多くの大人に囲まれて育った幼少期
はかせ:そうですね。母は22歳のとき、いわゆる“未婚の母”として私を産みました。母、伯母、私で暮らしていましたが、出産後すぐ仕事を再開したといいます。そのため、近くに住んでいる母の親友も含めて、みんなで私を育ててくれた感じです。母は私からみてもかなりの美人で、女性としての魅力にあふれた人です。男性に困ったことがなく、デートで家を不在にすることもしばしばありました。
――やがて、お母様はご結婚される。
はかせ:そうです。私が7歳のとき、母は結婚しました。
――なぜでしょう。
はかせ:幼いながら「この人は小さい子が好きだ」ってわかるんですよね。母にも伯母にも「結婚しないでほしい」と懇願しましたが、聞く耳を持ちませんでした。実際、一緒に暮らすようになってみて、お風呂で身体を洗われたりしました。くわえて「君はお母さんに比べて可愛くないね」なんて暴言も吐いたんです。直接関係ありませんが、義父はのちにギャンブル依存症で自己破産をしました。
ワイン瓶で殴られ、裸足で逃げた夜も
――しかしお母様はその男性に夢中だった。はかせ:忘れもしないのは、2人の結婚式です。私は嫌だったのですが、2人は小さなウェディングドレスを作って、式当日はそれを私に着せました。結婚式の新郎挨拶のとき、義父が「小さなお嫁さんももらって幸せです」みたいなことを言ったんです。それが本当に嫌でした。
――家庭人としては、どんなお義父さんでしたか。
はかせ:働きにも行かず、昼間からお酒を飲んでいました。大柄で、たぶん185センチくらいあったと思います。私は学校に馴染めず、家で自分で勉強していることが多かったのですが、酒を飲んだ父から「学校へ行け!」とワイン瓶で殴られました。そのため裸足で逃げたこともあります。手足を縛って暴行されることもありましたね。
――義父との暮らしはいつまで続きますか。
はかせ:私が15歳のときだと思います。私は中学受験をして、共立女子中学校に通うようになりました。みんな非常に真面目ななかで、数少ない不真面目な生徒だったと思います。
美術品に熱中する風変わりな実父
はかせ:はい。高2のときだと思います。これまで一度も会ったことがなく、母も会いたがらないような人でした。実父は実業家で、さまざまな事業を成功させていました。そもそも父と母の出会いも、父の経営する会社にアルバイトで入ったのが母だったようです。2人は20歳近く離れています。父はほかに複数のお妾さんがいました。再会は「元気してたか? 大きくなったなぁ」みたいなものを想像していきましたが、ぜんぜん違いました。「おう、久しぶり」と言ったかと思えば、当時実父が熱中していた美術品の話を延々としていました。「これは◯◯円で落札したんだ」みたいなことです。
――変わった方ですね。
はかせ:正直、変わり者だと思います。けれども、なぜか私は馬が合いました。成人してからも、気軽に「今日、誕生日なんだけど、なんかご馳走してよ」みたいなことが続きました。私が学習院大学に入学すると、父は一緒に飲みに行った先でいろいろな人に自慢げに話していました。実業家としてかなり優秀でしたが、中卒だったことが少しコンプレックスだったのかもしれません。
妾や異母きょうだいとの確執が表面化
――通常の親子関係とはまた違う、特別な絆があったんですね。はかせ:そうかもしれません。ただ、障壁もありました。父は妾のひとりに銀座の店を持たせていました。その日もいつも通り父と銀座を飲み歩き、最後にきたのが妾の店でした。私はそのことを知らなかったのですが、妾は気づいていたようです。娘自慢をする父を面白く思っていなかったのかもしれません。父がトイレに立ったすきに、声色が変わり、「出ていけよ」と。
――妾はなぜそこまで恨みに思うのでしょう。
はかせ:遺産の取り分でしょうね。父は私を含めて複数の異母きょうだいを認知していました。妾にとっては取り分を減らした天敵だったのだと思います。父はその後、体調を崩し、やがて亡くなりますが、見舞いに訪れた際も妾や異母きょうだいから「生まれてこなければよかったのに」と罵られました。同じ言葉は過去にあの義父にも言われていて、それが今の人格形成に影響しているとは思います。私が実際に父の死を知ったのは、遺産相続のための手続きの段階でした。さまざまなことが重なり、遺産は放棄した形になりました。
家族と絶縁した直後の「卵巣がん」発覚
――その後、はかせさんはお母様とも絶縁する。何があったのでしょう。はかせ:そうです。昨年3月末に夜逃げ同然で家を出ました。
――重大な犯罪にも遭ったそうですね。
はかせ:2011年3月、突然、私はある事件の被害者になりました。犯人が裁判員裁判で裁かれるような類型のものです。毎日こわくて家から出られず、怯えていました。そこに、3.11の大災害が来ました。さまざまなことが重なって心細く、一緒にいてほしいまさにそのときに、母は男性と海外旅行へでかけていました。
「なるようにしかならない」と感じるように
はかせ:そうですね。引っ越しから1ヶ月くらいで、卵巣がんと診断されました。ステージⅢと結構進んでしまっていました。昨年12月まで入院をしていましたが、愛犬を連れて家を出た関係で、家族に任せるしか方法がなくなりました。
――その後、お母様に対してはどのような感情ですか。
はかせ:助けてもらったことに対する感謝はあります。ただ、母に対してだけでなく、人生全般について、「なるようにしかならない」とはこれまで以上に感じるようになりました。今はなるべく、溜め込まないように生きるだけだなと感じています。メイド喫茶に長く勤めるなかでそれなりに修羅場も経験したので、道に迷った人たちにアドバイスできるように、すべての経験を糧にしたいです。
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人がくじける場面でも、笑っていられる。はかせさんはたぶん、そういう人だ。ストレートに愛す方法を知らず、不器用な両親のはざまで、苦しんだ時期もあった。縁を繋ぎ止めたのに儚くもこぼれていった父親と、一度は断ち切りながらまた繋がった母親。「なるようにしかならない」という潔さは、そんな経験からくるのだろう。そんな彼女の生き方が、過分な期待を遠ざけフラットに人生を歩むための秘訣を教えてくれる。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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