」などのほか、電子書籍をAmazon kindleより自己出版。YouTube「バンコク・シーンsince1998│髙田胤臣」でも動画を公開中
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