信州大学特任教授の山口真由氏は「陰謀論と結びついてきたエプスタイン文書が、皮肉にもトランプ神話そのものを揺さぶっている」と指摘する。(以下、山口氏の寄稿)
ディープステートと闘う救世主のトランプ自身が、資料に名を連ねる茶番
アメリカ人はつくづく狂信的な人々である。信じる対象はキリスト教に限られない。例えば陰謀論に熱狂した者たちがトランプ信者となったように。だが、いまその信仰が揺らいでいる。通称「エプスタイン文書」によって、この疑惑の富豪との交流が明らかになった著名人たちは各国で厳しい批判にさらされている。その一人、前駐米大使マンデルソン卿をめぐっては、任命者であるスターマー英首相の責任を問う声が大きく、最側近の身代わり辞任だけで退陣圧力をかわせる保証はない。
とはいえ、新たな公開はトランプ信者にも波紋を広げている。もともとMAGA派は、エプスタイン文書に執着してきた。この文書が、Qアノンの陰謀論を証明するものと位置づけられてきたからだ。
「世界規模の児童買春組織を運営している小児性愛者らの秘密結社」、“ディープステート”と闘う救世主としてトランプを描く陰謀論と、未成年女性を含む人身売買や性的虐待が取り沙汰されるエプスタイン事件はぴたりと符合する。それゆえ、文書の核となるのは「顧客リスト」であり、それが公開されれば、自身の性癖を満足させるのと引き換えにこの富豪を支援した有力者たち、すなわち“ディープステート”の面々が明らかになるとの言説が、いつからかMAGA派に広がった。
内部分裂の危険も
だからこそ、MAGA派は困惑したのだ。大統領となったトランプが、エプスタイン文書の公開に消極的で、やっと開示された書類には、むしろトランプ大統領やラトニック商務長官らの名が記され、さらには「顧客リスト」は影も形もなかったことに……。そして、このエプスタイン文書をめぐる幻滅は、MAGA派の代表格であるグリーン下院議員の辞職を引き起こすなど、内部分裂の危険をはらむ。とはいえ、キリスト教の聖書それ自体が多くの矛盾を含むのは周知の事実である。この矛盾を説明するために唱えられた「三位一体説」が、原始的な記述をより普遍的な“真理”へと昇華させた。さて、民主党関係者らが児童性愛組織を築いていたと主張する「ピザゲート」が、Qアノンにバージョンアップされたように、エプスタイン文書をめぐる疑惑を、自らの正当性を強化する新しい神話に作り替えることができるか。支持率に陰りを見せる救世主は、いままさに試されているのだろう。
【山口真由】
1983年、北海道生まれ。’06年、大学卒業後に財務省入省。法律事務所勤務を経て、ハーバード大学ロースクールに留学。帰国後、東京大学大学院博士課程を修了し、’21年、信州大学特任教授に就任
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